トゥフカ・サーガ〜約束の地〜

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  邂逅  

 慣れぬ野宿や獣払いに明け暮れ、ようやくそれに慣れてきた頃、シルファとリヒトはヴェルクシュタットに辿り着いた。
 街に入るときに門番(しかも複数!)がいたのも驚きだったし、彼らと何事もないように会話してさっさと手続きを終わらせてしまったリヒトにも驚いた。
「うわあ……」
 そして街へ入ったシルファの目の前に広がっているのは、連なる軒並と行き交う人波。周囲は賑わい、活気づいている。ティエル村では、一番活気づくラファ降臨祭の時期だってこんなに人は集まらないだろう。
 街行く人々の服装は様々で、中には戦装束の者、きらびやかな衣装を纏った者などもいた。彼ら彼女らの姿かたちもさまざまで、シルファたちと同じような肌の者もいれば、まるで象牙のような――実際には物語での知識でしか『象牙』というものを知らないのだが――色をした肌の者、ティエル村では見たこともない、褐色の肌をした者も少なくなく。そして髪の色もシルファと同じ金髪や黒髪、中には青玉をそのまま引き伸ばしたかのような見事な髪の色の持ち主もいたし、明らかに人型ではない種族もいた。
 ほぼ村中誰もが顔見知り、というのどかな農村で長年育ってきたシルファには、何もかもが新鮮で、目を見開いたまま、食い入るようにその光景を見つめるばかりだった。
「なーに固まってんだよ……って、そういや、シルファがここに来たのは初めてだったな。ここがヴェルクシュタット。国王様やえらーい人たちがいらっしゃるとこなんだぜ……ってのは、父ちゃんと兄ちゃんの受け売りだけどなっ」
 ぽかんとしたまま固まっているシルファの緊張を和らげるべく、リヒトはシルファの肩をポンと叩くと、朗らかに言葉を紡いだ。
「ゴードンおじさんとヨハン兄さんが……そういえば、ヨハン兄さんはこの街で働いているのよね?」
「そうそう、兄ちゃんは跡継ぎだからな。鍛冶屋で修行してんだ。えーと確か、何て店だったかな……あー、名前はド忘れしたけど」
「ヨハン兄さん、懐かしいわ……元気にしているかしら?」
「ははっ、兄ちゃんは父ちゃんみたいに強くてデッカイ男だからな。鍛治屋でも大暴れしてるんじゃないか?」
「ふふっ、兄さんたら……」
 おどけたように肩をすくめて見せるリヒトにシルファは笑う。
「……兄さんはおじさんと一緒にヨハン兄さんの鍛治屋に行っていたんだし、お店の名前は覚えていなくても、場所は覚えているのよね?」
 笑顔をひっこめ、不安気な眼差しを向けるシルファの一言に、リヒトはギクリと身体を強張らせた。
「ま、まあな……そんなに心配すんなって。鍛治屋の近くまで行けば、思い出せるからさ!」
 なおも向けられるシルファの疑うような視線を払拭すべく、極めて明るく振る舞うと、リヒトはズンズンと前に歩みだした。
 それからどれだけ歩いただろうか。視界に見覚えのある建物が映ると、リヒトは沸き上がる安堵や喜びに振り返った。
「見ろよ、シルファ。あの建物だぜ!……って、シルファ……?」
 自分のすぐ後ろをついてきていたはずの少女の姿は、忽然と姿を消していた。リヒトはさぁっと全身から血の気が引いていくのを感じると同時に踵を返し、元来た道へと駆け出した。


「……どうしよう。見失っちゃった……」
 シルファはざわめく人々の中で、大きな溜め息を吐いた。リヒトの後をひょこひょこと追っていたものの、あまりの人混みの多さとものめずらしさにきょろきょろしていたら、はぐれてしまったのだ。
 周囲を見回していても、人、ひと、ヒト……その中にリヒトと思わしき姿はどこにも見当たらない。
 ――村では目立つ兄さんの赤い髪も、ここでは珍しくもなんともないんだわ。
 シルファは、不安と焦りで心がざわめき立ち、鼻の奥がツンとするのを感じ始めた。
「……お姉さん、どうしたのさ? そんなトコで」
 急にボーイソプラノの声が聞こえてきたと同時にくいくいと袖を引かれ、シルファはハッとして声の方へと視線を向けた。
 いつからそこにいたのだろうか、目の前には一人の少年が満面の笑顔で立っていた。
 見目や声の高さからすると、シルファよりは年下だろう。胸の部分にデフォルメされたヒヨコの絵がプリントしてある暖色系のエプロンを身に付け、水をはじく素材のブーツを履いている姿を見るに、水を扱うような店で働いているようだ。少年の目は青く澄んだ色をしており、その髪は夏の空のような蒼。
「オイラ、この近くで花屋のバイトしてるんだー。お姉さん、良かったら見ていってよ。今なら、地方発送キャンペーン実施中だよっ!」
「ば、バイト?……チ、ホウ……ハッソウ?」
 ポンポンと聞きなれぬ言葉を紡ぐ少年を前に、シルファはキョトンとする。少年は思わずクスクスと笑みを漏らした。
「何の事やらサッパリって顔してるね。お姉さん、可愛い!……だったら、尚更見なきゃだよ。お姉さんにピッタリの可愛い花を探してあげるからさ♪」
「えぇっ!? ち、ちょっと、待っ……」
「さあ、行こっ、お姉さん?」
 少年は有無を言わさずシルファの手を軽く握ると、首を傾げてみせる。
 ――ウソッ、この子私よりも年下なのに、ぜんぜん隙がない!!――
 シルファは少年に手を引かれるままに花屋へと足を向ける事になった。

「た〜だいま〜♪ てーんちょ、お客さん、連れてきたよー!」
 店に着くと、こちらに背を向けてしゃがんでいる女性に、少年が歌うように話しかける。
「お帰りなさい、エミちゃん……あらあらまあまあ、とっても可愛らしいお嬢さんね」
「へへっ、でしょう! オイラが声をかけた時も、可愛い反応してくれたんだ♪」
 振り返った女性が立ち上がると、その後ろにまさに満開の花々が見えた。どうも売り物の手入れをしていたようだ。
 少年と同じエプロンを身に付けた若い女性が微笑みかける。少年と女性に"可愛らしい"という言葉を連呼され、シルファは顔面がポッと熱くなっていくのを感じ、思わず頬に手を当て俯いた。
「あ、あの……」
「うふふ、お客さんを目の前にして、無駄話しちゃったわね。ごめんなさい。どうぞ、ゆっくり見ていってね」
「はぁ……」
 シルファは、恥ずかしさをまぎらわせるべく、花へと視線を向けた。花々は今が冬であるにもかかわらずみな瑞々しく、彩り鮮やかに咲き誇っている。
 その美しさにすっかり目を奪われ、他にはどんな花があるのだろうと更に奥へと視線を巡らせた。
「…………!?」
 その目に写った冗談のような光景に、思わず目を見開き硬直する。
 店の奥では褐色の肌に見事な銀の髪をした青年がモップを手に床掃除をしていた。すらっとした体格、無愛想ながらも整った容貌、ちらりと覗くとがった耳。本の挿絵でしか見たことがないが、ダークエルフなのだろうか。そして彼もまた少年と女性同様に、デフォルメヒヨコの絵がプリントされた愛らしいエプロンを着用していた。
「………………」
 青年はシルファのある意味熱烈な視線を気にするでもなく、もくもくと無言で床掃除に精を出している。その姿は(青年自身の美形さもあいまって)お世辞にも似合っているとは言えず、この場にはただただ不釣り合いとしか言えぬ存在だった。なまじ青年が全体的に黒っぽい、スタイリッシュな格好をしているため、余計にデフォルメヒヨコの暖色系エプロンとのギャップがひどい。
「………………」
 なぜかいたたまれなくなり、シルファは無言でそっと視線をそらした。――見なかったことにしよう。うん。
「……あっ、ま、まだ冬なのに、春の花があるんですね?」
 たまたま目に入った花を見て女性に話しかける。
「ああ、アネモネね。ええ、本来ならもう少し時期が遅いんだけど、ここ数年で温室も普及されてきたし。まあ通常よりも手間がかかってるからちょっとお値段は張るけどね」
 笑顔を浮かべて女性はもう数年たったら、例えば夏の花でも冬に売れるようになるかもね、と言った。
「花屋としては、季節問わず四季咲きの花に頼らず商品を安定供給できるし、お客さんも珍しがって買ってくれるんだよー。まあ、店長の言うとおりになっちゃったらそれはそれで、ちょっと情緒がナイなーとも思うケド!」
 少年の言葉に女性はそうねぇ、とふんわり笑っている。
「本当にきれいな花たちですね。……あの、ティエル村まで運ぶことって、できますか? 家族に見せてあげたいんです」
「もっちろーん! 何にする、おねぇさん? あ、日持ちのことは考えなくていーよ。オイラがひとっとび、すぐにお届けいたしますぅー♪」
 歌いながら少年がくるりと回る。シルファはきれいな花々の前で長考に入る。
 ――ばばさまには凛とした花がいいかしら。ハンナおばさんには華やかな、ゴードンおじさんにはどうしよう。リーナちゃんにはかわいい花が……
「おっと、すまないな」
 どん、と誰かがぶつかってきて、シルファはよろめいた。
「あ、こちらこそ……?」
 お互い様、と言おうとしたが、ぶつかってきた彼はさっさと足早に歩き始めていた。こちらをちらとも見ない。
「あっ!」
 店頭に立っていた少年が小さく叫んでぶつかった青年に向かって走り出し、無言で思いっきり青年の後ろからスライディングを決めた。
「おわあああああ!?」
 いわゆる膝かっくん状態になった青年は派手な悲鳴を上げてすっころんだ。少年はすかさず立ち上がりマウントポジションを極め青年の手をひねり上げる。
「いだあああああ!? な、な、なんだってんだよ、このくそチビっつかなんつう馬鹿力だよ!」
「オイラの前でおイタなんて、いい度胸じゃーん」
「なんのことだよ! いだだだだだ……」
「それはおにーさんが一番よく知ってんじゃないかなー? えーっとこのへんかな」
「ちょ、おい、やめろ!」
 少年はごそごそと青年の体をまさぐり、財布らしきものを取り出した。
「あっ、それ、私のお財布!」
 思わずシルファが叫んだ。
 その財布には青年には似つかわしくない、ややくたびれてはいるがかわいらしいウサギのアップリケが縫い付けられている。青年がかわいらしいもの好きである可能性も否定はできないが、そのアップリケは幼いころ、自分のものと他人のものの区別が付きにくかったシルファのために亡き母フィーネがシルファのもの、と分かるようにしるしとして縫ってくれたもので、繕いながら長年使っていたそれを見間違えるはずもない。
 突然の捕り物劇に、周りの野次馬たちがなんだなんだと集まってきて事態を見極めると、警邏を呼べと叫ぶもの、青年の取り押さえに協力するものとそれぞれ動き始めた。
「ちくしょう!」
 青年が叫び、じたばたと暴れる。野次馬の協力と、マウントポジションをとっていたため少年が振り落とされることはなかったが、急な動きにその手から財布がぽろりと落ちた。
「ああ、大変!」
 落ちた財布からお金が派手に散らばってしまった。背負い袋の中には予備の財布があるが、だからといって入っていたのはじゃあいいや、とあきらめられるほどの額ではない。
 ――いけない、騒ぎ起こしたなんて兄さんにバレたら叱られる! 最初に思うことがそれかとは自分でも思うが、長年の思考方向はなかなか変えられるはずもなく。
 あわてて散らばった硬貨を拾い集めていると、やさしそうなおばさんが一緒に拾い集めてくれたらしい。
「はい、お嬢ちゃん。気をつけな」
 おばさんはあらかた拾い集めた硬貨をシルファに差し出した。
「あっ、ありがとうございます!」
「あたりまえのことだよ、気にしなさんな」
「……と言うのなら、その懐に隠したものも返してやったらどうだ?」
 割り込んできた男の声に驚いてそちらを見ると、銀髪に赤い目、褐色の肌にヒヨコプリントの暖色系エプロンをつけたあの青年がおばさんの腕をひねり上げていた。
「何よ、なんか文句あるっての!? ちょ、触んじゃないよこの痴漢! 誰かー!」
「警邏を呼ばれたら困るのはそっちだと思うが?」
 ――なに、この絵。笑っていいのか、いやだめよね……とシルファは思わず遠い目をした。
「おいあんた、ぼけっとしてる場合か。中身きちんと調べろ!」
 青年の厳しい叱咤の声。
 だってあなたの格好があまりにミスマッチで、とは言えずシルファは財布の中身を調べた。
「あっ、指輪がない!」
 アスランから預かった大事な銀の指輪がない。なくさないように、と財布に入れていたのにどうしよう、と真っ青になってると、
「ほら、これだろう」
 青年からぽん、と渡されたのは、その大事な指輪だった。
「あ、りがとう、ございます……!」
 ある意味お金よりも大事なものだ。ほっとして涙ぐむシルファに青年はため息をつき。
「そんなに大事なものなら、チェーンでも付けて首から下げたらどうだ。そうすればチェーンが切れない限りなくすことはない」
 とアドバイスまでしてくれた。シルファはこくこく、とうなずく。
 ――あとで兄さんに、お買い物一緒に行ってくれるようにお願いしよう。そう思った時。
「なんだぁ、騒がしいなと思って見にきてみりゃ、シルファちゃんじゃないか!」
 とても懐かしい声が耳に入ってきた。シルファは顔を上げ、その人物を見て。ついに涙をこぼした。

「よ……ヨハン兄さんっ……!」
「よっ、シルファちゃん。元気そうだなぁ。あれ、リヒトはどした? 一緒に来てんだろ?」
 赤毛にがっしりとした体躯の、ゴードンおじさんによく似たその人は、抱き付いてきたシルファの頭をがしがしとなでてくれた。 
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