トゥフカ・サーガ〜約束の地〜

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  邂逅  

 シルファが不意に現れたヨハンに縋り付いていると、バタバタと数人の男たちが駆けつけてきた。一人を除き、みな一様の装束で帯剣している姿を見るに、たぶん警邏の者たちのようだ。服の違う一人は、きっと警邏を呼んできてくれた人なのだろう。
 彼らは慣れているらしく、すばやく状況を把握すると、二人の泥棒に縄をかけ、花屋の少年を含む取り押さえていた人たちに事情を聞いている。
「さっきは災難だったわねぇ。怖かったでしょ。お嬢ちゃん、大丈夫?」
 やさしく声をかけてきたのは、花屋の店長だ。そばには少年もいる。
「あ、はい……あの子と、えっと……銀髪のお兄さんが、助けてくれましたから」
「今回はオイラたちがいたから良かったケドさ、気をつけなきゃダメだよー? おねぇさんカワイイし素直そうだから、すぐカモにされちゃう」
 少年が笑って忠告する。『カモにされる』の意味はよく分からなかったが、とにかくシルファがうなずくと、ヨハンからこつん、と軽く頭を叩かれた。
「そうだぜ。ここは……ってかどこでもだけど、ティエル村とはやっぱり違うんだ。常識とか、慣習とか、いろいろな。これから世界中を旅するんだろ? だったらもっと注意深くなんねーと」
「うん……ごめんなさい、ヨハン兄さん。あと、君……ありがとう」
 神妙な顔でヨハンに謝ってから、少年と目を合わせて礼を伝える。すると少年はまた笑って「いいのいいの、次から気をつけてくれたら」と手を振る。
 もう一人の青年にも礼を、と思ったが、あたりを見渡しても彼の姿がない。あれだけ目立つ身なりをしていたのに。
「あ、ひょっとしてアニキ……銀髪のお兄さんのこと探してる? アニキ基本的に目立つのあんまり好きじゃないのね。だからもう店に戻ってると思うよ」
「え、あの姿かたちで? そんなん無理だろ?」
 目立つの好きじゃないってそんな無茶なと思っていたら、ヨハンも同じことを思ったようだ。
「いやオイラもそう思うけどさぁ、こっちにもイロイロなジジョーってやつがあるのさ。気にしないでくれると嬉しいな」
 少年がぱちんとウィンクする。なんと言っても助けてくれた恩人だし、深く突っ込むのはやめておいたほうがいいだろう。
「じゃあ、あの人にありがとうって言ってたって、伝えてくれる?」
「オッケーオッケー了解しました!」
 シルファが少年と視線を合わせてそういうと、少年がぐっと親指を立ててうなずいた。
「そういやシルファ、リヒトは?」
 ヨハンの問いかけにシルファはばつが悪そうにうつむいて、「周りのお店が気になっていたら、いつのまにか、はぐれちゃって……」と真実を話す。
「んなっ……あンの馬鹿、あれほど……!」
「お話中失礼いたします。あなたが被害者の方ですね? 少しお話を伺いたいのですが……」
 激昂しかけたヨハンを遮るように話しかけてきたのは、警邏の一人だ。申し訳なさそうにしているところから、話が終わるまでしばらく待っていたのだろう。だが新しい話が始まりそうになったため、慌てて声をかけてきたようだ。
「えっと……」
「すまない、この子は……あ、俺はこの子の身内だが、この子は今、連れとはぐれて少し混乱してる。落ち着いてからにしてもらいたいんだが」
 あちこちに視線をさ迷わせたシルファを見て、ヨハンが警邏の彼に答える。シルファが視線をさ迷わせるのは、意味や事態が良く飲み込めておらず混乱している場合だと、シルファのもう一人の兄は良く知っていた。
「そうですか……しかしこちらも仕事でして。申し訳ないとは思うのですが、さすがに一方の話だけ聞いて罪状を決めるのは問題ですし。お茶も出しますし、あなたが一緒に来ていただいてかまいませんので、すぐそこの我々の詰所までご足労いただけませんか?」
 もちろん妹さんが落ち着かれるまで、無理に聞きだしたりはいたしません。と彼は続けた。
「でも……リヒト兄さんが……ここを離れたら……」
 迷子の時はその場所を離れない、というアスランの教えを思い出す。その声は不安でか細い。
 あっちがたてばこっちがたたず。困り果てた警邏の彼が口を開いた、そのとき。
「ああああああああよかったあああああシルファいたあああああああ!」
 忘れもしないリヒトの大声がして、だーっとシルファの前まで走りこんで来た。ぜいぜいと息を切らして、だがほっとしたように膝に手を当てて崩れ落ちる。
 そしてばっと顔を上げ、シルファに小言を――
「すっげ心配したんだぞ! ったくシルファ、あれだけ言っただろ、オレから離れるな、って……」
 ――小言を言おうとして、リヒトはシルファの隣に立つ、赤毛の大男を発見した。してしまった。
「いようリヒト。久しぶりだなぁオイ」
 にっこりと、しかし凶悪な雰囲気をまとう赤毛の大男ことリヒトの実兄ヨハンは、次の瞬間目にも留まらぬ速さで弟にこぶしを振り下ろした。
 ごん、とかなりいい音がして、リヒトが声もなくうずくまる。
「な、……なんで兄ちゃんがここに……うう」
「なんでもクソもあるかい。ここは兄ちゃんが暮らしてる街なんだ、いておかしいことがあるか我が愚弟よ。ん?……だいたいシルファちゃんから目を離すなんざ、大ボケもいいとこだ。また迷子事件再現する気か?」
「ヨハン兄さん、兄さんは悪くないの。私が見失っちゃったのが悪いんだから……」
 ここで大説教が始まるのもなんだし、まず自分が悪いのは確かなので慌ててシルファはヨハンを止めた。
「あの……」
「いやしかし、兄ちゃんが見つけてくれて助かったぜ。ありがとな」
 心底ほっとした様子でリヒトが笑う。
「あのう、もしもし?」
「俺じゃないぞ。なんか花屋のあたりが騒がしいと思ったら、シルファちゃんスリに遭いそうになって大騒ぎになってて――」
「何だって!? お、オレがちゃんとシルファのこと、気にかけてなかったから、」
「あのー、すみません!」
 ヨハンとリヒト、二人の掛け合いに大声で割り入ったのは、警邏の彼である。リヒトに会えた喜びと、すぐに始まった二人のやり取りですっかり存在を忘れ切っていた。彼にとっては申し訳ないが、それだけほっとしたのだ……ということにしておいて欲しい。
「え。あんた誰?」
「リヒトお前さぁ……いや、いいや。えーとすんません、何の話でしたっけ?」
 きょとんとするリヒトと素ですぐ前のやり取りを忘れているヨハンに見つめられ、警邏の彼はがっくりと肩を落とす。
「……私は警邏の者です。ちなみに名前はギュンターと申します。被害者のこの娘さんに、話を聞きたくてですね……詰所までご足労いただきたいのです……」
 そうだったそうだった、と手を叩くヨハン。
「いや、すまないギュンターさん。えっとシルファちゃん、大丈夫そうか?」
「うん、兄さんにも会えたし。兄さんもヨハン兄さんも一緒でしょ?」
 シルファももうすっかり落ち着きを取り戻したようだ。声に力が戻っている。
「もちろん行くぜ! またはぐれたりしたら厄介だからな!」
「うん、じゃあみんなで行こうか。やー、本当にすまなかったな、ギュンターさん」
 白い歯を見せて笑いながら肩を叩いてきたヨハンに、警邏……ギュンターはこっそりと、深い深いため息をついた。
 それが安堵のため息なのか別の意味があるのかは、神のみぞ知る。

 調書を取り終えて詰所の外に出たときには、もう昼もだいぶん過ぎ、夕方に近かった。ヴェルクシュタットにたどり着いたのが早朝と呼ぶには少し遅く、昼と呼ぶにはずいぶん早い時間だったから、結構な時間騒ぎに巻き込まれていたようだ。
「ご協力、ありがとうございました」
 びしっと敬礼するギュンターに、シルファは首を横に振った。
「手を煩わせてしまって、ごめんなさい。お茶、おいしかったです」
「首都に来て早々、災難でしたね。せめてこれからの滞在の間は、良いことが続きますように」
 ちょっとだけ疲れたように笑ってそういったギュンターに心からお礼を言い、三人は詰所を辞した。

 先導するヨハンにくっついて行くかたちでリヒトとシルファが歩いていると、シルファのおなかからぐぅ、きゅるるるるー……と情けない音がした。
「ぶっ……! いやいやスマン、そうさな、昼飯も食ってないもんな。安くてウマイ俺オススメの店に行こうか。兄ちゃんがおごっちゃる」
 笑いながらヨハンは顔を赤くしたシルファの頭をぽんぽんと叩く。
「マジで! やったーラッキー、オレも腹ペコだったんだ!」
 全開の笑顔で両腕を上げるリヒトに、ヨハンはお前は少しは遠慮しろ、と頭を軽く叩く。
 そしてまたヨハンに先導されちょこちょこと付いて行くと、ヨハンがとある建物の前でちょっと待ってろ、と言いおいて建物に入って行った。
「ヨハン兄さん、どうしたのかしら?」
「あー、ここ兄ちゃんが住んでるとこだから、財布でも取りに行ったんじゃね?」
 なるほど、とうなずいてしばらく待ってると、すまんすまんとヨハンが戻ってきた。
「大丈夫よ、そんなに待ってないから」
 にっこりとシルファが笑うと、じゃあ行こうかとヨハンが足を進める。
 ヨハンに付いて行ってたどり着いた場所は、大衆酒場だった。まだ夕飯には早い時間だからか空席が多かった。
「いらっしゃーい、お好きな席へどうぞー」
 スタイルのいい給仕のお姉さんにしたがって、三人は手近なテーブルに付く。
「好きなもん頼んでいーぞ」
「おう、遠慮なく……って高っ!?」
 ウキウキとメニューを開いたリヒトが目を剥く。シルファもリヒトの脇からメニューを覗き込んで絶句した。
「ティエル村から出たばっかだから分からんでもないが、はっきり言って安い部類の店だかんな、ここ」
「嘘だろ!?」
 苦笑するヨハンにぎょっとしたリヒトが今度は頭を抱える。
「あのな、ティエル村と曲がりなりにも大国の首都のヴェルクシュタットで物の価値が同じなわけないだろ? そういうもんなのさ」
「……慣れるしかないのね……」
 ううむ、うなったシルファにヨハンはうなずいた。
「でも、こんなに高くて兄ちゃん大丈夫かよ?」
 リヒトの言葉にヨハンは笑いながら軽くごん、とリヒトの頭を叩いた。
「だから安い部類の店だっつの。つか兄ちゃんの稼ぎを馬鹿にするなよ。そりゃーまだ親父には敵わんが結構稼いでんだぜ?」
 だから心配せんとさっさと注文しろ、と言われリヒトとシルファはメニューに没頭する。
 その中に鴨のローストというメニューがあり、そういえば、とシルファは首をかしげた。
「ねえ、兄さん」
「ん?」
「鴨にされる、ってどういうこと?」
「は? カモ? 何の話?」
 きょとんとするリヒトとヨハンに、シルファは先ほどの少年に言われたことを説明する。
「私が鴨みたいな顔してるってことなのかしら……フクザツだわ」
「ああ……そりゃ意味が違うわ。確かにモトネタは鳥の鴨だけど」
 苦笑したヨハンが説明することには、つまり与しやすい、だましやすい相手のことらしい。
「シルファちゃん純粋培養だからなぁ。つかリヒトもだけど。ティエル村は平和だからな。事件と言えばお隣さんの羊や牛が集団脱走したとか子どもが迷子になったとか、そんなもんだしな。ま、でも気をつけるに越したことはねーよ。平和なとこばっかじゃねーから」
「……そうね。気をつける」
「そうそう。じゃ、メシにしよーぜ! おーいおねーさーん」
 二人でヨハンや給仕のお姉さんにこれはどんな料理か、オススメはどれか、などと聞きながら注文を終わらせ、先に来た食前酒(とはいえ未成年のリヒトとシルファは果汁だ)を口にする。
「そうそう、シルファちゃん。誕生日おめでと」
 ヨハンがシルファの前にとん、と小さな包みを置いた。
「えっ……覚えててくれたの?」
「あったり前だろ? 可愛い妹分の誕生日を忘れるかよ」
「ありがとうヨハン兄さん! 開けていい?」
「おう、気に入ってくれるといいけどな」
「兄さんの気持ちだもの、気に入らないわけがないじゃない。……わぁ、可愛い……!」
 包みを開けて出てきたものは、小さな髪留めだった。花を象った銀の土台の中央に、小さな紫水晶がはめ込まれている。
「これ、高かったんじゃないの……?」
 小さいとは言え紫水晶だ。月の数えに使われている石(玉)は、やはり通常のものよりお高めなのだ。
「気にすんなって。……実はダチに宝石職人見習いがいてさ。小さすぎて使えんもんをお安く譲ってもらって作ったんだ」
 だからそんなに高くない、と言われても根が小市民のシルファには困る。
「いや、せっかくのにーちゃんの気持ちなんだから、受け取ってやれよシルファ。でないと逆に失礼だぞ」
「リヒト兄さん……そ、そうかな?」
「うん、せっかくかっこつけてプレゼントしたやつなんだから、受け取ってもらわないと困るな」
 リヒトとヨハンが畳み掛けてくる。確かに気持ちを断るのは(好きでもない相手とかなら話は違うが)失礼だ。
「……うん、そうね。ありがとうヨハン兄さん」
 にっこり笑って御礼を言い、明日から早速つけてみようかしら、と考える。
「ところでにーちゃんよ」
「なんだ弟よ」
「オレの誕生日さー」
「うむ、覚えておる。金剛石の月の三日だったな」
「もうあとひと月ないんだよねー」
「そうだな、おめでとう」
 うむうむ、と腕を組んでうなずくヨハンに、リヒトは目を吊り上げた。
「だっから! オレのたんじょーびプレゼントは!?」
「ヤローに贈るプレゼントなどないわ!」
 即答だった。リヒトはひでぇ、とつぶやいてがくりと頭をテーブルに落とした。
「てのはジョーダン。ほれ弟よ、機嫌を直せ」
 そのリヒトの頭にぽんと置かれた皮の袋。リヒトは慌ててその袋を手に取り口を開くと、そこにはベルトのバックルが入っていた。
「サンキューにーちゃん、愛してるー!」
「はっはっは、男に求愛されても嬉しくないぞー弟よ」
「でもオレのは月の石ないのな」
「あのな。お前の石は金剛石だろ。たとえカケラだって五大石のひとつがそう簡単に手に入るかっての。それでも翡翠なんだぞ、お守り代わりじゃ」
 ヨハンの言う五大石(玉)は紅玉・青玉・黒珠(黒真珠)・白珠(白真珠)・金剛石のことだ。なかなか採掘されないため流通そのものがあまりなく、色が濃いものや球形に近いものほどお高くなる。ちなみに紅玉と青玉、黒珠と白珠は色が違う同じ石(玉)のため、三大石(玉)と呼ばれることもある。
「それもそっか。とにかくサンキューな、にーちゃん!」
「おうよ」
「お待たせしましたー!」
 その会話が終わるのを待っていたかのように、注文の品がどーんと到着した。
 料理はヨハンや給仕のお姉さんが言ったとおり、ほっぺたが落ちるほどおいしかった。

 ご飯を食べ終わった後しばらく懐かしい話で盛り上がり、ヨハンの口利きで少し安くしてもらった宿でヨハンと別れ、軽く湯を浴びたあとは二人とも、数日振りの柔らかベッドでぐっすりと夢の中に落ちて行ったのであった。
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