トゥフカ・サーガ〜約束の地〜

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  邂逅  

 アスランと別れた後、シルファとリヒトは、ヴェルクシュタットへの途(みち)を歩む。
 森は地図で見た限りは、すぐに抜けられそうに思われたのだが、実際にはそう甘くなく、まるで森が延々と続いているのではないかと思われるほど長い道程に感じられた。はじめのうちは談笑など交しながら歩いていた二人だったが、やがて話す気力も失せてしまい、時折木陰で休憩を取りながらも、ついには黙々と歩みを進めるだけになってしまっていた。
 今は真冬といえど、こう長く歩き続けては、徐々に身体が汗ばんでくる。二人は不快感に襲われながら、ただひたすらに森が途切れるのを待ち望みながら歩き続けていた。
 どれだけ時が経ったのだろうか、木々の間から雪がひらひら舞い降りてきたのを合図に、辺りは黄昏が染め上げてゆく。
「もうすぐ夜になるな……シルファ、もうちょい広い場所に出たら休もうぜ。……野宿になるけど、大丈夫か?」
 リヒトは気遣わしげにシルファを見やる。
「うん、大丈夫……ちょっと不安はあるけど、きっと、これからは何度も野宿を体験することになる訳でしょ? だったら、早いうちに馴れておかなきゃ」
「……野宿程度でビビってたら、旅なんてできないよな、うん。んじゃ、もう少し頑張ろうぜ!」
 リヒトは意気込むシルファの姿にフッと笑みを浮かべると、足取り軽やかに歩き出した。

 そろそろと宵闇が辺りを覆い始めたので、闇に負けぬよう、カンテラに明かりを灯して路を進む。ほのかな明かりに白く浮かび上がる雪路は、長い道程と暗闇に心が折れそうになる二人の心を慰めてくれた。
 やや道が開けた場所までたどり着くと、リヒトは足を止める。
「さて、これから野宿とシャレこみますか!」
「ふふっ、兄さんたら……」
 リヒトは背負い袋から紋様が入った包みを出し、地面に広げる。その中身を組み立てていくと、それはひとつのテントになっていった。
 これは魔道具(魔力を付与された道具)である。見た目は大きめのテントにしか見えないが、魔除け獣よけの魔力がこめられており、おまけに物質強化の魔力も付与されている……とこれをくれた彼らの祖母、エレンはどこか自慢げに言ったのだ。
 テントを組み立て終えると、シルファは荷物から干し肉やパン、チーズ等の食料を取り出す。リヒトは旅のためにと用意していた火種を取り出すと火を起こし(焚きつけにする枝が時期柄湿っていて、何気に苦労した)、二人で食事をとった。
「ヴェルクシュタットって、結構遠いのね。こんなに森が続いているなんて、思わなかったわ」
「シルファは、オッサンの所までしか行った事なかったもんな。オレは小さい頃から父ちゃんにヴェルクシュタットまで連れ出される事があったから、知ってたけどさ……そのたんび、朝の暗いうちから叩き起こされて大変だったぜ」
「そういえば、おじさんと兄さんが一日中いない事があったけど……そっか、ヴェルクシュタットまで行ってたのね。兄さん凄いわ!」
「ハハッ、ま、まぁな……」
 自分に純粋に尊敬の目を向けるシルファに、リヒトは少しだけ罪悪感を覚えた。確かに父ゴードンに連れられてヴェルクシュタットまで行ったことは何度もあるのだが、小さいころは自分で歩いて行ったわけではなく、ほとんどゴードンの背に負ぶわれていたか、荷馬車に揺られていたのだ。
 ――そういや荷馬車のときは、振動で地味ーにケツが痛かったっけ……
「兄さん?」
「アハハ、そ、それより、そろそろ寝る準備しようぜ! 明日も早いんだからさ」
 リヒトは何やらはぐらかすような口振りでそう言うと、シルファに就寝を促した。シルファは不思議そうな顔をしつつも、素直に寝る準備を始めた。


 しん、と静まりかえっている闇の中、辺りには梟の鳴き声や狼の遠吠えがこだまする。
「いつになっても狼の声は耳馴れないわ……」
 ビクッと肩を震わせるシルファを見やり、リヒトはハハッと笑う。
「シルファは狼の遠吠え聞く度に泣いてたもんなぁ。このテントは獣や悪い奴が入れない、とかいう魔法がかかってるってばあちゃん言ってたし、大丈夫だって。それより、今日は歩き続けて疲れただろ? 早く休めよ。いざとなったら、ちゃーんとオレがシルファを護ってやっからさ!」
 リヒトは荷物から薄い毛布を二枚取り出し、一枚をシルファに手渡す。
「ありがとう。兄さんもゆっくり休んでね……お休みなさい」
「あぁ。お休み」
 シルファは毛布にくるまり、程なくしてスースーと小さく寝息をたて始めた。リヒトはシルファの入眠を認めるとフッと微笑み、大きく欠伸をもらす。
「オレもそろそろ寝よっかな……」

 いつしかうとうとと微睡み始めた頃、リヒトは雪をザクザクと踏み締めるような音と何かの息遣いに気付き、目を覚ました。
 もともとシルファとは違いリヒトは目覚めがよいほうで、一気に頭が覚醒する。よくよく耳を澄ませて気配を探った。
 ――狼か!
 やがて雪を踏み締める足音はどんどん近付き、唸り声まで聞こえてくる。
 ――いくらテントが頑丈で、獣避けになるとはいっても。群れに襲われたら、ひとたまりもないんじゃないか?
 
「いいかい二人とも。覚えておいで」

 祖母エレンがこのテントを二人に渡した後、深刻な顔をして、獣の本能には勝てないから十分注意しなさい、と付け加えたことを不意に思い出す。つまり、守護を突破してきたこの狼の群れは空腹なのだ。
 カンテラの灯りは弱々しくなっているが、周囲を見渡せる程度の光はある。
 ちらりとシルファを一瞥すると、毛布にくるまりながら「ん……」と寝返りを打っており、未だ夢の中にいるようだ。
「あれだけ大口叩いたんだ、早速シルファを危ない目にあわしちゃマズイよな、うん」
 ひとつ頷いて、リヒトは手斧(ハンドアックス)を腰に提げ、戦支度を始めた。いくら暗いからといって、カンテラを手に獣達に立ち向かうのは、こちらが絶対的に不利だろう。だがちらりと外を見た限り、食事の時に熾した火はまだちろちろと燃えている。これなら何とかなるかもしれない。
「シルファ、お前の事は、ちゃんと護ってやっからな…」
 そう呟くと、リヒトは腰にある手斧に手を当てて、そっとテント外へと出て行った。

 外では狼達がテントの周囲を取り囲んでいる。数にすると、ざっと六・七頭以上はいるだろうか。
 ――おいおい、マジかよ。こりゃオレ一人じゃ、無理なんじゃ……
 一抹の不安が頭をよぎるが、このままでは、シルファ共々餌食になってしまうかもしれない。顔から伝う汗を拭い去ると、リヒトは狼の群れへと駆け出していった。
「おいこらワン公ども、こっちだぜ!!」
 まず腰に提げていた手斧を群れに向かって投げ付ける。狼はサッと身をかわし、手斧は虚しく大木に突き刺さる。しかし、狼を怯ませるには充分だ。
 一頭の狼がリヒトに向かって飛び掛かってくる。
「あっちに行きやがれ!」
 リヒトは焚き火の中の薪を引っつかんで振り翳し、狼を退けようと試みるが、もう一頭の狼もリヒトに飛び掛かって来る。
 リヒトはチッと舌打ちし、簡易の松明とした薪を狼目掛けて放り投げる。火は狼の一頭へと燃え移り、キャウンと悲鳴を上げ、火をもみ消そうと雪に転がり出す。仲間がやられたと怒りを示した狼がリヒトの肩を目掛けて飛び掛かる。避けようとした行動が一拍遅れ、リヒトは右肩を噛み付かれクッと膝を折る。
「クッソ、……そう簡単に……負けて、たまるかよぉっ!!」
 苦痛に顔を歪めながらもリヒトは歯を食いしばり、狼の腹目掛けて拳を当てる。狼はギャンと声を上げてリヒトから飛び退いた。
 闇の中、他の狼たちが次々とリヒトに飛び掛かってくる。
「ヤバッ、油断した」
 リヒトは体勢を整える事ができず、ガタッと地面に崩れ落ちた。狼に組み敷かれ、リヒトはただ身体をバタつかせる事しかできない。
「……んにゃろ〜!!」
 狼の牙が自分に向けられた瞬間、リヒトは狼に思いきり頭突きをくらわした。狼は鼻先に打撃をくらい、またしてもギャンと飛び退いた。しかしすかさず次の狼が飛び掛かってくる。
「マ、マジかよ…」
 狼から受けた傷や疲労によって、最早身体が動かない。殺られる――と、リヒトは死を覚悟し、瞬間的に目を閉じた。
「兄さん!!」
 シルファの声と共にヒュッと風を切る音、続いてドッと音がした。
 ゆっくりと目を開けると、金の髪を靡かせる少女の姿が視界に入る。
「……シルファ……」
 リヒトは光の魔力を身にまとうシルファの姿にホッと息を吐き、間もなく意識を手放した。

 意識を取り戻したリヒトが最初に見たものは、涙で顔をぐしゃぐしゃにしたシルファだった。リヒトが気がついたのに気づき、さらに顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくる。
「ばかっ! 兄さんのおおばかっ! ひ、一人であんなたくさん……かなうわけないじゃない!」
 どうして起こしてくれなかったの、とばしばしリヒトを叩きながらシルファが叫ぶ。
「……し、シルファを危険な目にあわせるわけにはいかねーって……ホラ、みんなと約束したわけだし」
 しどろもどろと一人で立ち向かった理由を口にするが、シルファはまた「ばかっ!」と叫んでぽかぽかとリヒトを叩く。
「い、痛い痛い! シルファ、頼むからもうちょい手加減してく、」
「に、兄さんが死んじゃったら、どうしようって……こ、こわ、怖かったんだから!」
 悲痛な叫びに、リヒトはぎくりとする。
「……シルファ……」
「兄さんが守ってくれる、っていうのはっ……うれしい。で、でもね、だからといって兄さんが無理して……怪我するのは、見たくない!」
 私だって兄さんと同じよ、とシルファがまた叫ぶ。
「だ、だいたい……考えたくないけどっ! 兄さんがやられちゃったら、わ、私まで食べられてたわ! どっちにしろ、危ないじゃない! だから、起こしてくれたら……!」
「わかった、わかった。ゴメンシルファ、オレ自分の力、ちゃんと見極めてなかった。シルファをちゃんと起こすべきだったな」
「そ、そうよ、……こんなの、今回だけなんだからねっ!」
「ああ、わかったよ。……怪我、治してくれてありがとな、シルファ」
 ぽんぽん、とシルファの頭を軽く叩き、リヒトは笑った。
「……そういや、その狼たちはどうしたんだ?」
「……私、ちょこっと魔力暴走させちゃったみたいで……えへ」
 涙でぐっしゃぐしゃのシルファが今度は照れくさそうに笑う。リヒトが改めて回りを見てみると……
「こいつぁまた……派手にやったなぁ」
 おそらくシルファがいた辺りを中心に、地面は軽くえぐれてるわ木は若干焦げているわ、それは大変な有様だった。しかし確かに昔に比べれば『ちょこっと』だ。
 ――シルファの魔力が光でまだよかったと思うべきだろうな。リヒトはそう思った。もしも火の魔力だったら……考えたくない。
 とにかく、危機は脱した。リヒトが空を見上げると、まだまだ空は闇に包まれている。
「……まっ、とりあえずもう一回寝ようぜ。でないと体力持たないし。こんだけやったらもう狼もこないだろ」
「そうね……」
 二人はもう一度テントに戻り、毛布に包まった。
 すると戦闘の疲れか、あっというまにまどろみの中へと誘われて行ったのだった。
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