帝国年代記〜催涙雨〜

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  大海原を往く  

 翌朝、アメジストたちはレグルスに礼を言い、武装商船団のアジトへ向かった。
 相変わらず起伏の激しい、道なき道を歩き続けていると不意に石造りの壁が見えた。明らかに、人為的に作られたものだ。
「……ここね」
 中から大勢の人の気配がする。こんなところに町があるわけがないから、間違いなく武装商船団のアジトだ。運よく、ここは手薄な部分らしい。
 しかし、身長以上にある塀をどうやって乗り越えるか。
「多分、エンリケの奴は一番奥にいます」
「そうね、普通はそうなるわね。あっさり攻め込まれては困るもの」
「ですが、この壁を乗り越えたとしても……途中で海賊どもに襲われるでしょうね」
 リチャードが息をついた。思い出したようにジェイスンが口を挟む。
「まあ、勝手口みたいなもんがあるにはあるが……襲われるのは変わりないな」
「倒しながら行く、というのは……やはり」
「あんまり得策じゃないんじゃない? また逃げられちゃうかもしれないわ」
 ジェシカの突っ込みに、リチャードは眉間にしわをよせ、分かっている、と返す。
「なんとか、なるでしょう」
「は?」
 サジタリウスの静かな声に顔を上げると同時に、彼の周りを風精が舞い始める。
「私のあとに、すぐ続いてください。……突破します」
 にっこりと――とても邪気のない笑みを浮かべて、サジタリウスは壁に手を触れた。


 不意に外が騒がしくなり、エンリケは顔を上げた。
「おっ、お頭ぁ! 大変だあ!」
「大変なのは見りゃ分かる。何があった」
 エンリケはやれやれ、と机に手をついて、立ち上がる。
「しっ、侵入者――がっ」
 急を知らせた男は頭を叩かれ、舌をかみそうになった。
「ばぁ――っかかおめぇは! わざわざご丁寧に案内してんじゃねぇよっ!――ふん、陸から来るとはな」
 頭を抱えた男を足で払って転がし、エンリケは彼らの前に対峙した。
「どんな用できたのかはしらねぇが、歓迎するぜ。皇帝陛下ご一行サマ」



 目の前の身長以上にあった壁は、サジタリウスが触れた部分から音もなくぼろぼろと崩れ始める。
「さっ、サジ様……! こんなムチャしてっ」
「あのまま手をこまねいていたら、見つかるだけですからね。さあ、ぐずぐずしないで行きますよ」
 サジタリウスが腕を振れば風が巻き、逃げ遅れた男が血しぶきと絶叫を上げて倒れる。
 しかたない、とアメジストは腹をくくった。
「ジェイスン! エンリケが居そうな場所は分かる!?」
「だいたいは」
「じゃあそこまで案内を! リチャードとジェシカは横を守って!」
「分かりました」
「……できれば、私の足に合わせてくれるとありがたいのだけれど」
 ぼそりとつぶやくと、ジェシカが笑って手を繋いでくれた。
 助けられてばかりで、なんだか情けない。――ジェシカたちはもともと軍人として訓練を受けているわけだし、比べるべくもないのは分かっているのだが。

 ジェイスンの道案内で、奥まった砦にたどり着く。他のよりも、大きい。
 さらに、中から騒ぎ声が聞こえる。
「ばぁ――っかかおめぇは! わざわざご丁寧に案内してんじゃねぇよっ!」
 そこにいたのは、探していた武装商船団の長。
「ふん、陸から来るとはな。……なんだ、誰かと思やあジェイスンじゃねえか。ようやく俺の下につく気になったか?」
「まさか」
「だよな。……ま、どんな用で来たかはしらねぇが、歓迎するぜ。皇帝陛下ご一行サマ」
 一言で切って捨てたジェイスンに対してにやりと笑う――くだらないやり取りをしているように見せかけて、さっと視線をこちらに巡らせたのにアメジストは気づいた。
 値踏みされている。直感で悟った彼女は、少し様子を見ることにした。
 エンリケの視線がジェイスン、サジタリウス、リチャードと移り、ジェシカを目に留めた瞬間、ヒュウ、と下品な口笛が上がった。
「おうおう、キレーなねえちゃんじゃねえか。よう、ねえちゃん。俺の女にならねえか? 苦労はさせねえぜぇ」
「絶っ対イヤ!」
 やに下がった顔を間近で見せられるのは厳しい。若い女性であればなおのこと。ジェシカは条件反射でバッサリと切り捨てた。
「ちぇ、おっかねぇの。けど気の強い女も嫌いじゃねえぜ。なよなよしてすぐ泣く女よかよっぽどいい」
 エンリケがにじり寄る分だけ、ジェシカは後ずさる。脱兎のごとく逃げ出さないのはアメジストが背後にいるからと、ここが敵の本拠地だからだ。
 たまりかねたように、間にリチャードが割り込んだ。
「んだ、邪魔すんじゃねえよ」
「嫌がっているだろう」
「嫌よ嫌よも好きのうちってね。ところで今の皇帝は女だって話だが、まさかあんたじゃねえよな?」
「違う!」
 アメジストは内心舌を巻いた。少しの間にすっかりあちらのペースに巻き込まれている。
 このままではいいようにあしらわれてしまうだろう。
「んーでもこのねえちゃんは違うっぽいしなー。じゃーそこのあんた」
「ほほう、私が女性に見えると。武装商船団のトップも見る目がないようですね」
「だよなー。こんなおっさんに見える女なんか嫌だわ」
「おっさんなのは認めますけど、あんたにだきゃあ言われたくないですね」
 サジタリウスはわざわざ言葉にとげを含ませるが、やはりエンリケは乗らなかった。
「はっはっは、俺だってあんたにゃ言われたかねえや。おい、嬢ちゃん、何とか言えや。嬢ちゃんが皇帝なんだろ? それともおっかなくてちびっちまってんのか?」
「貴様、陛下に対して失礼なっ……!」
「リチャード、いいから」
 激昂しかけたリチャードの腕を軽く引き、止める。
「ですが……」
「かばってくれてありがとう。でも、……これは、私がやるべきことなの」
「お供の力借りまくって、なにが「私がやるべきこと」だ。嬢ちゃん一人じゃなーんもできねぇくせして」
 チャチャを入れるエンリケを、アメジストはまっすぐに見据えた。
「……そのことに、なんの問題があるというの」
「……あんだと?」
「確かに、私は彼らの力を借りなければ、ここまで来られなかったわ。けれど、それは私の力でもある。あなたなら、分かっていると思うのだけれど」
 一瞬、空気が帯電した。
 鼻を鳴らして、エンリケは腕を組みなおす。
「……ただのお飾り皇帝って訳じゃ、ねぇみてぇだな」
 乗ってきた。
 だが、ここからが勝負だ。事前に得たエンリケという男の情報と、実際に相見えて感じた人となりからすれば、下手なおべっかや誉めそやしでは、容赦なく切られる。
 かといって恫喝も意味がないだろう。ここは敵の本拠地なのだ。数で押されれば、いつかは負ける。
「ま、ここまでたった五人で来られた土産に、話だけは聞いてやるよ。……要求は、なんだ?」
「……武装商船団の、解散」
「なんだと」
 とたんにエンリケの全身から殺気が放たれる。訓練された軍人であるリチャードやジェシカですら、一瞬身構えるほどの殺気。
「……と、言いたいところだけれど。単刀直入に言うわ。貴方たち、帝国軍に入る気はない?」
「ほっほーう……んじゃまあ、例え帝国軍に入るとして、だ。俺たちにどんなメリットが? そこのねえちゃんでも回してくれんのか」
「あら、それはだめよ。ジェシカは大事な部下ですもの。……必要なときはこちらの指示に従ってもらうけれど、普段は同じ生活をしてくれて構わない」
「皇帝陛下が略奪行為を見逃す、てか?」
「もちろん、目に余るようなら遠慮なく摘発するわ。けれど必要以上に貴方たちの行動には関知しない。……悪い話では、ないと思うけれど?」

「王者」二人の視線が、火花を散らす。
 先に目をそらした方が、負けだ。

……長い沈黙の後、先に目をそらしたのはエンリケの方だった。

「……合格、だな」
「えっ」
 ぼそりとつぶやいた言葉は聞き取れず、アメジストは目をしばたたいた。
「帝国にゃかなわねえな。っしゃ、今から俺たちゃ帝国軍としていくぜぇ!」
 おおっ、と周囲から声が上がる。
「よく、がんばりましたね」
 サジタリウスはほっと息を吐き、さっきの気迫はどこへやら、すっかり気おされているアメジストの肩に手を置いた。
「なにをぼうっとしているんです? あなたの望むとおりになったでしょうに」
 そう。アメジストが考えていたこととは、武装商船団を帝国軍にすることだったのだ。
「あ、そ、そうですね、そうだわ。なんか拍子抜けしてしまって……」
「あのエンリケ相手によく条件を飲ませましたね。上々じゃないですか」
 構えていた武器を下ろして、ジェイスンが少し笑う。
「陛下……」
「大丈夫よ、いくらなんでもあなたを売ったりなんてしないわ」
 情けない顔をしたジェシカの手をそっと握ると、リチャードが辺りを警戒しつつ、こちらに向き直った。
「陛下、本当に大丈夫でしょうか? 相手は海賊ですよ。いつ牙を剥くか……」
「そんなの、いつものことじゃない」
 アメジストは目を閉じた。物心つく前から、そんなことは日常茶飯事だった。
 もう、慣れてしまった。

「――いつもの、ことよ」

 ひとつ頭を振って、もうひとつやらなければいけないことを考えてうんざりする。

 やらなければいけないこと、とは。
――帝国軍を預かる元帥、ルイに武装商船団の帝国軍入りを認めさせることだった。
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