帝国年代記〜催涙雨〜
閑話休題
一瞬、頭がくらりとする。思わず息を詰め、目を閉じた。
「陛下。……どうかなさいましたか?」
目を開けずとも声だけで分かる。ジェシカだ。
アメジストは目を開いて、首を横に振った。
「大丈夫よ。少し疲れただけ」
「それならば、椅子にかけて少しでもお休みください。宴はまだまだ、続きますから」
「ええ……」
ジェシカに促されて、壇上の椅子へ腰掛ける。側にジェシカが控え、サジタリウスもこちらにゆったりと歩いてくる。
それを確認したのか、リチャードがジェイスンを半ば引っ張るような形でやってきた。
面倒くさそうなジェイスンの顔を見た瞬間、さっきと同じ痛みが胸を刺した。
同時に踊り子たちを眺めていたジェイスンの表情を思い出し、言いようのない感情がぐるぐると渦を巻く。
「あら、ジェイスン。女の子たちはよろしいの?」
まったく意図しない言葉が唇からこぼれる。
自分自身、その言葉に驚いてしまったが、面倒そうな表情はそのままで大きなため息をついたジェイスンに一気に苛立ちが勝った。
「……何がなんだか知りませんが、いきなり絡むのはやめていただけませんか、陛下。酔っ払ってんですか」
「そんなわけないでしょう。私が酔っ払ってしまってはお話にならないわ。……さっき、あの女の子たちをうっとり見つめていたじゃない?」
心の中はぐちゃぐちゃで、何を言っているのか分からなくなる。
「はぁ?……そんな覚えはないんですがねえ」
「貴方、ああいう女の子が好みの子だったのね」
「……? オレの女の好みが、この場になんの関係があるんすか」
今度は心底不思議そうにアメジストを見つめるジェイスンの目に、さっきまでの勢いはそがれてしまった。
「……し、知らない!」
「ふふふ、まあそこまでにしてくださいね。傍から見ていると痴話げんかにしか見えませんよ?」
「なっ……!」
やんわりとしたサジタリウスの静止に、アメジストは口をぱくぱくさせた。
リチャードとジェシカは、二人を止めるタイミングをつかみかねていたようで、同時にほうっと安堵の息を漏らす。
そんな周りをかけらほども気にせず、ジェイスンはこめかみを押さえてため息をついた。
ふと視線を感じ、そちらを見やれば、ルイの連れていた娘がこちらを見ていた。
その深い緑色の目と視線が合った瞬間、娘はゆっくりと笑みを浮かべた。
――みどりいろ。
頭の芯がしびれるような感覚。どこか懐かしいような、違うような……
それを断ち切るかように、楽の音が新しい音を奏で始め――
「な、なんて歌を……!」
ジェシカが口元を押さえる。
その歌は、子どもの王族の話。
子どもらしい無邪気さで思い通りに権力を振るい、結局最後には処刑されてしまう歌。
少なくとも、この場で歌うようなものではなかった。
リチャードが厳しい顔で、剣の柄に手をかけるが、それをサジタリウスが押し留めた。
「サジタリウス!」
「落ち着きなさい! ここで直属近衛たる貴方が民に剣をふるってどうするというのです!」
「しかし……!」
緊迫した空気を感じているのだろう、楽を奏でる男も歌う娘も顔色がない。
それでも曲は続いている。
その楽が、止んだ。
「……あんたらの腕はたいしたもんだ。だが……この場にはふさわしくないな」
男が奏でていた楽器を取り上げたのは、ジェイスンだった。
呪縛をとかれたかのように、男も娘も放心状態で座り込む。
取り上げた楽器を爪弾き、ジェイスンは歌い始めた。
「……なによ、それ」
アメジストは一人ごちた。また、ぐるぐると感情が渦巻き始める。
その歌は、いったい誰に捧げるものなの。
朗々と歌われるその歌は。
――とろけるような、恋の歌、だった。
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