帝国年代記〜催涙雨〜
それぞれの、役割
鉱山の奥深く。
壁に取り付けられたたいまつに火を点しながら歩く。
「陛下……なんとなく、空気がよどんでいる気がしませんか?」
「……そういえば、そうね。なんだかちょっと気味が悪いわ」
「ここは風が通りませんからね、仕方ありません」
不安そうな女性二人の言葉に、周りの壁を調べていたサジタリウスが苦笑する。
「結構深くまで来ましたからね……少し休みますか?」
「……そうね」
ジェイスンの提案にアメジストはうなずいた。
それぞれ、思い思いの場所に腰を下ろす。もちろん、周囲の警戒だけは怠らないようにして。
「……あとどれくらい、続くんでしょうか……」
「多分、もうすぐ終りだと思う……でも、なんだか嫌な予感がするの」
アメジストは浮かない顔でつぶやく。が、すぐに頭を振って笑って見せた。
「……ごめんなさい、気のせいだと思うわ」
「いいえ」
それまで黙っていたリチャードが口をひらく。
「陛下の予感は、よく当たります。少なくとも今まで違えたところを私は知りません。ですから、十二分に警戒するべきかと」
「それじゃあ、陛下がいつも不吉な予言ばっかりしてるみたいじゃない」
ジェシカが眉をひそめると、リチャードは一瞬ひるんだ。
「そんな、つもりは……」
「ジェシカ、それはいいから。……サジ様? 何を熱心に見てらっしゃるんです?」
「え?……ああ、これですよ」
サジタリウスは手の中の石を見せた。
「私は、残念ながらあまり鉱石にくわしくありませんが……おそらく、これは原石でしょうね」
「これが? なんだか想像していたのと違うわね」
「以前、母がつけていたのを見たことがあるが……これとは全然違った。これがあんな風になるのか?」
二人が首を傾げると、アメジストが指をこめかみにあて、少し考え込んだ。
「えっと……磨くんだったかしら?」
「そうです。研磨、といいます。専門の技術工が加工して、初めて『宝石』となるんですね」
できのいい子どもを褒めるような優しい顔で、サジタリウスは続けた。
「他にもいくつもの工程をへて、ようやく店に並ぶような宝飾品となるんですね」
そこまで解説したところで、かえるが潰れたような声が上がった。
「……ジェイスン、頼むから髪を引っ張るのはやめてくれ……」
恨みがましいリチャードの声。
彼は何度も、ジェイスンから髪を引っ張られている。辞めろといっても本当に無意識にやってしまうらしく、なかなか直らない。
なお、彼の餌食(?)になるのは、髪の長いリチャードとアメジストだけである。
「あ、すまん。いや、それどころじゃなくなったようだからな」
静かに立ち上がったジェイスンにならい、リチャードとジェシカも立ち上がって辺りを警戒した。
遅れてサジタリウスも立ち上がり、アメジストも慌てて立ち上がる。
「……少し、うんちくが過ぎましたね」
「サジ様? どういうことですか」
「わかりませんか?……敵がいるんですよ」
厳しい声音でささやく。驚いてアメジストがぐるりと視線をめぐらすと、暗闇に光るものと目が合った。
「陛下、こちらに。壁を背にしてください」
壁を背にすれば、後ろからの攻撃を気にしなくて済む。言われたとおりに下がると、サジタリウスがやや斜め前に、ジェシカがすぐ前につく。
灯りをはさんで、前にジェイスンとリチャードの二人。つまり、灯りを中心に半円を描くような形になっているわけだ。
「暗いな。よく見えない」
「こっちに誘い込むしかないか。乱戦は避けられないが……」
前の二人が視線だけはそのままに、ささやきあう。
「待って、灯りなら私がなんとかするわ」
そう言って、アメジストはすっと指を空で踊らせる。
地面に置かれた灯りから炎が顔を出し、ふわっと天井付近にたゆたった。
そのおかげで相手の全体像は見えたのだが。
「……こ、れは……」
ぬめぬめとした肌。ぎょろりと飛び出した目。そしてなによりも、手足(?)についた水かきと吸盤。
「…………かえる?」
そこに鎮座ましまししていたのは、大きさこそ違えど紛うことなく、正真正銘の、『かえる』であった。
「ちょっとあんたたち、なんとかしなさいよ!」
「そんなこと言ったってだな、その、なんだ、なんと言うかだな……」
口ごもるリチャード。その様子を見てジェイスンが一言。
「……素直に気味が悪いと言ったらどうだ?」
「な、そんな事あるわけが……」
図星だったらしい。
その隙をぬって、べろーんと舌を伸ばして攻撃してくるかえるから身をそらしたとたん、叱責の声が上がった。
「しっかりしなさい、あんた男でしょ!」
「そういう問題か!」
「なによ、じゃあ軍人らしくしなさい! 性別は自分じゃあどうしようもないけど、軍人という職業を選んだのはアンタでしょ!」
「そっ……」
畳み掛けるジェシカにリチャードは言葉をなくした。
「お前の負けだな」
ジェイスンは半分笑いながら突進してきたかえるを盾であしらい、斧の一撃を加える。
なんともいやな手ごたえがして、かえるの血が飛び散る。
思い切りしかめっ面をしたリチャードは唇を噛んだ。
「くっ……なんで、」
いつもジェシカに勝てないんだ、とは言葉にしなかった。かろうじて。
ぬめぬめしたその皮膚は、思ったよりも攻撃が効きにくかった。サジタリウスの風術、アメジストの火術で傷ついたところを中心に攻撃を叩き込む。
ようやく一匹を倒したが、残りのうち一匹が二人の攻撃をすり抜けた。
「!」
とっさにアメジストは持っていた剣を握りしめる。その横から、ジェシカが風のように飛び出した。
剣を一閃。
次の瞬間、かえるは断末魔の悲鳴をあげて崩れ落ちた。
「……あら」
次の一撃のために身構えたジェシカは、拍子抜けな声をあげる。
「なによ、簡単じゃない。ちゃんとやんなさいよあんたたち」
「…………」
「……さすが、戦乙女と呼ばれるだけのことはあるな」
みごとに面目丸つぶれとなった男二人は、同時にため息をついた。
宝石鉱山に巣食うモンスターを退治したということで、村人たちからは大いに感謝され、ティファールは帝国へなおいっそうの忠誠を誓ってくれた。
さすがに連日戦い尽くめ、しかも慣れない鉱山の中で、ということでその日はさっさと休み、次の日アバロンに帰ることになった。
翌朝、目覚めたアメジストが階下の食堂に降りていくと、誰かの話し声がした。
そちらのほうに目をやれば、ジェイスンの背中と、向かい合う老婆(と子どもたち)の姿があった。
「ジェイスン、その方たちはどなた?」
「陛下」
アメジストが声をかけると、老婆の目が見開かれ……拝まれた。
「まあ、まあ、皇帝陛下にお目にかかれるなんて……長生きはするものですじゃ」
「ばっちゃん、そうじゃねーだろー」
「これ、おだまり。恐れ多くも皇帝陛下の御前じゃぞ!」
男の子をしかりつける老婆に、アメジストは手を振った。
「ああ、いいのよ。気にしないでちょうだい。……それで、いったいなにがあったの?」
「はあ。お城に、私の孫がお勤めしておりまして。その子のおかげでこの子たちも学校に通えて、ずいぶんと楽に暮らせ――おやおやすみません、年をとると話が長くなって」
老婆はテーブルの手紙を指した。
「その孫に手紙をですな、この子らが書いたもので。こちらの兵士さんに手紙を届けて欲しいとお願いしておったところです」
「まあ、そうだったの。それで、そのお孫さんのお名前はなんとおっしゃるの?」
アメジストはジェイスンの隣に腰掛けて、老婆に微笑みかける。
「ええ。シーシアス、と申しまして……」
「シーシアス!?」
驚いた二人は顔を見合わせた、その時。
「陛下? 起きていらっしゃったのですか?」
残りの三人が降りてきた。
「随分とお早いようですが、眠れませんでし……」
リチャードの言葉が、不意に途切れた。自然、リチャードにみなの目が集中する。
……リチャードの足には、小さな女の子がしがみついていた。
「な……」
なんだこの子どもは、と続けようとした彼の言葉は、ついぞ出ることはなかった。
なぜならば。
「あたし、この騎士さまのおよめさんになる!」
と、声高らかに宣言されてしまったからだ。
一時、沈黙が降りる。
「な、な、なっ……」
「ねーねーいーでしょ? 騎士さま!」
「そ、そうは言っても……私と君とでは歳が離れすぎているし……」
「としなんてかんけいないわ!」
リチャードもさすがに小さな子ども、しかも女の子に強気には出られずおろおろするばかり。
ある意味笑える場面だが、まさか笑うわけにもいかず、代わりにアメジストは頭を抱えた。
結局女の子は老婆に説得され、しぶしぶながらも彼のそばから離れ、帰っていった。名残惜しそうに振り返りながら。
「……リチャードったら、ずいぶんとおもてになりますのね」
「ジェシカ、たとえ冗談でもやめてくれ……」
リチャードは深い深いため息をついた。
「お戻りでしたか、皇帝陛下」
かけられた声に振り向くと、金髪長身の男が腕を組んで立っていた。
その姿を見てリチャードとジェシカが畏まって礼をする。
「まずは生きてお帰りいただけたこと、お喜び申し上げます」
「無礼な。いくら先帝陛下のご子息とはいえ、皇帝陛下に対してなんという物言いを」
「サジタリウス、いいから。……それは、皮肉かしら? ルイ大公」
眉をひそめるアメジストに対し、彼は大げさに肩をすくめてみせる。
「とんでもございません」
「では、何が言いたいの? 奥歯にものの挟まったような言い方は不愉快だわ」
「それでは、失礼して。直属近衛兵のことですが……サジタリウスはともかくとして、他の者は軍人、つまり私の配下。勅命とあればしかたありませんが、軍を預かる身からすると、あまり長い間拘束されるのは困りますな。他のものにも示しがつきませぬゆえ」
穏やかに言っているようで、目には冷たい光が浮かんでいる。
一瞬の交錯。
「……そうね、できる限り考慮するわ。リチャード、ジェシカ。お行きなさい」
「しかし……」
「私は大丈夫だから、お勤めを果たしなさい。本当は、お休みをあげたかったのだけれど」
「その辺は考えておりますのでご心配なく。それでは御前、失礼を……」
ルイは一礼して、ふとジェイスンに目を留めた。
「君は確か……ジェイスン、だったな。君も持ち場に帰りたまえ。もう少ししたら巡回が始まるはずだからな」
言い放つが早いかルイはきびすを返し、歩き出す。リチャードとジェシカの二人もアメジストに一礼し、彼の後を追う。
「……ジェイスン、あなたも行ってちょうだい」
アメジストは彼の顔を見ないようにして、言った。
「行って。……あとで、シーシアスに手紙を届けに行くわ」
ふわりと、ジェイスンが笑う気配を感じた。
「……お待ちしてますよ、陛下。あいつはきっと、完璧には手紙を読めないでしょうから」
そうかも、と彼女は思った。きっと大喜びして、ひょっとしたら感涙にむせぶかもしれない。ここまで大きくなってくれたのか、とか言って。
でも、私は――私自身は、どうだろう?
「陛下」
サジタリウスの声にはっと我に返る。
「大丈夫ですよ。きっと、なんとかなります」
やわらかな彼の微笑。サジタリウスの言葉はアメジストに力をくれる。……そう、ずっと昔から。
「……はい」
サジタリウスはふっと目を和ませた。
「大丈夫ですよ。私が、きっと――あなたを……」
そのつぶやきは、前を歩くアメジストには聞こえなかった。
-Powered by 小説HTMLの小人さん-