帝国年代記〜催涙雨〜
それぞれの、役割
あれからしばらく戦い続け、サジタリウスとアメジストの魔力が底を尽きそうになったのを切っ掛けに、一旦ティファールへ戻ろうということになった。
鉱山から出たときには、すでに夕暮れ時。
あらかじめ取っておいた宿のホールでしばらくくつろいでいると、突然開けてあった窓から白い鳥が飛び込んできた。
鳥はくるりと部屋を旋回し、アメジストが伸ばした手にとまった。
「…………」
「あら、迷い鳥かしら?」
ジェシカがその鳥をしげしげと見つめる。鳥はジェシカを見て、首をカクッと直角に曲げた。
サジタリウスはその様子を見て、頤に指をあてる。
「ずいぶんと人に慣れている鳥のようですね。今頃、飼い主が探しているかもしれませんよ」
「それもそうですね。……ほら、御主人様のところへお帰り」
アメジストの言葉が分かったかのように、鳥はまた入った窓から出て行く。じっとそれを見送った彼女はくるりと振り向いた。
「ちょっと散歩に行ってくるわ。すぐに戻ってくるから、心配しないでちょうだい」
アメジストが散歩に出た後、何もやることがなかったジェイスンもふらっと宿を出た。
店の客引きに声をかけられたり、怪しげな露店を冷やかしたりしているうちに、こじんまりとした林にたどり着いた。
その静謐な雰囲気は、どこか懐かしく思えて。
ジェイスンはまるで招かれるかのように、林へと立ち入った。
「…………、……」
かすかな声らしきものが聞こえてジェイスンは立ち止まる。
耳をそばたてると、それは確かに人の声だった。しかも複数。
「……クロウ……」
先ほどよりもはっきりと聞こえてきたのは、聞き覚えのある名前と、声。
声の主を確かめるために声を辿ってみれば、そこにいたのは背中を向けた、茶色い髪をした人間。
よくよく見てみると、その人間の肩越しにアメジストの姿が見えた。
二人はなにやら話しているようなのだが、細かい内容までは聞きとれなかった。
その、聞こえなかったアメジストからの問いかけに、彼は首を横に振る。
「それは……できない」
「……そうよね……わがままいってごめんなさい」
うなだれるアメジストに彼は手を伸ばし、彼女の肩を抱きこんだ。アメジストも彼の背中に手を回す。
静かに抱き合う二人は、なぜかとても神聖なものに見えて。
とっさにジェイスンは木の陰に身を隠した。
――まさか、逢引の現場を見るはめになるとは思ってもみなかった。
ひどくざわつく胸のあたりを押さえる。とにかくここから離れなければ。そう、思った。
「……クロウ?」
いぶかしげなアメジストの声ではっと我に返る。次に聞こえた、ひゅ、と風を切る音。
反射的に飛びのくと、一瞬前まで自分がいた場所を黒い刀身が貫いていた。
「……あいかわらず、獣みたいなヤツだな」
目の前にはいつのまに移動したのか、クロウが小剣を構えて立っていた。
全く気づかなかった。アメジストの声と剣が風を切る音が聞こえなかったら、たぶん貫かれたのは自分だったろう。
「ジェイスン!?」
心底驚いたようにアメジストが口元に手をあてる。
「覗き見とはね。ずいぶんといい趣味してやがる」
「は……まさかこんなところで逢引してるとは、思いもしなかったもんでね」
皮肉っぽく笑うと、アメジストは目をぱちくりさせた。
「あいびき?」
「……そんな言葉は知らなくていい。……お前、どこまで聞いていた?」
小剣を構えたまま、クロウは目を細める。
アメジストにかけた声とは違い、ひどく底冷えるような声だった。
「断片的にしか。ほとんど聞こえなかった」
ジェイスンは正直に答えるが、彼は構えを解かなかった。
「誓って本当だ……信じてもらうしかないけどな」
「クロウ、ジェイスンは無駄な嘘をつくような人ではないわ。言ってる事は本当だと思う。だから剣をおろして? 別に私が危害を加えられたわけでもないのだから」
アメジストの言葉にしばし逡巡し、しぶしぶとではあったが剣を鞘におさめる。
「お前が、そう言うなら」
ちいさく息を吐き、クロウはアメジストに向き直る。
「気を抜くなよ。……敵は、どこにでもいる」
ほんの一瞬だけ、ジェイスンに視線をむけるクロウ。
「……じゃあ、な」
不敵な笑みを浮かべ、彼はそのままどこかへと立ち去っていった。
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