帝国年代記〜催涙雨〜

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  不協和音のソナタ  

 そうして短くて一月、長くて数月ごとのゲオルグの訪問の度にアメジストは喜び、必死に少しでも話ができるようにと頑張っていた。
 それがいつしか、少女は暗く沈む事が多くなり、それでもゲオルグへの手紙を書くときや訪問には笑顔を見せていた。
「あのっ、ソフィア王女……」
 アメジストが思いつめたような顔で声をかけてきたので、ソフィアは作業を止め――単なる手慰みの刺繍だ――、アメジストの顔を見た。
「何でしょうか、姫?」
「あの……その……げ、ゲオルグ王子が……」
「お兄様が?」
「はい、あの……ゲオルグ王子が喜ばれるものって、何でしょうか?」
 その問いに内心首をかしげ、ああ、と気づいた。
「お兄様の誕生日、ですわね?」
「……は、はい……」
 これ以上ないくらいに顔を真っ赤にして、アメジストははにかんだ。
「姫からもらえるのであれば、きっと何でもお喜びになりますわ」
「でっ、でも、その、えっと……」
 ソフィアは優しく微笑んだ。
「では、一緒にお兄様への贈り物を考えましょう。それでよろしいかしら?」
「は、はいっ! ありがとうございます……!」
 ソフィアは父に許しを得て、アメジストを連れて城下へ出た。城下のほうがいろいろなものが見られるからだ。
 きょろきょろと周りを珍しそうに眺めるアメジストに、ソフィアは声をかけた。
「姫は、城下は初めてですわね」
「は、はい……」
「はぐれないように、わたくしと手を繋ぎましょう。ね」
「はい」
 ソフィアが差し出した手をアメジストはしっかりと握り、二人はいろいろな店を回った。
 アメジストが持つお金は、子どものお小遣い程度だ。それでもその中で最もいいものを、と悩みに悩んで少女が選んだのは、真っ白な手巾だった。
 白い布は織るのに手間がかかり、その上色つきの布に比べて量が出回らないため、希少価値が高い。けれどゲオルグにはその白が似合うと言って少女は持っていたお金のほとんどをそれに費やした。
「ソフィア王女、どうしましょう。この白い手巾だけでは、私のお気持ちが伝わらないのではないでしょうか……?」
 城に戻ってから、途方にくれたようにアメジストはうつむく。そんなことはない、と慰めて、ソフィアはふと思いついた。
「姫。その手巾に刺繍をしましょう」
「え?」
「ここの隅っこに、お花の刺繍でもすれば、映えますわ。あと綺麗な袋とリボンに包んで。そうすれば姫の想いもしっかり伝わるでしょう」
「で、でも、私、お針はやったことがなくて……」
「大丈夫。わたくしがお教えいたしますわ。ね、頑張りましょう?」
 しばらく迷っていたようだったが、やがてアメジストはしっかりとうなずいた。

 刺繍ももうすぐ完成、ゲオルグの誕生日にも間に合いそうだ、というときに、ゲオルグは急にダグラスを訪れた。もちろんアメジストは喜んで、すぐにゲオルグに会いに行った。
「ゲオルグ王子、お帰りなさいませ」
「ああ、姫。お出迎えありがとうございます」
「……あの、お疲れ……ですか?」
 顔色の冴えないゲオルグを心配して、アメジストは声をかける。だがゲオルグは大丈夫、と言ってまた父ハロルドと話をしに行った。
 ゲオルグが私室に戻ったころを見計らい、アメジストはソフィアとトーマと共に、ゲオルグの私室を訪ねた。
「どうした、お前たち。姫まで揃って……」
 ゲオルグは目を丸くして三人を迎えた。アメジストは必死に思いを言葉に託す。
「あの、その……ゲオルグ王子、お疲れではないかと思って」
「それは先ほど、大丈夫だと言ったはずですが?」
「いえっ、その……わ、私でよければ、お話しください。お話しすることで、楽になることも、あると……」
「……姫」
 ふー、と深いため息をついて、ゲオルグはアメジストを見た。
「あなたには、関係のないことです」
「……!」
 ゲオルグの言葉に、アメジストの表情が泣き出しそうにゆがんだ。
「兄上! それはないのではないですか! 姫様は兄上を心配なさっているのですよ!」
 トーマが叫ぶ。いつもアメジストと二人で、ゲオルグがいなくて寂しいと語り合い、共に涙していた仲だ。
 ゲオルグはトーマに視線を移した。
「トーマ、お前にも関係がない。子どもが興味本位に首を突っ込んでいいことではないのだ。……ソフィア、お前も分かっているだろうに、なぜ止めない」
「お兄様、お言葉ですが……」
「……わたしは、」
 アメジストの凛とした声が割って入る。
「私は、ゲオルグ王子、あなたの婚約者です! あなたを知りたいと、あなたの負担を共に分かち合いたいと思うのが、どうしていけないのですか!?」
 それは悲痛な叫びだった。ずっとずっと、この少女は自分が何一つゲオルグの役に立てていない、と気に病んでいたのだ。
「では、婚約は私とではなく、トーマとすればよろしい」
 その答えに、非情な答えに、アメジストが蒼白な顔で息を呑んだ。トーマも絶句する。
「お兄様!」
「トーマとならば歳も見合うし、仲もとてもよろしいようだ。……姫と私の婚約は、国同士の事情によるもの。私からトーマに相手が変わったとて、問題はないでしょう」
「も……、問題大有りですわ! お兄様、あなたはいったい何を考えていらっしゃるの!」
 噛み付くソフィアに面倒くさそうに渋面を作り、ゲオルグは手を振った。
「ああ、もういいだろう。私は忙しいのだ、出て行ってくれ」
「お兄様――!」
「……私、お邪魔……ですか……?」
 ぽつりとつぶやいた、アメジストの声は震えていた。
 ゲオルグは渋面を作ったまま、また非情な言葉を吐いた。
「ええ。今現在は、とても邪魔です。あくまで私の婚約者でいたいというならば、私に従っていただきたい」
 おそらく、ゲオルグも疲れていた。だから大人気なくも苛立ちを抑え切れず、出してしまったのだろう。
 だがその瞬間、ソフィアは少女の心が壊れる音を、確かに聞いたのだ。
「…………お疲れのところ、はしたなくも押しかけてしまい、申し訳ありません」
 そう言ってカンバーランド式の礼をする少女の声は、一転してひどく乾いていた。
 ゲオルグはほっとしたように笑顔を浮かべる。
「ご理解いただけたようで、幸いです」
「では、これにて失礼……いたします」
 くるりときびすを返した少女は、振り返らなかった。
「姫様……!」
「ほうっておいてください!」
 あわてて追いかけようとしたトーマに厳しく声を上げ、アメジストは足早にその場を去った。

 その後トーマと二人でどれだけゲオルグをなじろうとも、ゲオルグが意見を変えることはなく、しまいには二人を部屋から締め出してしまった。
 その日アメジストは部屋に閉じこもったまま、ソフィアの訪問もトーマの訪問も頑として受け付けず、体調を崩したという理由で夕食の席に座ることもなかった。そして少女の不在を、ゲオルグはなんとも思っていないようだった。
「姫……少しでも食べないと、お体に障りますわ」
 夕食を少女の部屋、寝室の前まで持ってきたソフィアはそう声をかけて扉を開けようとしたが、しっかりと鍵がかかっていた。呼びかけに応える声もない。トーマも必死に呼びかけるが、返答はおろか一切の音が返ってくることはなかった。
「どうしよう、姉上。姫様、すごく傷ついたよね……泣いているのかな……」
 トーマがしょんぼりと、ソフィアの服のすそをつかんだ。
「姫様は、兄上が好きなのに。ぼくじゃ意味がなくって、兄上じゃないとだめなのに。どうして、兄上は分かってくれないんだろう。ぼくですら、分かることなのに……」
「そうね……」
 ため息をついて、ソフィアは考え込んだ。
 ――今は、わたくしたちの訪問も、負担になるかもしれませんわね。
「トーマ。しばらく姫をそっとしておいて差し上げましょう」
「でも……」
「わたくしたちがここにいることも、姫にとっては負担になっているかもしれません。分かりますね」
「……はい。でも、せめてご飯だけは……」
「そうね。……姫、お食事をここにおいておきますので、おなかが空いたらお食べになってくださいね」
 やはり、返答はない。
 二人はそっとため息をつき、その場を離れた。
 深夜、こっそりソフィアが部屋を覗いたところ、寝室の前に残して行った食事は手をつけられることもなくそのままで、すっかり冷え切っていた。
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