帝国年代記〜催涙雨〜

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  砂漠の国の占い姫  

 客が来た時に宿代わりにしているという空き家に落ち着いたころには、すでに夜に近い夕方だった。
 土を焼いて作られたと思われる床に敷かれた布の上にすとんと腰掛けると(ステップもそうだったが、サバンナには椅子に座る、という習慣がないとのことだ)、とたんにアメジストは動くのも億劫になってしまった。ここ数日の野宿が効いているらしい。
 しかしアメジスト以外は平気な顔をしている。同じ術士のサジタリウスまでもが平気そうな顔で動いているのを見ると、やはり自分は体力がなさすぎるのだなぁ、と思う。
「姫。お疲れでしょうから荷物は運んでおきますね」
「……っ、すみません、ありがとうございますゲオルグ王子」
 うっかり船を漕ぎそうになりあわててぶんぶんと首を振る。
「うーん、野宿続きはさすがに紫の君みたいなお姫様にはきつかったかな? でもせめてご飯食べてから寝ないと、おなかすいて夜中に起きることになるよ? 俺が起きてればなんとかするけど、みんながみんなバレンヌ口語が話せるわけじゃないからさ」
 それはさすがにせつな過ぎる。というか夜中、知らない人間に「おなかがすいたから何かください」と頼むのは、年頃の女性として……いや、成人として恥ずかしすぎる。
「……ハムバさん、ひょっとしてそれ、経験談ですか?」
「あっ、バレたー? あはは、チビのころの話だけどさ、俺よくご飯食べないで寝落ちしてたんだよね。あれはせつなかったなあ……」
 遠い目をしておなかに手を当てるハムバ。しかし彼の名を呼ぶ声にすぐに気を取り直し、すぐにご飯もってくるね、とアルタンと共に立ち去った。
 何度も呼ばれて答えるハムバの態度から、呼んでいるのはおそらく身内、女性の声に聞こえるからたくさんいるという姉妹たちかもしれない。アルタンを含めアメジストたちは、ハムバの名を最初にアクセントをつけて呼んでいる(二人がわざわざこちらにあわせてくれているだけかもしれない)が、サバンナでハムバの名の発音は、ム、にアクセントがかかるらしく。サバンナの民たちが彼を呼ぶ声はまるで歌っているようだと思った。

 ……み……おー……い。
 ……眠って……疲れていらっしゃる……
 ……でも……
 ……そうですね……
 ……しかたない……起こすか。

「待て! 貴様がむやみに姫に触れるな!」
「ひゃっ!」
 急に耳元で怒鳴られ、アメジストは文字通り飛び上がった。
「しっ、失礼いたしました姫! しかし、この男が姫に触れようとしたのでつい……」
 ゲオルグの弁明の声にはたとあたりを見渡すと、いつの間にかアルタンやハムバを含む全員がこちらをのぞきこんでいた。
「え、あれっ!? 私、眠ってしまっていました?」
「ええ、座ったまま船を漕いでいらっしゃいましたよ。よほどお疲れだったのですね」
「ごめんね、起こしちゃって。でもごはん食べないとだから」
 ばつの悪そうな顔でハムバが笑う。
「いえっ、ありがとうございます」
 そういえばおいしそうな香りがあたりを漂っている。不意にアメジストのおなかがきゅう、と鳴った。
「…………」
 これは恥ずかしい。恥ずかしすぎる。たぶん顔は真っ赤だろう。
「……ハムバ、私は大変腹が減っている」
 至極大真面目な顔でアルタンが言う。
「だから、早く食事にしよう」
 ――か、かばってくれてるのよね。うれしいのだけれど、なんだか余計にいたたまれないわ……アメジストは小さく息を吐いた。
「そ、そうね、そうしよう。紫の君、あっちにご飯用意してあるから、どうぞ」
「あ……ありがとうございます……」
 言葉少なに彼らについていき、まったくもって居心地の悪い食事が始まった。
 ハムバも配慮してくれたのか、サバンナでの食べ物の名前や調理法、気候やサバンナ特有のモンスターのことなどのいろいろな会話で楽しませてくれたが、アメジストは相変わらず恥ずかしすぎて居心地が悪く、彼には悪い事をしてしまった。
 バレンヌでは食事の後は風呂……となるのだが、サバンナは水が貴重な土地柄のため普段から彼らは風呂に入るという習慣がなく、川で水浴びするくらいということらしいのだが、それではあんまりだと考えてくれたのだろう。簡単なものではあったがたらいに湯を張ってくれた。
 正直部屋を隔てる扉の部分が何枚も重ねられた布だけ、であることが心もとなかったが気持ちはとても嬉しい。ありがたく使わせてもらい、旅の汚れを落とす。
 導線的に居間に当たる部分に戻ると、待ってましたとばかりにゲオルグがよってきた。
「姫、姫のお部屋は一番奥になります。荷物もすでに運んでおきましたので」
「何から何まですみません、ゲオルグ王子」
「かまいません、姫のお役に立つことがわが喜び。ひいてはバレンヌおよびカンバーランドのためになりましょう」
 ゲオルグは手を胸に当てかしこまる。その姿はさまになっており、確かにこの人は誇り高い騎士なのだ、と理解できる。できるのだが、もう少し融通が利かないものか……とアメジストは思う。友好国とはいえ、生まれ育った地が違うとこうも違うものなのか。
 個人的に、カンバーランドはいろいろと細かすぎると思うのだ。しかしバレンヌの一公国となったとはいえ生活習慣やそれまでのやりかたをすべてバレンヌに倣え、とするわけにもなかなかいかない。カンバーランドは植民地ではないし、すべてをバレンヌ流に統一せよ、というのはあまりに傲慢だとアメジストが思っているからだ。
 ――でも、こうまで何もかもが違うとなると。もしテレルテバで民をバレンヌに移住させてほしい、と言われても難しいかもしれない……。頭痛がし、与えられた居室でアメジストは目を閉じ頭を軽く押さえた。
 当初は困っているなら移民も、と軽く考えていたアメジストだが、そういえば友好国であるカンバーランドの民――主にホーリーオーダーたちだが、彼らがアバロンに移住した時でさえ、ちょっとしたいざこざが起こったのだ。
 ホーリーオーダーたちを受け入れてしばらく。バレンヌがもともと抱える正規軍、そしてホーリーオーダーたちそれぞれから苦情があがった。その時はまだ二つの組織がうまく溶け込めておらず、その類のものかと思った(もちろんそれもあった)のだが、あげられた苦情のうちのふたつ、それぞれの苦情にアメジストは頭の中に疑問符をたくさん浮かべることになった。
 正規軍いわく。新参者(つまりホーリーオーダーたち)は侍女にばかり言い寄って、自分たちとは目をあわせようともしない。こちらは新参者を受け入れてやったというのに、馬鹿にしているのではないか。
 ホーリーオーダーたちいわく。公共の場、しかも城内だと言うのに、軍人がおかしな格好でうろついていて目も当てられない。いくら実力主義と言っても限度がある。これはいったいどういうことなのか。
 それぞれから出された苦情がまったくもって意味不明で、しばらくアメジストは頭を悩ませたものだ。ホーリーオーダーが侍女に言いよるというのは、『異性との深いお付き合いは結婚(の約束も含む)と同義』という彼らの基本常識からして考えにくく(実際アメジストも目撃しているわけでもなかった)、しかし苦情として出ている以上、少なくない人数がそう思っているということであり。
 そして正規軍所属の者たちがふさわしくない格好をしているかというと、まあ基本自前で装備を調える傭兵たちは別として、基本的に軍服が公費で支給されており、特におかしな格好というわけでもない。はずだ。
 人によってはくだらない、死ぬわけでもなしもっと大きな問題に力を割くべきだと切って捨てるようなことではあるが、こういった些細なものが積み重なって大きな不満となり、下手をしたら内部で分解する。最悪カンバーランドのように内乱も起こりかねない。アメジストはこの訳の分からない、さりとて捨て置くこともできない難題に悩みに悩んだ上、とうとう奥の手、クロウにどういうことなのか調べてもらうことにした。別名丸投げとも言うが、クロウはあっさりと調査を請け負ってくれた。
 結果は「確かにホーリーオーダーたちは侍女たちと会話していることが多い、だが別にこちらの軍人たちを馬鹿にしていると言うわけでもないし、会話の内容もこちらでの暮らし方の注意点や名物は何か、などという単なる世間話の域を出ない。ただ気になったことは、ホーリーオーダーたちは男性の軍人とはよく談笑しているが、女性の軍人とは距離を置いている節がある。女性軍人たちはそれが気に入らないようだ」と言うものだった。ますますわけが分からなくなり、頭を抱えていると、さすがに見かねたらしいルイが「妻に聞いてみましょうか」と進言してきた。
 彼女はカンバーランド出身の、しかも先王ハロルドの実弟の娘だ。つまりゲオルグとは父方の従妹にあたり、アメジストとも面識がある。彼女の兄弟は当然のようにホーリーオーダーの一員で、こちらよりはホーリーオーダーたちの感覚がわかるかもしれない。……わらにもすがるというのはこのことで。半分泣きそうになりながらお願いします、とすがりついたのだ。
 今から思うとそのなりふりかまわないお願いに引いただろうが、ルイはそれを表面には出さず、きっちりと『解』を聞き出してきてくれた。……ゲオルグに聞いてみれば良かったのでは、と気づいたのはこの時である。たぶんいっぱいいっぱいすぎて、選択肢が浮かばなかったのだ。と思いたい。
 それはさておくとして。女性の髪が短い(者もいる)こともさることながら、カンバーランドでは公共の場で女性が脚を出すなど(生足に限らず、脚の線を出すことも)はしたない、ありえないというところにホーリーオーダーたちは引っかかっていたのだ。
 確かに侍女はゆったりと長い、足首まで隠すスカートが制服である。つまり、生足ではないし脚の線も出ない。そして軍人は、術士でもなければその役どころからして、どうしてもパンツ姿にならざるを得ない。スカート姿で大立ち回りなど、なるほど絵にはなるだろうが本人たちにとっては動きづらいわ邪魔だわ生死を賭けた戦闘時も下着が見えないよう気を使わねばならないわでとんだ大迷惑である。
 多少大げさに言えば、ホーリーオーダーたちにとって女性軍人たちは公共の場で堂々と下着姿で歩き回っていることと同じで、女性への礼儀としてあえて目をそらしていた。それがもともといた女性軍人たちには侍女とは話すのに自分たちとは視線すら合わせないとは何事か、ととられた。そういうわけだ。最初からホーリーオーダーたちには「彼女たちの姿は制服で、戦うこともある以上安易に、しかも長いスカートにするわけにもいかない。申し訳ないが頑張って慣れてください」と、もともといた軍人たちには「カンバーランドでは女性に対してこういう常識がある、だから彼らが慣れるまで我慢してほしい」とでも言えばこんな騒ぎにはならなかっただろう。自分もカンバーランドに長期滞在したことがあるはずだが、そんなことはまるっと抜け落ちていた、アメジストの失策である。
 幸い今は互いに笑い話になりつつあることだが、友好国でさえこうなるのだ。まったく国交もない、習慣も何もかも違う民の移住を、バレンヌの民たちすべてが進んで歓迎するかどうか。そしてたぶん、最初に「彼らはこういう習慣だから気にするな」と言うだけでは足りない。言ったとしてもやはり自分たちの街で草原の民がユルトを張ったり、サバンナの民が椅子に座らず床に座る、という行動や普段の彼らの服装を見て眉をひそめる人間は必ず、いる。そしてそれが堂々と、アメジストの目や耳に入るような状況ならばまだやりようもあるが、水面下でゆっくりひっそりと、反感を育てられてしまったら。
 ――ままならないものだわ、とアメジストはため息をついた。
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