帝国年代記〜催涙雨〜

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  砂漠の国の占い姫  

「すまないが、ここからサバンナの村まで集落がない。それゆえ二、三日野宿となるがそこは勘弁してほしい」
 ノーマッドの村を出た一行に、アルタンはそう告げた。アルタンの言葉にゲオルグが眉をひそめるが、こればかりは仕方のないことだ。彼もさすがにわかっているのだろう、その点については何も言わなかった。
「分かりました。私たちは何をすればいいでしょうか?」
「いやいや、紫の君に手伝わせちゃったら男が廃るって! お姫様は守られるのもお仕事の内だよ」
 ハムバはそう言うが、単に慣れない人間にうろつかれるのが邪魔なのだろう。確かに下手に手を出して怪我でもすれば、こちらは気にせずとも国際問題になりかねない。
 ここはおとなしく従うのが得策か。アメジストはそう結論付けた。
「では、お言葉に甘えて」
「うんうん、力仕事や雑用は男どもに任せて任せて!」
 にかっと笑ってハムバはうなずく。
 アルタンが先頭、ハムバがしんがりについて一行はステップを歩く。この隊列なのは、アメジストたちがステップのことを良く知らないこと、万が一はぐれたりすると厄介なこと(下生えがアメジストの身長を超えるくらいの場所もあるらしい)、ハムバが弓を得意とすることなどからだ。
 最後尾にいるハムバとサジタリウスは同じ弓使いという共通点からか、結構話が弾んでいるようだ。
 アルタンがちらりとその様子を伺って、小さくため息をついた。
「アルタンさん、ため息などついてどうかしましたか?」
「ん? ああ……すまない、紫の君に心配をかけるつもりはなかった。というか、無意識だった」
 苦笑を浮かべてアルタンは頭に巻いている布に触れる。少し言いあぐね、あきらめたかのように口を開いた。
「……母国語以外を話せる紫の君になら、分かってもらえるかな。私はハムバがうらやましいのだ」
「うらやましい……とは?」
 意味がわからず、アメジストは首をひねる。
「うん。まず、ハムバは頭がいいんだ」
「……それは、あなたもそうだと思うのですが。とても綺麗なバレンヌ口語を話していらっしゃいますし。読むこともできるのでしょう?」
 この世界では、基本的に言葉も文字もバレンヌで使われているものが共通語にあたる。実際にアルタンが共通語を読んでいる場面を見たわけではないが、彼の言葉を聞く限り、読むほうも問題ないと思われる。その言語を聞くだけで話せるようになることもあるにはあるが、小さな子どもならともかく大人でそれはかなり特殊な例だし、そういう場合どうしても語り手のなまりが移ってしまうものだ。だから地方によって、言葉が違ってくるのだ。
 外国語を習う際、例えばアメジストがカンバーランド古語を習ったとき、発音記号というものをまずはじめに習った。当然だが文字が読めなければ発音記号は読めず、綺麗な(この場合、万人に聞きとりやすいという意味だ)発音にはならない。少なくともアメジストはそう習った。
「綺麗、か。それはどうもありがとう。……でも、私はこういう話し方しかできないのだ。ハムバと同じ環境で勉強したのに、いや、試験ではハムバよりもいい点数を取っていたのに、ハムバのように……ええと、砕けた、でいいのかな、そういう話し方が、私にはできないし。あんなふうに初対面の人間の懐に入り込む、というのもできない……同じ、次期族長という立場なのに」
 外国語を習うときは、基本正式な文法で習う。その方が応用が利くからだ。俗に言う『スラング』をはじめから教える教師などあまりいないだろう。
 土台は同じはずなのに、ハムバはスラングを話せて、自分は話せない。自分は他人に対して構えてしまうのに、ハムバはすんなりなじむ。それが納得いかないのだろう。もちろんハムバを下に見ているわけではなく、同格のライバルとして見ているのだ。だからこそ、負けるのは悔しい。それだけのことだ。
「ああ……分かるような気がします」
 リチャードがそう言うと、アルタンが目を丸くした。
「あなたのような、立派な騎士が?」
「立派かどうかはともかく……私は昔からジェシカに、あ、いえ。妻に負けっぱなしでしたから」
「奥方に?」
「妻は、今でこそ軍を退いて夫である私を立ててくれますが、私と共に幼いときから陛下の護衛を務めていました。あなた方のように同じ環境にいたというのに、私は剣の腕以外で妻に勝てたためしがありません。すごく悔しかったし、今でも悔しいと思っていますよ」
「……そうなのか」
 幾分ほっとしたような複雑な表情で、アルタンはあいまいに笑った。
「ふん。くだらんな」
「ゲオルグ王子!」
 今までむっつりと黙っていたゲオルグが眉をひそめてそう言い放つ。あわててアメジストが声を上げるが、「今の言葉は、別に彼を見下して言ったわけではありません」といったん弁解が入り、ゲオルグはアルタンに顔を向けた。
「貴様とあのばんぞ……弓使いの男とは得意分野が違う。ただそれだけの話だろう」
「得意……分野?」
「そうだ。それに貴様たちは友人なのであろう。ならば互いに助け合うのは当然ではないか? 己のできないことだけをあげつらって勝手に劣等感に苛まれるのは貴様の自由だが、なぜ『我が友はこんなにもすばらしいのだ』と、『そのような友を持てた自分もすばらしい』と誇れない?」
 ゲオルグの言葉に、アルタンは目をしばたたかせた。
「貴様はあの男ではやりにくいだろうことを補佐すればいいだけのことだろう。簡単なことではないか」
 腕を組んで鼻を鳴らすゲオルグ。アルタンはしばらく複雑な顔をしていたが、やがてそうか、とつき物が落ちたかのようにつぶやいた。
「あなたの言うとおりだ。……すぐに考えを変えることは難しいかもしれないが、少し楽になったように思う。ありがとう」
 少し笑って、アルタンはゲオルグに礼を言う。直球で礼を返されるとは思わなかったらしいゲオルグはむ、と言ったきり、アルタンから視線をそらした。
 ――あら、照れているのかしら? 日に焼けたゲオルグの肌に少し赤みが差しているのを見て、アメジストはそう思った。
 そうこうしているうちに水場に着き、アルタンをはじめとした男たちはてきぱきと休むための準備を進める。アメジストは朝に宣告されたとおり一人手伝いから免除され(というか手を出すと逆に危険と判断された)、しょんぼりと水場のほとりに座り込んだ。
 ステップを歩き、水場のほとりで野宿をし、そして役立たずな自分にしょんぼりする。その行程を数日繰り返していくと、だんだん空気に熱を感じるようになってきて、植生も変化を見せてきた。
 遠くに何か柵のようなものが見えてきた。近づくにつれ、建物が見え、人の気配が色濃くなる。
「ようこそ、サバンナの町へ!」
 最後尾から小走りに駆け抜けたハムバは柵の入口に立ち、アメジストたちを振り返って笑顔でそう言った。

 ハムバを先頭にサバンナの町に入ると、あっというまに子どもたちが集まってきた。ついでにその保護者らしき大人たちも。
 大人たちはハムバと何気ない会話をしているが、見知らぬ人に子どもたちは興味しんしんで、その中でも、
「おにーちゃんたち、だーれ?」
「わー、このおねーちゃん目が紫色だ! 紫の君だ!」
「えっ、ほんと!?」
「白い服のおじちゃん! ねえおじちゃんは騎士さまなの!?」
「うわー、騎士さまだー! はじめてみた! かっこいい!」
「あれ? でも騎士さまは白いお馬に乗ってるんじゃないの?」
「ねえねえ、おじちゃん、騎士さまにはどうやったらなれるの? ぼくもなりたい!」
 特にゲオルグが注目の的だった。
「なっ、なにいいいいぃっ!?」
 子どもたちにわらわらといっせいに詰め寄られ、べろりと外套をめくられたり、外套の中にもぐりこまれたり、腕にぶら下がろうとしたり、中には背の高いゲオルグに懸命によじ登ろうとする猛者もあり。しかもステップの子どもたちよりも言葉のなまりがきつい。
 それでもステップでの教訓か、ゲオルグはうろたえながらも子どもたちを力任せにどかそうとはしなかった。
「……なるほど、むしろあの子たちのように直球で行ったほうが良かったのだな……」
 その様を見て呆然とつぶやくアルタンだが、アメジストにはどうしても『あの子たちのようにゲオルグに突撃していくアルタンの図』が思い浮かべられなかった。いや、頭が想像するのを拒否したと言ったほうがいいか。
「いやはや、子どもは最強ですねぇ」
「……そのようだな」
 ゲオルグにまとわりつく子どもたちを大人たちが叱るが、子どもたちは一向に気にする様子はない。サジタリウスとリチャードが苦笑しながらやれやれ、と頭を振る。
「あれ、おにーさんってばいつのまにやらモテモテだねぇ」
 大人たちとの会話が終わったらしい、ハムバが騒動を見て目を丸くした。
「ちょ、服をめくるな、何もないから! あ、こらそこ、剣に触るな、危ない……だからよじ登ろうとするな!……ええい、のんきに見てないで何とかしてくれ!」
 張り付く子どもたちを懸命に引き剥がしていたゲオルグがついに音を上げた。ハムバが笑いながら「はいはい、おにーさんたちは疲れてるから、いい加減解放してあげてー」と言うと、子どもたちは残念そうにしながらもゲオルグから離れた。
「くっ、私が言っても離れなかったのに、なぜこの男の言う事には従うのだ……」
「そりゃーおにーさんより長い間、この子達とつきあってるからねぇ。はいこっちこっち」
 ハムバの案内で、アメジストたちは宿舎への道を歩き始めたが、その後ろにはぞろぞろと子どもたちがくっついてきていた。なんだか自分たちが珍獣にでもなったような気分になり、アメジストはおかしくなってくすくすと笑った。
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