帝国年代記〜催涙雨〜

モドル | ススム | モクジ

  砂漠の国の占い姫  

 アメジストたち一行は、サバンナから砂漠へと足を進める。
 サバンナから離れていくほどに植物は少なくなっていき、天気も晴れの日ばかり。暑いことは暑いがからりとした気候で風が通るため、うんざりするほどではない。むしろからりとし過ぎていて砂埃や喉の渇きのほうがきつい。
 街道ほどきちんと整備されているわけではないが、人が通れるくらいには整った道を行く。まったく人気がないわけではない。バレンヌ大陸ほど多くはないが、すれ違う人たちもいた。ほとんどが十人以上の商隊で、いわゆる物見遊山の旅人はいなかったが。
 砂漠とサバンナの境となる街、ビハラまで約三日ほど。サバンナ〜ビハラ間に街や村はない。その代わり大人の足で朝から歩いて夕方くらいになる時間程度の間隔で、休める場所がある。とは言っても宿があるわけではなく、単に天幕を張ったりすることが出来るように開けているだけだ。水場も近いし火も使いやすいようにされている。
 夕方となり、一行は足を止める。サバンナを発ってから二日、このまま順調に行けば明日の夕方にはビハラに着くという。野宿の準備はアメジストでは火を熾す以外何の役にも立たないので、必ず誰かしらの目には入る状態で、おとなしく道の端に座って待つ。人が通る道とは言え、モンスターは出る。しかも割と凶悪な部類のものが。バレンヌ育ちのアメジストにとっては、回りにめずらしいものがたくさんあり、好奇心の赴くまま気が済むまでうろついてみたい気持ちもあるものの、モンスターと鉢合わせても嫌だしそうなったらたぶん戦う前に頭からかじられるだろう。いつでもリチャードたちが駆けつけてくれるとも限らない。『守られるのもお姫様の仕事のうち』という言葉は確かに真理だ。守り手の仕事を増やさないことも大事な事。
 すべてお膳立てしてもらって食事をとり、休む。しかし湯浴みどころか水浴びもできないから体も手ぬぐいで、しかも物影でささっと拭うくらい。サバンナで少し湯浴みをさせてもらったものの、そろそろ髪やらが埃っぽくなってきて、かなり気になる。バレンヌでは当然のように毎日湯浴みをしていたから、この不自由な状況はアメジストにとっては結構な心労で、そのせいか地面に寝具を敷いて寝ているせいか疲れがなかなか抜けない。誰に強制されたわけでもなく、自分で選んでここにいるのだから、文句は言わないが。
 火の番は持ち回りだ。一人だとうっかり眠ってしまう可能性もあるし、あまり考えたくないが荷物や金を狙う人間の襲撃者も考えられるとのことので、二人ずつ順番に。アメジストたちは七人だから、一人だけ一晩に二回当番があることになる。
 術士であるアメジストとサジタリウスはある程度まとまった睡眠をとる必要があるので、必ず最初か最後になる。またモンスターの襲撃もないとは言いきれないので、回復術を持つアメジストとサジタリウス、そしてゲオルグは必ずばらけることになる。よって必然的にゲオルグは真ん中の番となり、彼はそれが不満そうだが、戦術的には何も間違っていないので今のところ何かを言うことはなく、アメジストの方は二人きりにならずにすんで実はほっとしていたりする。正直ゲオルグと二人きりは勘弁して欲しい。気まずいことこの上ない。どうしても必要というならばいたしかたがないが。
 幸いこの夜もモンスターや人間の襲撃はなく。あとはビハラを目指すだけとなって、……油断した。
 最初に気づいたのは、気配に聡いサジタリウスと目や耳の良いハムバだ。あと少しでビハラが見える、というところまで来てみな気が抜けていたのだろう、彼らの警告の声に振り向くと、もうモンスターの顔が目の前に迫っていた。
 とっさに火球の術を放つが、さすが砂漠方面の敵、熱に強いのかあまり効いていない。迫る爪は何とかかわせたが、そのせいで陣形を乱されてしまった。
 非常にまずい状況だ。それほど強力なモンスターではなさそうだが、集団で、しかもすべて空を飛んでいる。つまり翼を射抜くなりして地上に落とさなければ、剣が届かない。現状で空を飛ぶ相手に有効な手段を持っているのは弓を使うハムバ、攻撃術を持つサジタリウスとアメジストの三人だけ。そして火術はあまり効かないと今発覚したわけで、実質二人だ。
 ――私の風術がもっと使い物になれば。アメジストは唇を噛んだ。アメジストの術属性は血筋もあって火、風、光と今の理論では最大数の三種。その中では火術がもっとも相性がよく、風術では攻撃力が若干心もとない。光術で攻撃に使えるものは光球だが、どちらかというと目潰しという状態異常の付加が主であり、攻撃力は無きに等しい。この乱戦状態では味方の目もくらませてしまうだろう。かといって焔姫の二つ名を持つ母のように魔力に飽かせ、火術で無理やり相手を燃やし尽くす、という真似もできない。アメジストは宮廷魔術士としては魔力が高い方ではなく、むしろ攻撃することで怒らせてしまう可能性が高い。伝承法のおかげで剣も使える事は使えるが、専門職であるリチャードたちでさえ苦戦している相手にアメジストではもっと厳しいのは明白。本当にアメジストにとって相性の悪い敵だ。陣形さえ崩されていなければ、まだなんとかなったのだろうが。
「……だめだ、紫の君! 逃げて、こいつらの狙いはあなただ!」
 飛び掛ってくるモンスターを剣で応戦しながらアルタンはこちらに向かって大声を上げた。アメジストに向かってまっすぐに突っ込んでくるモンスターの爪。風刃を放つが緑の鱗に覆われたそのモンスターにほんの少しの切り傷を与えただけ。血しぶきとけたたましい叫び声こそ上がったものの、こちらに向かってくるのは変わらない。
 どうもこの中でアメジストが一番狩りやすい、弱い個体だと認識されたようだ。伝承法のおかげか今回の攻撃もかろうじてかわすことはできたものの、特に身体能力に秀でているわけでもないアメジストではそうそう何度もかわせない。このままではいつかは爪の餌食になるか、それこそ頭からかじられるか。どちらにせよあまりいい未来は見えない。
「陛下!」
「姫、……くっ!」
 リチャードたちもなんとかこちらに来ようとしているが、別のモンスターたちがしつこく邪魔をする。本当に集団での狩りそのものだ。下手をするとそのまま各個撃破されかねない。
 一番初めにアメジストに攻撃をかわされ高く空に舞い上がっていた一匹が、なんだか癇に障るその顔の半分ほどを占める口を大きく開けようとするしぐさを見せた。ハムバとサジタリウスが同時にそのモンスターに矢を射る、だがぎりぎりで間に合わない。口が開いたその瞬間、目の前のモンスターの動きに集中していたアメジストを激しい耳鳴りと頭痛が襲う。
「うっ……」
 不意を突かれ思わず膝をついたその横を、耳障りな声を上げてモンスターが地に落ちる。そのおかげか耳鳴りと頭痛の不快感は一瞬で消えたが、体勢を崩したその無防備な姿を、アメジストを狩りやすい獲物とみなしている他のモンスターたちが見逃すはずがなかった。
「陛下ッ!」
 落ちる影。何かが激しく衝突する音。肉を切り裂くような鈍い音。低い苦痛の声。耳障りなモンスターの叫び声。膝をついたまま見上げたその姿は、
「ジェイスンっ!」
 ざっくりと左の二の腕を切り裂かれ、そこからどくどくと、おそらく彼の鼓動にあわせて大量の血が噴き出しているジェイスンの後姿。――かばったのだ、自分を。
 その姿に自分をかばって大怪我をしたジェシカの姿が重なった。すうっと血の気が引き、こんな状況だと言うのに、頭が現実を認識することを拒否する。
「今のうちに、ゲオルグ王子のところにっ」
 彼の手にいつもの斧はない。槍を持ちその間合いを生かしてモンスターを威嚇する。普段こんな遅れをとることがない彼の切羽詰った真剣な声にアメジストはびくりと体を震わせた。頭の中が少しだけ冷静になる。
「だ、……だめよ、ジェイスン、回復しなければ、」
 ――血が流れすぎて、死んでしまうわ――。
「いいからっ! こんくらい平気です、やつらはあんたを狙ってるんだ、早く!」
 アメジストの言葉を途中でぶった切ったジェイスンも余裕がないのか、こちらをちらとも見ない。
 確かにこの中で一番防御が堅いのはゲオルグだ。かっちりと鎧を着込んでいるし、なによりホーリーオーダーに与えられる聖騎士の盾という大盾を持っているから、攻撃を受けてもそう大きなダメージは通らない。狙われているアメジストがそばにいれば、彼の性格からして無理に攻撃するよりもアメジストを守る方に力を割いてくれるだろうし、もし攻撃を受けても本人が大きな怪我を負う可能性は盾を持たないリチャードたちより低い。
 だが逆に、それはすばやく動けず小回りが利かないという弱点を持つ。今だってゲオルグはこちらに駆けつけようとしているのだが、モンスターたちに邪魔されていることもあり、まだ少し距離がある。アメジストの方から駆け寄ったほうが早い。
「早くっ! 今の俺じゃあんたを守りながら戦うのはきつい!」
 激しい出血で動かしにくくなっているだろう左腕。その鍛え上げた腕にはいつものような力が入っていない。噴き出す血は収まる気配を一向に見せず、このままでは共倒れになるとアメジストにも分かった。――だって彼は私がいたら、私を守るために動けない。治療のためにいったん下がることも――。
 ――ごめんなさい、こんなひどい怪我をさせてしまって。でも、
「――ありがとう!」
 ――私を、守ってくれて。
 アメジストは立ち上がり、最低限の月光の術をジェイスンに解放した後、ゲオルグに向かって駆けだした。サジタリウスの援護を受けながらゲオルグのそばまで来ると彼はさっとアメジストとモンスターとの間に立ちはだかり、防御の構えを取った。
 ハムバとサジタリウスのおかげでモンスターもだいぶその数を減らした。ジェイスンはいったん下がり、リチャードが代わって前衛を張る。だがそれがいつまで持つか。
「紫の君、ビハラはすぐそこだ、そこまで走ろう!」
 こちらに走ってきたアルタンが叫ぶ。
「でもジェイスンがっ、ちゃんと治療をしないと!」
「だめだ、だいぶ減ったとはいえこの数では術を使う間にあなたが襲われる! この状況ではあの騎士の彼もいつまでも前衛を張ってはいられない、全滅しないためにも落ち着いて彼の治療をするためにも、街に入ったほうがいい!」
 基本的に回復術は相手に接触して使うものだ。多少なら離れていても問題はないがやはり効果は下がるし、相手が走っているなど激しく移動している場合、術の発動場所を正確に指定しなければならないという作業が入るため、より集中を要する。お互い走っていては難しい。唯一有効なのは、被術者が術者と接触している状態、つまり手をつないでいたり被術者に術者が抱えられて走っている場合だが、ジェイスンの傷はあの出血の仕方から、おそらく太い血管が傷ついている。そんな芸当は無理だろう。
「大丈夫、向こうが狩りのつもりなら人が多い場所まで行けば諦める! もし追ってきたってビハラにも俺たちの部隊はいる、そうすりゃ数で押し切られることもなくなるから問題ないよっ!」
 サジタリウスと共に駆けてきたハムバも説得するように叫ぶ。すがるようにサジタリウスに視線を向けると、サジタリウスは無言でうなずいた。
 アメジストは腹を決めた。
「このままビハラに向かいます! リチャード! あなたは殿をお願い! サジ様はリチャードの補助を。ゲオルグ王子はそのまま私を守ってください。アルタンさん、ハムバさん、先導をお願いします!」
「承知した!」
 モンスターたちはよほど腹を空かせているらしい。執拗に空からアメジストを狙い続け、そのたびにリチャードやゲオルグに散らされる。ようやくビハラの入口が見え、どうも騒ぎが聞こえていたようで、部隊が様子見をしているところだった。
「――、――!」
 おそらくメルー語なのだろう、早口すぎて意味が理解出来ないが向こうはこちらが追われているのは分かったらしい。モンスターたちに矢を射かけて援護してくれている。
 なんとかアメジストが入口を通り過ぎると、さすがにモンスターたちも諦めたらしい。耳障りな声を上げながら旋回し、ビハラとは逆方向へと飛び去って行く。念のためなのかビハラの部隊にいた数人が追いかけて行った。
「ジェイスンッ!」
 その場にがくっと膝をついたジェイスンに慌てて駆け寄り、魔力を練り上げ月光の術を解放する。左の二の腕の傷が一番深く大きいが、そこだけは簡単に処置をしたらしく、傷よりも上にマントを裂いて作ったと思しき布がきつく巻かれており、さらに手持ちの傷薬も使ったのだろう、先ほどよりは噴き出す血は収まっている。しかし他にも大小さまざまな傷があり、そこからも血がだらだらと流れ落ちていた。
「……ぐ、うぅっ!」
 術が傷を癒し始めた瞬間、ジェイスンは大きく呻いてアメジストに縋り付くように倒れてきた。
「きゃあ、どっ、どうして!?」
 アメジストがジェイスンの体格を支えられるわけもなく、一緒に地面に倒れこむ。せっかくの集中も解けて、魔力が霧散してしまった。
「す、みませ、たぶん、毒……を」
 息も絶え絶えに、目を閉じてジェイスンがつぶやく。その顔色は走った後と言うのに白を通り越して青く、脂汗がびっしりと浮いている。どく、毒? その言葉を理解した瞬間、アメジストは大声でサジタリウスを呼んだ。
 状態異常回復の術は水属性であり、アメジストの術属性では解毒をはじめとする状態異常回復の術が使えない。毒を受けた状態で通常の、つまり生命の水などの回復術を使えば傷は癒えるが、同時に毒をも活性化させてしまう。あの状況では仕方なかったとはいえ、走ったのもまずかっただろう。まだジェイスンの傷からは血が流れているが、このまま回復術を続ければ逆に毒に体力を持って行かれる。先に解毒をしなければならない。傷薬ならば毒を消すと同時に傷を癒すことも可能だが、この怪我の程度だと傷にも毒にも力不足だ。事実、傷薬を使った形跡があるのに彼はこうして苦しんでいる。
「陛下! 大丈夫ですかっ」
 リチャードがジェイスンをアメジストの上から引き上げる。体の上から重みが消え、アメジストは身を起こした。そこにサジタリウスが駆けつけてくる。
「どうしましたかっ」
「サジ様っ、ジェイスンが、毒を!」
 切れ切れの言葉でも十分だ。サジタリウスはさっとジェイスンの状態を見て、すっと目を細めていつもよりも集中を始めた。
 ――やっぱり。私の月光の術が悪化させてしまったのね。アメジストは再度唇を噛み締めた。
「陛下のご判断は、間違っておりません」
 多少の助けとなればと、リチャードが手持ちの傷薬をジェイスンの傷口に振りかけながら、言った。
「怪我を癒す際、いちいち解毒をしてからなんて戦場ではやってられません。傷が深ければなおさらそれは命取り、毒は消せても失血で命を落とす――なんて本末転倒でしょう。今回は毒が強かった、ただそれだけのことです」
「……そう、そう、よね……」
 分かっているのだ。あの時はああすることが最善だったと。それでも理性では理解できても感情は納得しない。
 どうして私をかばうのどうして私はこんなに弱いのどうして私は強くなれないのただみんなを守りたいだけなのにどうしてこんなどうしてどうしてどうして――。
「陛下」
 そっと肩に手を置かれて我に返る。
「無事に毒は抜けました。後はお任せいたします」
「サジ様……でも」
「私はもう、魔力切れです。――今、あなたがやるべき事は、何ですか?」
 疲労の濃い顔で、サジタリウスは問う。
 ――守りたいのだろう? ならば今、お前がやるべき事は何か。ぐじぐじと悩むことか、それとも。
 声なき声が頭をよぎる。
 ――悩むなら、やるべき事をやってから。でなければきっと、また後悔することになるわ。
 ただ無力に嘆くだけなら誰でもできる。しかしアメジストには『術』という力があるのだ、今使わずにどうするか。
 集中して魔力を練り上げる。大丈夫、走ったせいで体力は消耗しているが、魔力はまだ十分に残っている。ジェシカの時のようにはならない。私はあのときほど無力ではない!
 ゲオルグ王子の詠唱する声を背に、アメジストは月光の術を解放した。柔らかな月の光にも似たその光にゲオルグ王子の生命の水の清廉な光が重なる。
 光が収束すると、ジェイスンの傷はわずかな傷跡を残すだけで、すっかりと癒えていた。
「……もう、大丈夫……です」
 ありがとう、ございます。ジェイスンの声にアメジストはほっとしてそのまま地面にへたりこんだ。
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