帝国年代記〜催涙雨〜

モドル | ススム | モクジ

  砂漠の国の占い姫  

 アルタンとハムバに案内してもらった寝所は、外から見たとおり、バレンヌの建物とはかなり趣の違うものだった。
 円形で、中心に柱が二本あり、天井は中心から放射状に梁が渡され、羊か何かの毛皮で覆われている。柱のそばには大きな炉があり、そこで煮炊きや暖が取れるようになっているらしい。
 換気はどうするのか、と尋ねると天井部分が開く構造になっており、そこから換気をしたり日光を入れたりするのだそうだ。
「なるほど……そうなのですね」
 ――世界は本当に、広いのだわ。アメジストは感嘆のため息をついた。
 荷物を置いたらノーマッドの村を見たい、と言って二人にはそのまま外で待っていてもらい、アメジストは自分用にと振り分けられたユルト――この建物の名前らしい――に荷物を置いた後、当然のように付いてこようとするゲオルグに外出禁止を言い渡した。
 ゲオルグの行動はノーマッドたちの反感を買った。実際あの時、周りにいた大人たちはこちらに厳しい視線を送っていた。次期族長であるアルタンが彼らの前で儀式を行ったことで何事もなかったが、その判断がなければテレルテバへの案内人を失うどころか、追い出されるところだったのだ。その罰としての措置だった。
「ですが、姫の警護が」
「ゲオルグ王子。先ほどのあなたの行動は、バレンヌの立場を危うくするものだったのですよ」
 サジタリウスが渋面を作る。「アルタンどのが許してくださり、内々のこととして収めてくださったから良かったようなものの。陛下にいらぬ謝罪をさせたという認識が、あなたにはきちんとありますか?」
「しかし、それはあの子どもが姫に無礼を働いたのが発端であって、」
 ゲオルグがそう言いかけたが、サジタリウスは最後まで言わせなかった。
「いい加減になさい。ですが、しかしと、あなたは反抗期の子どもですか? これではうちのアレクのほうがよほど分別というものがありますよ。だいたい害意のない、小さな女の子が陛下の袖を引いた程度で無礼討ちなど、バレンヌではありえません。あなたももういい大人なのですから、陛下を言い訳にしてぐずぐず言わずに聞き分けなさい!」
「なっ……!」
「……ゲオルグ王子。サジ様のおっしゃるとおりです」
 小さく息をついて、アメジストはそうゲオルグに言った。むしろすっぱりと「邪魔だ帰れ」などと怒鳴りつけなかっただけ、サジタリウスは自重したほうだろう。
「誇り高いことは悪いことではありません。ですがそれは一歩間違えれば、ただの傲慢でしかありません。あなたの先ほどの行為は、まさしく傲慢から来たものです」
「失礼ながら、私もそう思います」
 こういう場合、お互いの立場を考え黙っていることの多いリチャードが珍しく、ゲオルグに意見をした。
「ゲオルグ王子。あなたはあの子が平民だから、高貴な生まれではないからとああいう行動に出たのですよね。……あなたには平民の母上を持った弟君がいらっしゃる。平民の血が混じった弟君を、あなたは汚らわしいと思っているのですか?」
「まさか! 母上が違うとはいえ、トーマは私の大事な弟だ、汚らわしいなどと思ったことはただの一度も――」
 そこでゲオルグは何かに気づいたように黙り込んだ。
「お気づきですね。あなたは先ほど、ご自分の弟君をも貶めるようなことをおっしゃったのですよ」
「そのとおりです。……このような態度のままでは、外交にも支障をきたします。最悪、あなただけバレンヌに帰っていただくことになりますよ?」
「……分かりました」
 眉をひそめながらではあったが、ゲオルグはうなずいた。さすがに『アメジストと離れて帰る』ことを受け入れるのは彼の自尊心が許さなかったのだろう。
「ジェイスン、悪いけれどついてきてちょうだい。ゲオルグ王子、ジェイスンと一緒ならば、私の警護は問題ありませんね? リチャードとサジ様は、ゲオルグ王子と一緒にいてください」
「仰せのままに。ですが暗くなる前には、お戻りくださいね」
「そうですね。私たちはこちらの地理に明るくありません。アルタンどのたちがついているから危険は少ないとはいえ、そうしていただけるとこちらとしては、ありがたいです」
 サジタリウスとリチャードがうなずきあいながら、アメジストに告げた。
「そうね。分かったわ」
「…………」
 三人のやりとりを横目に、ゲオルグは一瞬敵意のこもった視線をジェイスンに向けたが、結局何も言わなかった。
 アメジストがジェイスンと共に男性陣に割り振られたユルトから出ると、アルタンとハムバは笑いながら何事か話し合っていた。
「アルタンさん、ハムバさん。お待たせしました」
 話を途切れさせるのを申し訳なく思いつつアメジストが言葉をかけると、二人はくるりと振り返り、笑顔を見せる。
「私のことはアルタンでいい、紫の君」
「あ、俺も! 俺のこともハムバでいいよ、紫の君!」
 予想外の切り返しにアメジストはぐっと詰まった。
「あのう……その呼び方は、ちょっと……」
 後ろで笑いをこらえているジェイスンをきっ、と睨みつけ、アメジストはため息をついた。
 おとぎ話の人物とはいえ、美貌の少女と同一視されるのはさすがに恥ずかしい。ジェシカのように正真正銘、誰が見ても美人だというのならともかく。
 アルタンは心底不思議そうに首をかしげた。
「なぜ? あなたにとてもふさわしい名だと思うのだが。それとも私が不勉強で、バレンヌではその……、女性の評判を下げてしまうような言葉なのだろうか。もしそうなのだとしたら知らなかったとはいえ、確かに大変な失礼だし、彼の怒りももっともだと納得できるのだが……」
「評判を下げる?」
 ばつの悪そうな表情になったアルタンに、意味が分からずアメジストは目を瞬かせる。
「『紫の君』という言葉は商売女のことを指すのか、と彼は尋ねているんですよ」
 こっそりとジェイスンが耳打ちしてきた内容に、アメジストはぎょっとした。商売女とは、つまり……エンリケの言葉を借りると『夜の店にいるキレーなオネーチャン』のことだ。職業に貴賎はないとはいえ、一部はある意味偶像として崇拝されるものだとはいえ、やはり彼女たちの職業は、堂々と胸を張って公言できるものではない。
「ち、違います。そういうわけではありません。ただ、さすがにお話の中の登場人物とはいえ、美少女と同じ名で呼ばれるのはちょっと……『少女』という歳でもありませんし」
「違うの? じゃあいいじゃん別に。皇帝さんが美人さんなのは間違いないしー。うん、問題ない問題ない!」
 ハムバにまでそう言われてしまい、アメジストは言葉を失った。
 ――ま、まあいいわ。そこにこだわっていたら多分、いろいろ進まない気がするし。アメジストはもうこの際、開き直ることにした。
「そうだアルタン。俺みんなのとこ行っていい? どんな状況か様子見たいし」
「ああ、かまわない。お前が顔を出せば、サバンナの彼らも元気が出るだろう。……言っておくが、羽目を外しすぎるなよ?」
「へいへーい。じゃー紫の君、また明日っ!」
 ……開き直ったとはいえ、やはりそれなりに、威力はあった。

 しばらくして立ち直ったアメジストがどうしてもゲオルグが突き飛ばした少女に謝りたいと申し出ると、アルタンはしばらく考え込み、うなずいて村の中央にあるユルトへアメジストたちを案内した。
「アルタン」
 アルタンに続いてユルトに入ると、年かさの女性がアルタンに声をかけてきた。
「母上。ベスマはどうしていますか」
「さっきようやく泣き止んで、みんなといつもの場所に遊びに……おや……」
 アルタンが母と呼んだその女性は、アメジストたちを見て少し眉をひそめる。多分、先ほどの騒動を見ていたのだろう。
「先ほどは大変申し訳ありませんでした。彼にはきつく言って聞かせましたので、どうかお許しください。あの子にも直接、謝らせてほしいのですが……」
 アメジストがそう申し出ると、彼女は軽くうなずいて、アルタンに案内してやれと言い、そしてすぐにアメジストたちから背を向けた。
「愛想がなくてすまない。母はベスマをことのほか、かわいがっているから……」
「いいえ、私たちが悪いのですから、当然です。……そういえば、あの子はあなたの妹さんですか?」
 またアルタンに連れられて外に出たアメジストは、ふと疑問に思ったことをアルタンに尋ねた。中央のユルトは族長一族のユルトだという。ユルトは基本、家族単位で使われるものだそうで(その辺りの感覚はバレンヌの一般民とそう変わりないようだ)、「母上のところに戻っていなさい」と言われたベスマは女の子たちに連れられてそのユルトに戻ったのだから、アルタンの家族なのだろう。ベスマの外見年齢から推察するに、妹と考えるのが妥当だ。少し歳が離れている気はするが。
 だがアルタンは首を横に振った。
「いや、妹ではない」
「えっ」
 またしても予想外の言葉にアメジストの思考が止まった。
 ――妹ではない? じゃあまさか、娘さん? でもその割には歳がずいぶん近く、いや、まさかの奥様……
「……何やら盛大な勘違いをされているような気がするのだが?」
 若干不審そうに見つめられ、アメジストはあわててぶんぶんと首を横に振る。
「一応言っておくが、娘でも妻でもないから。血縁には違いないが。私はまだ独身だし、決まった相手もいないし、別にそういう趣味を持っているわけでもない。……あの子は私の……ええと、」
 そこまで言って、アルタンは言葉を切る。しばらく視線を下げて考え込み、もう一度アメジストを見た。
「すまない、バレンヌ口語で私とあの子の関係を指す言葉が分からない。……あの子は私の、母の叔父の孫に当たるのだが」
「は、はい?」
 母の……何? アメジストの頭が一気に混乱した。
「母の、叔父の、孫だ」
 もう一度、アルタンがゆっくりと言葉を区切って繰り返す。
 ――ええと、お母様のおじ様? の孫? というと、彼から見て、……あら?
「陛下、落ち着いてください。難しく考えすぎです。母のおじとは、彼から見ておじいさんかおばあさんの兄弟のことですよ」
 ジェイスンの説明に、こんがらがった糸がだんだん解れていくのが分かった。
 ――おじいさんかおばあさんの兄弟の孫。ということは。
「はとこ、ですね」
 アメジストがそう言うと、アルタンは目を丸くした。
「はと……こ?」
「はい。またいとこ、とも言います」
「またいとこ」
 鸚鵡返しに繰り返し、アルタンは何度か小さくその単語をつぶやき、微笑を浮かべる。
「はとこ。またいとこ。……ふふ、何だか不思議な感じの響きだ」
 ベスマにも教えてあげよう、とアルタンはうれしそうに言った。
「そういや、あの子の親はどうしてるんです? 一緒に暮らしているんですか」
 ジェイスンがアルタンに尋ねると、アルタンはまた首を横に振る。
「ベスマの母上は、ベスマを産んだとき不運が重なってな。私の母をはじめとした大人たちが手を尽くしたのだが、残念ながらそのまま儚くなってしまった。父上はいるのだが、彼は行商……というのかな、そういう仕事をしているから、普段はいない。だからベスマが独り立ちするまで『はとこ』である私の家で面倒を見ているのだ」
 どこか誇らしげに『はとこ』という言葉を強調し、アルタンは目を細めた。
「母は女の子も欲しかったらしくて。むしろベスマを実子である私よりもかわいがっているほどだ。私もずっと、きょうだいが欲しくて……ふふ、こういうのも兄馬鹿と言うのかな。私もあの子がかわいくて仕方がないのだ」
 そう言って笑うアルタンの笑顔には、慈しむような感情が見える。きっと目に入れても痛くないほど、かわいがっているのだろう。
「あっ、アルタンおにいちゃん!」
 いつのまにか、『いつもの場所』についていたらしい。大声と共に、ベスマがアルタンに抱き着いてきた。アルタンはおっと、と呟きながらもしっかりとベスマを抱き留める。
 二人の笑顔を目の当たりにしたアメジストは、既視感に胸がちくんと痛むのを感じた。
 ――おうじさま。
「陛下?」
 後ろから肩に手を置かれ、アメジストははっと我に返った。振り返ると、心配そうにジェイスンがこちらを見下ろしている。
「大丈夫、なんでもないわ。ちょっとなつかしいな、私にもこんな時期があったな、って思っただけだから」
「そうですか? なら、いいんですが……」
「あっ、紫の君だ!……あっ」
 アメジストを見つけたベスマは頬を紅潮させて叫んでから、何かに気づいたらしく、不安そうにきょろきょろ、と辺りを見渡した。
 そして真剣な顔をしてアルタンの服のすそを引っ張る。
「……あのこわいおじちゃん、いない?」
 かがんだアルタンにこっそりと耳打ちするが、内容がだだ漏れだ。思わずアメジストは噴き出しそうになり、口元を手で覆った。
 アルタンはベスマの頭をなでた。
「ああ、いない。紫の君があのおじちゃんをしっかり怒ってくれたから、ベスマは何も心配しなくていい」
「ほんと?」
 上目遣いでアメジストを見上げるベスマに、アメジストはかがんで視線を合わせて、うなずいてみせた。
「ええ。本当にごめんなさいね。あのおじちゃんに代わって謝るわ。結構な勢いで転んだけれど、お尻とか、痛くない?」
 おじちゃん呼ばわりされたと聞いたらまたゲオルグは激昂するかもしれないが、今ここにはいない。ベスマに暴力を振るったことは間違いないのだし、潔く悪役になってもらおう。
「だいじょうぶ……」
 ベスマはか細く呟いて、ぱっとアルタンの後ろに隠れた。
「なんだ、ベスマ。照れているのか?」
 笑いながらアルタンがベスマを前に出そうとするが、ベスマはいやいやと頭を振ってますますアルタンにしがみつく。
「やれやれ、さっきはあれほどうれしそうだったのに。……ああ、みんな。紫の君たちは、普段私たちとは少し違う言葉を話しているんだ。だから、ゆっくりと話してやってくれ」
 興奮した男の子たちがジェイスンに早口で話しかけているのを見て、アルタンがそう注意する。男の子たちは目をぱちくりとさせ、互いに顔を見合わせた後、もう一度ジェイスンを見た。
 男の子の中でも年長の子が口を開いた。
「おにいさん、なんでかたっぽだけ、めがねしてるの?」
 ゲオルグは『おじちゃん』なのに、彼と同い年のジェイスンは『おにいさん』なのか。アメジストは一瞬不思議に思い、すぐに納得した。ジェイスンは派手な外見のせいか意外と若く見えるのだ。ゲオルグが歳より老けて見えるというのもあるだろうが。
 年長の子の隣にいた男の子が首を傾げる。
「かたっぽだけ色つきのめがね、見づらくない?」
「ああ、おにいさんは、眼鏡してる方の目だけ見えづらい色の組み合わせがあるんだ。おにいさんは戦士だから、いざという時に見えないと困るだろ? だから、かたっぽだけ色つきの眼鏡をしてるんだよ」
「そのめがねしてると、見えるの?」
「うーん、もうかたっぽの目と同じように見えるって訳じゃないけど、眼鏡をかけないときよりは、見えるようになるからな」
「そうなんだ!」
「納得したか?」
「うん、した!」
 かがんだジェイスンが男の子の頭をなでる。
 ――そんなこと、知らなかった。いや、知ろうとしなかった、というべきかしら。アメジストは軽くため息をついた。ひょっとしたら、一見素っ頓狂にしか見えない髪型や色も、何か理由があるのかもしれない。
「さあ、もうそろそろ晩御飯の時間だぞ。みんな帰りなさい。父上と母上が心配する」
 ぱんぱん、と手を叩いてアルタンがそう言うと、はぁい、と子どもたちが返事をした。
「ベスマ、アルタンおにいちゃん、また明日ね」
「ああ、また明日な」
「ばいばい」
 子どもたちは手を振り、それぞれの家路へとつく。
「紫の君。いろいろ案内したいのはやまやまなのだが、先ほども言ったようにそろそろ夕食の時間だ。戻ってもいいだろうか」
 すまなそうにアルタンがそう言ったが、むしろわがままを言ったのはこちらだ。サジタリウスたちにも早めに戻ってくるよう言われている。
「はい。連れてきていただいてありがとうございます」
 アメジストがぺこりと頭を下げると、気にしなくていい、とアルタンは笑ってベスマと手をつなぎ、来た道を戻っていく。そしてアメジストたちもそれに続いたのだった。
モドル | ススム | モクジ

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