帝国年代記〜催涙雨〜

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  砂漠の国の占い姫  

 見渡す限りの大草原に、アメジストは目を丸くして立ち尽くした。
 青々とした下生えに、この世の植物という植物がすべて植わっているのではないかと錯覚するほどの多種多様な植物。
 あちらでは赤い花が咲き、蜂や蝶がひらひらとその蜜を求めて舞い飛ぶ。こちらではやや背の高い植物が少しでも日の光を浴びようとその蔓を伸ばしている。それが見渡す限り――それこそ地平線が見えるほどに続いている。
「これは見事な……確かに『大草原』ですね」
 草原を渡る風にリチャードが髪を押さえて、感嘆の声を上げる。もう彼の髪は短いから髪を押さえる必要はないのだが、どうしても癖になっているのだろう。
「そう言ってもらえると嬉しい。私たちの父であり、母である大地だから」
 アルタンはそう言って笑った。笑うとぐっと幼い印象になり、アメジストはうっかりかわいい、と思ってしまった。曲がりなりにも自分と同じような年頃の男性に対して。
 ――いやいや、これはさすがに失礼よね。
 アメジストがぷるぷると頭を振ると、「どしたの?」とハムバが声をかけてきた。
「いっ、いいえ。なんでもないの。ただ、圧倒されてしまって。もしかしたら、ここに世界中の植物が集まってるんじゃないかしらって思ってしまって……そんなはずないのは、分かっているのですけれど」
 あわててアメジストは違う違う、と両手を振った。うっかり考えたことを見透かされたか、と若干頬を染めながら。
 そんなアメジストをハムバはじっと見て、予想外のことを口にした。
「……確かにアルタンは俺から見てもかっこいい部類に入る男だと思うけど、やめといたほうがいいんじゃない? アルタン次期族長だから最終的にはステップに戻るわけだし。それとも皇帝なんてやめてお嫁に来る?」
「えっ!?」
「なにっ!」
 まったく違う方向に全力で勘違いをされ、アメジストはさらにあせって真っ赤になり、ゲオルグの顔つきが厳しくなった。
「ち、ちがっ……そうではなく、」
「姫! 蛮族の男など姫にはふさわしくありません! 姫には私がいるではないですか!」
 全力で否定するアメジストとどさくさにまぎれて(おそらく無意識に)とんでもないことを口走るゲオルグを見て、のんびりと笑うのはサジタリウスだ。
「おやおや。陛下にもようやく春が訪れましたかね?」
「……いや、サジタリウス。この状況は笑い事ではないと思うんだが」
 この騒ぎを止めようにもどうやって止めればいいのか分からず、迷った挙句リチャードはため息をつきながらサジタリウスに突っ込んだ。
 しかしサジタリウスはどこ吹く風だ。
「だって陛下ももう、結婚していてもぜんぜんおかしくないお歳ですからねぇ。……ふふ、どうしましたジェイスン? なんだか面白くなさそうな顔をしていますよ」
 含みのある笑みを浮かべて、サジタリウスはジェイスンをつつく。
「……俺には関係ない」
 知らず知らずに声が低くなる。それが図らずもサジタリウスの言葉を証明する形になってしまい、ジェイスンは舌打ちしそうになった。ちらりとサジタリウスの方を伺うと、ものすごく面白いおもちゃを見つけた子どものような表情をしている。
 ジェイスンはげんなりして肩を落とした。
「……あんた、絶対俺で遊んでるだろ……」
「はい、それはもう。他人様の色恋沙汰なんて格好のネタじゃないですかー」
 いっそすがすがしいほどの笑顔を浮かべ、サジタリウスはそう言い放った。一切隠したりごまかしたりしないある意味潔い態度に、もはや反論すら思いつかない。後ろではリチャードがかわいそうに、という表情でジェイスンを見ていた。つまり、少し前まではリチャードが対象だったのだろう。
 ――ちょっと待て。こいつにも知られてんのか? ふと嫌な予感を覚えたが、耳に飛び込んできた言葉でそれは霧散した。
「誤解ですってば! もう、サジ様までからかわないでくださいっ! 第一、彼にだって選ぶ権利がありますわ!」
「確かに彼女はかわいらしいと私も思うが、残念ながら私はすべてを捨ててアバロンへ行くわけにはいかない。次期族長としての責任があるからな。あなたもそうだろう」
 援護のつもりだったのだろうがどこかずれたアルタンの言葉に、アメジストはもう何も言えず口をぱくぱくさせるだけだ。
「きっ、貴様、おかしなことを言って姫を惑わすな!」
 つかみかかる勢いでゲオルグがアルタンに怒鳴りつける。
「正直な気持ちを言っただけで、惑わしたつもりはないのだが」
 だがアルタンはこともなげにそう言った。あまりにもあっさり言われてゲオルグも一瞬呆然とする。
「……きさ」
「いつまでもここでしゃべっていても仕方がない。そろそろ向かわないと夜になる」
 そのつもりはなかったのだろうが、ゲオルグの言葉をさえぎってアルタンはくるりときびすを返し、すたすたと歩き始めた。
「ほーら皇帝さん、行こっ」
 ハムバがアメジストの背を押す。アメジストはそのまま押される形でアルタンの後を追い、リチャードやサジタリウス、ジェイスンもそれに続く。
 一人取り残された格好になったゲオルグははっと我に返ってアメジストの方を見る。
「……貴様ら姫になれなれしく触れるな!」
 ゲオルグはあわててアメジストに駆け寄り、アルタンとハムバの二人からアメジストを微妙に隔離したのであった。

 一部険悪なままであったが、なんとか夕方になる前にノーマッドたちの村にたどり着くことができた。
 アルタンに続いて村に入ったアメジストたちは『よそ者』なので大人たちからは遠巻きにされていたが、子どもたちは逆にこちらに興味津々だった。子どもたちが口々にアルタンに話しかける言葉が聞き取りにくいらしく、リチャードとサジタリウスが小声で「何を言っているんだ?」「いやちょっと早口で分かりません」と言葉を交わしている。
 アメジストには普通に理解できるので首をかしげて、そして気づいた。言葉がなまっている……いやいや向こうにとってはこちらがなまっているのだろうが、とにかく発音がアメジストたちが普段使うバレンヌ口語とは少しばかり違っていて、むしろ彼らの発音はカンバーランド古語のそれに近い。であれば、カンバーランド古語を知らないリチャードたちに分かりにくくても当然だ。アルタンやハムバにそのなまりは見られないから、二人は相当勉強したのだろう。
 ――もしかすると、カンバーランド人とステップの民は、祖を同じくするのかもしれないわね。アメジストはそう思った。
 もともとは同じ言葉を話していたのだろう二つの種族。カンバーランドからステップの民が離れたのか、それともステップからカンバーランドが誕生したのかは分からないが、今は二つの種族は長城という壁に隔てられ、文化も習慣も、価値観も違っている。長城が二つの種族を分けたことで、二つの種族は独自に発展し今があるので一概に長城の存在が悪いとは言えないが、カンバーランド人はステップの民たちを蛮族と蔑み、ステップの民はカンバーランドを高慢な国よとささやく。
 ゲオルグがアルタンをはじめとするステップの民を見る目はそれで、逆にアルタンをはじめとしたステップの民たちがゲオルグを見る視線には隠し切れない苛立ちがある。
「ねえ。おねえさんは、紫の君なの?」
 そう考えていたときに、くいくい、とアメジストの服のすそを引っ張って尋ねてきたのは、年端もいかない女の子たちであった。その目はみな、一様にきらきらと輝いている。
 『紫の君』とは、アメジストの記憶によればこの大陸に伝わる話の中に出てくる、紫の目をした美貌の少女である。笑顔を浮かべたアメジストは少女と視線を合わせるためにしゃがもうとして、ゲオルグに引っ張りあげられた。
「ゲオルグ王子?」
「蛮族ごときが、その汚らしい手で姫に触れるとは無礼のきわみ! そこな子ども、姫から疾く離れよ!」
 ゲオルグが腰の剣に手をかけた。アメジストのすそを引っ張った少女はゲオルグの恫喝にびっくりし、逆に硬直してしまう。
「離れよという言葉が分からぬか、蛮族めが!」
 ゲオルグが少女をどんと突き飛ばす。しりもちをついた少女は一拍間をおいた後に泣き出し、周りの少女たちもつられて泣き出してしまった。
「ベスマ!」
「……ちょっとあんた、いくらなんでもこんなちっちゃな女の子に暴力振るって泣かすとか、どうかしてんじゃないの!?」
 ハムバが声を荒げた。アルタンはベスマと呼ばれた少女を引き起こし、なだめるように頭をなでた。ベスマは泣きながら、アルタンにしがみつく。
「ゲオルグ王子!」
 アメジストが鋭く声を上げるが、ゲオルグはアルタンたちをにらみつけたままだ。
「まったくずうずうしいことこの上ない! 本来ならば首を落とされても文句は言えない行為なのだぞ!」
「ベスマ。母上のところへ戻っていなさい」
 アルタンはベスマをゲオルグから隠すようにして、一つの建物を指差した。
「でもぉ……」
「戻りなさい。私がちゃんと話すから。みんな、すまないがベスマを連れて行ってくれ」
「……うん」
 べそべそと泣きながらではあったが、女の子たちはアルタンの言葉に従ってとぼとぼと歩き出した。
「……あの子は人であって、あなたが言うような汚れたものではない。……何があなたをそんなにいらだたせているのかは私には分からないが、カンバーランドの者はみなあなたのように人を汚らしいと見下すような者ばかりなのか?」
 一転して冷たい刃のような声で、アルタンがじろりとゲオルグを見る。顔色一つ変えずに、だが不満は声に現れている。ハムバもきつい目つきでゲオルグをにらみつけていた。
「我がカンバーランドを侮辱するか、蛮族め!」
「ゲオルグ王子! いい加減になさってください!」
 アメジストがゲオルグの腕をきつくつかんで口論を止めた。
「姫、お放しください」
「いけませんと言っているのが分かりませんか? だいたい彼らは蛮族などではなく、ただ私たちと違う文化を持った、同じ人です。ただ住む場所が、都か草原か、はたまた砂漠かの違いだけ……そもそもゲオルグ王子、あなたの態度が彼らに『カンバーランドとはそういう国なのだ』と、そう思わせてしまったのだとは考えられませんか!」
 そしてアメジストはアルタンとハムバの二人に向き直り、深く頭を下げた。
「姫」
「申し訳ありません。彼の無礼は、皇帝である私の力不足にほかなりません。お怒りでしょうけれど、どうかそれを収め、私たちをご案内いただけませんか」
 頭を下げているから二人の表情は見えない。だが顔を見合わせたのだろう気配は伝わった。
「それとも、頭を下げるのは謝罪にはなりませんでしょうか。であれば、あなた方のやり方で謝罪いたします。どうかお許しください」
 砂漠の知識のないアメジストたちが、彼らの案内なしにテレルテバにたどり着くのは無理だ。どうあっても彼らには許してもらい、テレルテバまで案内してもらわなければならない。アメジストは必死に頭を下げ続けた。
「……どうか頭を上げてくれ、紫の君よ」
 しばらくそのままでいると、アルタンから声がかかった。その声は先ほどの鋭い刃のような声ではなく、先ほどの少女たちにかけたような、柔らかな声だった。
 アメジストが頭を上げると、ハムバは全開の笑顔で、アルタンはほんの少し目を和ませてそこに立っていた。
「謝罪は受けよう。私も大人気なかった。……手を出していただいていいか」
「手?」
 いきなり飛んだ話にきょとんとしつつ、アメジストが両手を差し出す。アルタンはすらりと腰の剣を抜き、抜き身のままアメジストに向ける。
「姫!」
「陛下!」
「あなたたちは下がっていなさい!」
 気色ばむゲオルグたちを鋭く叱り付け、アメジストはそのままアルタンをじっと見つめた。
 目の前の彼からは殺気の類がまったくない。それがゲオルグたちを下がらせる理由だった。
 アルタンは今度は剣先を自分の胸に向けた。
「柄を持って。私の心の臓辺りに切っ先を当ててくれ」
「こう、ですか?」
 その剣は、アメジストには重い。取り落とさないように、万が一にでも勢いあまって突き刺さないように注意しながらとん、と切っ先を彼の胸に当てた。
「ありがとう。……これで手打ちにしてほしい」
 アルタンは笑ってアメジストが持った剣を取り、腰に収めた。
「へぇーっ、アルタンよっぽどこの皇帝さん気に入ったんだ。いきなしそこまでやるとは思わなかった」
 ハムバがアルタンを肘でつつくが、アルタンは涼しい顔だ。
「仮にも上に立つものが非を認め、頭を下げたのだ。こちらも相応の対応をしなければいけないだろう。……まあ、今はまだ父が族長だから、私の力の及ぶところまで、だがな」
「どういうことですか?」
 訳の分からないアメジストがたずねる。
「先ほどの儀式は、我々ステップの民が『仲間』と見なした人間に対して行う儀式だ」
「お互い心の臓に切っ先を向けただろ? 互いに命を預けあうって言う意味なんだよな」
「そ、そんな。外国人である私に、そこまで……」
 意味が分かっておののくアメジストに、アルタンは「そんなに気負わないでほしい。単に、私があなたと友人として付き合いたいだけなのだから」と笑った。
「ありがとうございます。……けれど、さっきの女の子には、悪いことをしてしまいました」
「それはそこの騎士どのが気にすることであって、あなたが気にすることではない。……さあ、こちらへ。寝所へ案内しよう」
 『そこの騎士どの』と発音するときだけとげをあらわにし、アルタンとハムバはひときわ大きな建物にアメジストたちを連れて行ったのであった。
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