帝国年代記〜催涙雨〜

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  color me blood red.  

「……そうでしたか。娘は……」
 ラズウェル伯爵夫妻はそっと目を閉じた。
 あの後、緊急の呼び出しに応え出仕したラズウェル伯爵夫妻に、アメジストはすべてを話した。ジェシカがここにいない理由、そしてその原因となった背景を。
「ごめんなさい、ラズウェル伯。私がふがいないばかりに、あなた方の大切なお嬢さんに一生、消えない傷をつけてしまった」
「……いいえ」
 ラズウェル伯爵は首を振った。
「ジェシカは……娘は、幸せ者です。幼いときの誓いを違えず、その身を張って主君と認めたあなた様をお守りした。騎士としてこれ以上の誉れがありましょうか。私は娘を誇りに思います」
 そうは言っても、心中は複雑だろう。ジェシカは彼らの一人娘であるわけだし。
「……陛下、私は娘が軍属になると決まったとき、そして娘があなた様の直属近衛になると決めたときから、いつか帰ってこなくなる日がくるのではないかと覚悟はしておりました。……娘は生きている。それだけで私は十分です」
 今一番つらいはずのラズウェル伯爵が、逆にアメジストの心中を思いやってくれる。
 ああ、なんて自分は小さいのだ。こんな体たらくで皇帝だなんて、笑わせる。
「……ラズウェル伯。ジェシカは今、動ける状態ではありません。申し訳ないのだけれど、カンバーランドまでご足労いただけないかしら」
「かしこまりました。それでは御前、失礼を……」
 ラズウェル伯爵夫妻は一礼し、アメジストの前から下がった。
 アメジストは一息つく。次はシーシアスを呼び出してある。女官にシーデーたちを連れてきてくれるよう頼み、シーシアスを謁見の間へ通す。
「姫さん、シーデーは……!」
 入るなりアメジストに詰め寄る勢いだったシーシアスは、アメジストのそばにいたルイに止められた。
「大丈夫、シーデーは無事だから安心して。……おばあ様と、弟さんは?」
 シーシアスの祖母と弟は、行方不明になった孫娘と姉を心配して、シーシアスに知らせに走ってきたという。
「あ……ばっちゃんとアキは、オレの借りてる部屋にいてもらってるよ。まさか城にいさせるわけにもいかないし……」
 それもそうだ。間の抜けたことを聞いてしまった。ルイがこめかみを押さえてため息をつく。
 アメジストはごまかすように、こほんと咳払いをした。
「……今。シーデーを呼びにやってるから、ちょっと待っててね。それと、あの子に落ち度はないから、叱らないであげて」
「うん……分かってる」
 シーシアスがうなずいたとき、女官がシーデーを連れてきた。
「シーデー!」
 シーシアスの声にはっとシーデーが顔を上げる。
「おっ、おにい……」
 あっという間にシーデーの顔がくしゃくしゃになり、女官の手を振り払ってシーシアスに駆け寄り、ばっと抱きついた。
「お、おに……おにい……う、うわあああああああん!」
 アメジストの前では泣かなかったシーデーが、シーシアスにしがみついてわんわん泣いている。ずっと我慢していたのだろう。その小さな体で。
「よかった……ほんとに無事でよかった……どこも痛くないか?」
「うん、で、でもこ、こわ、こわかったよー……」
「よーしよし、おにいがいるから、もう大丈夫だからな。……姫さん、本当にありがとう。シーデーを助けてくれて」
「……いいえ。助けられたのは私のほうだわ」
「うんにゃ、姫さんがいなかったらシーデーとは二度と会えなくなるとこだったし」
 シーシアスはしがみついて泣いているシーデーの頭をそっとなでた。
「シーシアス。君に一つこなしてもらいたい仕事がある」
 ルイ直々に声をかけられるなど、シーシアスにとっては初めてだろう。彼はぎょっとしたように顔を上げた。
「君の妹と同じように、別の町からかどわかされた娘たちがいる。その娘たちを家族の元に送り届けて欲しい」
「え? えっと……」
 シーシアスはどうしたらいいか分からないようで、一瞬アメジストに視線を移した。
「ごめんなさいねシーシアス。本来なら私たちが直接送り届けなければいけないのでしょうけれど、とにかく今、アバロンを離れられる人手がまったく足りていなくて……でもまさか一人で帰すわけにもいかないし。女の子たちの護衛としてついていってほしいの」
「馬車もつけるし、ソーモン、モーベルム、ティファールとたどれば一週間もかからんだろう。一週間後にアバロンへ戻ってくれば、その間どのようにすごしても構わない。その間の給金はきちんと出すから、心配することもなかろう」
 完璧な無表情でルイが告げる。本来ならソーモン、モーベルム、ティファールと回るにはゆっくり行って二日、悪天候などの事情があっても三日もあれば十分だ。だがたまにはシーシアスにも家族水入らずで過ごしてもらいたいというアメジストのわがままを、ルイがしぶしぶ飲んだ形なのだ。だがおおっぴらにそういう「ひいき」をするのも問題があり、では女の子たちの護衛という形にしてしまおうということに落ち着いたのだ。人手が足りないのは事実であるわけだし。
「……どう、シーシアス? 引き受けてくれるかしら」
「分かったよ、姫さん」
「ありがとう。出かけるときと戻ってきたときの報告は、いつものとおり傭兵隊長にお願いね。今日はもう、帰っていいから」
「え、でもオレ、まだ勤務が」
「その辺りはこっちでちゃんと調整するから大丈夫。……おばあ様と弟さんも、早く安心させてあげなさいな」
「……ありがとう、姫さん」
 アメジストは笑って首を横に振った。
「シーデー、ほら。お礼は?」
 シーシアスがようやく泣き止み、ぐすぐす言っているシーデーを優しく促した。
「おねえさん……じゃない、皇帝陛下。助けてくださって、ありがとう……ございました」
「どういたしまして。あなたこそ、私を看病してくれてありがとう」
 シーデーはほんの少しだけ笑って、ぺこりと頭を下げた。
 そしてシーシアスと共に、謁見の間を出て行った。


 執務をなんとか終わらせて私室に戻ったアメジストは、早速頭を押さえた。
 ここはアメジストの私室だ。しかも寝室である。アメジストの許可がなければ入れない。そのはずなのに。
 赤茶色の髪をしたその人は堂々と、腕を組んで、寝室に入ってきたアメジストを見据えた。
「どうして、あんな無茶をした」
 端的な言葉だが、アメジストには何をさしているのかすぐに分かった。クロウの視線を避けるようにうつむく。
「ごめんなさい」
「本気で謝ろうと思っているならちゃんとこっちを見ろ、アメジスト」
 一瞬だけ目を閉じて、アメジストはクロウを見た。
 クロウの表情は、怒っているような、ひどく泣き出しそうな、矛盾をはらんだものだった。
「……お前が捕まったと聞いたとき。心の臓が止まるかと思った。俺は以前、無茶だけはしてくれるなと頼んだはずだ」
「ごめんなさい」
「分かってない。あいつがお前を殴ったと聞いたときは腹が立ったが、でも間違ったことは言ってない。大事にしてくれているのは分かるが、そんなもんでお前が損なわれてしまっては、意味がない」
「……ごめんなさい」
「だから!」
 クロウはアメジストを抱き寄せる。アメジストは抵抗せず、すっぽりとクロウの腕の中に納まる。
「お前が死んだら、俺も死ぬ。そこに俺の意思があろうとなかろうと、遠からず、そうなる。これは間違いない。……だから、だから、俺をあんまり心配させないでくれ」
「ええ。できるだけ、気をつけるわ」
「お前は……」
 まったく、と小声でつぶやく、少し呆れたような声が聞こえ、クロウはアメジストを解放した。
「まあいい。今日は、これを届けに来ただけだからな」
「なあに?」
 クロウはテーブルに置いてあった杖を手に取った。
「杖?」
「見た目はな。だが、ここをこうすると……」
 クロウが杖をねじった。すると杖の上部がはずれ、そこから刃が現われる。
 なるほど、仕込み杖というわけだ。
「お前の力でも扱えるように作らせた」
「ありがとう、クロウ」
「大事にしてくれなくていい。お前の命を優先させろ」
「分かったわ」
 笑ってうなずくと、クロウの表情が少しほぐれた。
「……もう、戻る。お前も疲れているだろう。早く寝ろ」
「ええ、そうする」
「……俺が出て行った後。ちゃんと鍵を掛けろよ?」
「私、もう子どもではないわ」
 ぷうっと膨れてみせると、それが心配なんだが、とクロウはつぶやいて、それからお休み、と言って窓から出て行った。
 それを見届けたアメジストはしっかりと窓の鍵を掛け、寝台の横のテーブルの上にあった明かりを吹き消した。
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