帝国年代記〜催涙雨〜

モドル | モクジ

  color me blood red.  

 あれから数ヶ月。
 カンバーランド関連の後処理もようやく終わりが見えてきた。容態の安定したジェシカもカンバーランドからアバロンに戻り、現在自宅で療養している。一緒にカンバーランドに残していたジェイスンとサジタリウスもアバロンに戻り、それぞれの仕事に戻っている。
 皇帝としての執務の隙間時間に、アメジストはリチャードを呼び出した。個人的にだ。
「お疲れ様、リチャード。忙しいところ呼び立ててしまってごめんなさいね」
「いえ。どういった御用でしょうか」
 畏まるリチャードに楽にするよう声をかけ、アメジストは単刀直入に切り出した。
「リチャード、あなた、ジェシカのこと好き?」
「はっ……?」
 アメジストの言葉にリチャードは目を丸くする。まあ当然だろう、なんらかの用事で呼び出されたと思っていたのに、いきなりこんなことを聞かれれば。同じようなことを聞かれたら、アメジストだって同じような反応をするだろう。
「い、いきなり何を……?」
「好きかどうかを聞いてるのよ。答えて」
 リチャードはものすごく挙動不審になった。
「え、ええと……それは、嫌いだったら、長年一緒にはいませんし……」
「そう。じゃあ、ジェシカと会えなくなったらどうする?」
「はっ……? へ、陛下、いったい何を……別に、宮殿に来れば会えるでしょう」
 アメジストが何を言っているのか分からない、とリチャードは言いたいのだろう。表情が物語っている。
「あのね。今まではそうだったかもしれないけれど、ジェシカは退軍したのよ。その上ジェシカは伯爵家の一人娘。今は療養中だけれど、いずれは誰かと結婚して、跡継ぎを産まなくてはならないわ」
「それはそうでしょうが……ジェシカは陛下の側仕えとして残るのでしょう? であれば、会えるはずです」
 まったく、この朴念仁は本当にわかっていないようだ。アメジストは小さくため息をついた。
「……リチャード。あなた今まで結婚の申し込みをされたことがあったでしょう。それなのにあなたは結婚していない。いい条件のお嬢さんが多数いたにもかかわらず。それは、どうして?」
「そ、それは……私は、直属近衛ですから。いつ戦死するか分からないのに、無責任に結婚することなどできません」
 だが、それがジェシカを好きかどうかということと、ジェシカと会えなくなるのになんの関係があるのだ、とリチャードの顔に大きく書いてある。
「ジェシカも同じなのよ。いつ死んでしまうか分からない、だから結婚はできない。そう断っていたの。……でもジェシカは退軍した。もうその言い訳は使えないわ。今度求婚されたら、ジェシカの立場上、断りにくいでしょうね」
「ジェシカが幸せになるのなら、どんな男性でも構わないではないですか」
 ああもう、本当にこの朴念仁は! 思わずアメジストは口に出してしまいそうになった。
 リチャードだってもういい大人のはずなのに、なぜこうも鈍いのだ。
「じゃあ聞くけれど、もしジェシカのだんな様になる方がジェシカに仕事をやめて欲しいと言ったら? そうなったらジェシカだってだんな様の意向を無視して私の側にいることはできないわ。普通に考えて、自分の奥さんに、いくら幼馴染とはいえ男性と個人的に会うことにいい顔はしないはず。そうしたら、あなた本当にジェシカとは二度と会えなくなるのよ。本当に、それでいいの?」
 リチャードはぎょっとしたように目を見開いた。……こうしてアメジストから懇切丁寧に説明されるまで、本当に分からなかったらしい。
「だからね、リチャード、よく考えて。本当にジェシカと会えなくなってもいいのか、ジェシカが、……他の男性と結婚して子どもを産むことに、本当に納得できるというなら……私はもう、何も言わないわ」
「…………」
 ジェシカを幸せにできるのはリチャードだけだ、とアメジストは思っている。ジェシカははっきりとリチャードを男性として意識している。それは色恋沙汰にうといアメジストにだって分かった。
 けれどリチャードは。……リチャードが男性で、アメジストが女性だという差異もあるのかもしれないが、彼はジェシカを女性として意識しているかはよく分からない。少なくとも好意は抱いているのだろうけれど。
 アメジストとしては、幼馴染でもある二人には幸せになって欲しいと思っている。それは当たり前だ。だから、こうしてけしかけているわけだが――ひょっとしたらありがた迷惑なのかもしれない。
 それでも突っつかずにいられなかった。
「……三日後。ジェシカのおうちでお見合いがあるわ。お相手の方は男爵家の人間だから、ジェシカの家柄とはちょっとつりあわないかもしれないけれど、とても有能で優しい方。……これを聞いてあなたがどうするか、どうすべきなのか。何をしようが、私は関知しません。自分で考えなさい」
「…………」
 リチャードは黙りこくり、なにやら考え込んでいる。
 これ以上、アメジストから言うことは、もはやない。彼の判断にゆだねるしかないのだ。
「リチャード、時間を取らせてしまってごめんなさいね。もう、戻っていいわよ」
「……は、はい……では、御前、失礼を……」
 リチャードはなんとか臣下の礼をとり、執務室を出て行った。

 パタンと扉が閉じる音。とたんにどっと吹き出てくる汗に、リチャードは焦った。
「……私は……いったい、どうしたいのだろうか……」

 焦燥感からつぶやいたその独り言は、宮殿の廊下、あいていた窓からこぼれて出て行った。


 三日後。
 ジェシカの見合いの日。
 リチャードは……アメジストからそれを知らされた日から、ずっと頭を悩ませていた。
 ジェシカは嫌いではない。むしろ好きだと思う。けれどそれは友情としてなのか、愛情なのか……自分にはよく分からない。
 けれど、アメジストからジェシカの見合いの話を聞いた時、なぜかぐるぐると胸の中で澱のようなものが渦巻いたのだ。
 それからその手に負えないものをずっと抱え込んでいる。
 ああ、とリチャードは呻いた。これは、この感情は、いったい何なのか。
 ジェシカなら、その答えをくれるような気がした。ジェシカはいつだって、迷う自分の指標なのだ。
 ああ、そうだ。ジェシカに会いに行こう。
 そう思いついたリチャードは立ち上がり、そのまま駆け出した。


 ……退屈だ。ジェシカはこっそり、あくびをかみ殺す。
 今の自分は、見合いにふさわしい、だが決して華美すぎないドレスを身に纏い、珍しく化粧までして、その場に臨んでいた。
 でも結局、こんなものは顔合わせという意味でしかない。自分がどう思おうが、決まりなのだ。この話は。
「……あなたは、」
 両親と話し合っている男性に、ふと声をかける。ようやく彼がこちらを向いた。ああ、確か彼は男爵家の次男坊だったっけ。次男というとどうしてもリチャードを思い出してしまう。
「私の願いを、きいてくれますか」
「なんなりと、ジェシカ嬢」
 にこりと微笑む彼は、リチャードと負けず劣らずの格好良さと気品を持っている。それでもリチャードと比べて精彩を欠いて見えるのは――やはり、リチャードが好きだからなのだろう。
「私が陛下と、それからリチャード……ヘイワード家の次男と幼馴染なのは、ご存知ですよね」
「……はい、存じております」
 目の前の彼は、一瞬嫌そうな顔をした。見合いの最中に自分ではない別の男性の話題を出されては、それも当然かもしれないと、どこか他人事のように思った。
「私が、幼馴染と会いたいと願ったならば。……あなたは、許してくださいますか」
「……それは」
 たった一言。
 それで、それだけで。
 彼が言わんとしていることが分かってしまった。
 やっぱり。ジェシカはそっと目を伏せた。
 脳裏をよぎるのは、今までのリチャードとの記憶。カンバーランドで泣いた自分をただ、黙って受け止めてくれた。不器用だったけれど、それは間違いなく、ジェシカのためにしてくれたこと。
 だが、それはもう、許されなくなるのだ。
 ああ。ジェシカは小さくため息をついた。ああ、リチャード、あいたいよ……
「…………、…………!」
 あれ、どうしてだろう。今、リチャードの声が聞こえたような気がした。ジェシカは顔を上げた。けれど目の前にいるのは男爵家の次男坊。
 なんだ、自分の心が聞かせた、ただの幻聴か。そりゃそうだ、見合いの場にリチャードがいるはずがないのだ。
 目の前の彼は自分に向かって何かをしゃべっている。けれどその声は、自分には聞こえない。まるで透明な壁にさえぎられているかのように――
「ジェシカ!」
 ジェシカは目を見張った。次いできょろきょろと辺りを見回す。
 今のは、幻聴じゃない。自分が間違えるはずがない。この、声は――
「ジェシカ! どこにいる!」
 ジェシカは立ち上がった。リチャードの声がする方へ走り、窓を開ける。
「リチャード!」
 そこにいたのは、やはりリチャードだった。
「ジェシカ! 私は、私は――どうしたらいいのか、分からないのだ」
 この部屋は、地上よりは高い場所にある。だからいつもは自分が見上げるリチャードが、自分を見上げている。いつもはきちんと束ねている髪はぼさぼさで、服だって外に出るのにはあまり適した格好ではない。その上、ひどく情けない顔で、自分を見ていた。
 ああ、もう、なんて格好しているの。あんたは立派な騎士でしょう、そんな顔してちゃだめよ――
「だから、ジェシカ。私の道を、照らしてくれ。いつものように……」
 それを聞いたジェシカは、部屋の中を振り返った。
 驚いた顔をした両親と、誰だっけ、名前も覚えていない彼。
「――ごめんなさい、父上、母上」
 やっぱり、あんたには私がついていなきゃ、てんでだめなんだから。
「私、やっぱり自分の心には、逆らえません!」
 もう一度リチャードのほうを振り返り、思い切って窓から飛び降りた。
 部屋の中から悲鳴が聞こえたような気がするが、どうでもよかった。両親や名前も覚えられなかった彼よりも、リチャードの側にいたかった。
 リチャードは突然飛び降りてきた自分に驚いた顔をしたが、ちゃんと自分を受け止めてくれた。
「仕方がないわね、リチャードは。……私があんたの道を照らしてあげる。だから、私の側にいなさい。いいわね?」
 極上の笑みを浮かべたジェシカに、リチャードは心底ほっとした顔をする。
「ああ。……よろしく、頼む」
 答えの代わりに、ジェシカはリチャードに抱き着いた。


「ねえ、あなたは私を馬鹿だって笑う?」
 アメジストは、背後に向かって声をかける。
「私ね、小さいころからリチャードとジェシカが大好きだったわ。だから思ったの。二人が結婚してくれたらいいなーって。今でもそう思ってるし、そうなった今をうれしく思うの。でもね、でも……」
 アメジストの声が、ほんの少し、震えた。
「少し、寂しいの。私がけしかけたのも同然なのに。どうしてなのかしら……ねえクロウ、私を馬鹿だって笑う?」
「……笑わないさ」
 応えたのは、赤茶色の髪をした、いつもアメジストを見守ってくれる、とても近くてとても遠い、存在。
「関係が変わってしまうのが、自分の知っているふたりじゃなくなることが、寂しいんだろう」
「そう、なのかしら……」
「そうだ。あまり深く考えるな、お前の悪い癖だ」
 少し呆れたようなクロウの声が、今はとても心地よかった。
 アメジストは目を閉じる。
「……ねえ、クロウ。歌って?」
「……いきなり何を……」
「いいじゃない。ねえ、歌ってよ。昔みたいに――」
 深いため息と、仕方ないな、とつぶやく声が聞こえた。

 そして紡がれた歌声は、とても、とても懐かしいものだった。
モドル | モクジ

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