帝国年代記〜催涙雨〜

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  color me blood red.  

 船の中、ずっとアメジストは考え続けていた。気を遣ったゲオルグ王子がいろいろ話しかけてくれたが、それにも生返事しか返さず、ずっと考え続けている。
 自分が世間知らずだということは分かっていたつもりだった。だが、今回の件はひどくアメジストにダメージを与えていた。ジェイスンの冷たい言葉とともに。
「……姫。ダグラスに到着しましたよ」
 ゲオルグ王子の声にはっと我に返る。
「あ、ああ……ありがとうございます、ゲオルグ王子」
「……私のことはゲオルグ、とお呼びください、姫」
「ですが……」
「かまいません。ぜひ呼び捨てでお願いいたします」
「はあ……」
 あいまいに笑ってそれには答えず、アメジストは立ち上がった。ゲオルグ王子はアメジストを先導するように、先に進む。
 船を下りたとたん、周りの兵士たちが駆け寄ってきた。ゲオルグ王子は彼らと一言二言、言葉を交わしてダグラス城は謁見の間へ歩いていく。
「陛下!」
「トーマ王子……」
 アメジストたちをぱあっと笑顔で迎えてくれたのはトーマ王子だ。トーマ王子はアメジストに駆け寄り、ありがとうございました、と礼を言う。
「私は、礼を言われるようなことなんて……」
「いいえ。陛下はぼくを助けてくださいました。肉体的にだけでなく、精神的にも。……ぼくはまだ未熟で、あなたにできることは、心をこめてお礼を申し上げることだけです。ですから、言わせてください。ありがとうございます」
 きちんと会釈し、トーマ王子はアメジストに感謝の意を示す。
「姫。ジェシカ殿が目を覚まされたと連絡がございましたので、ダグラス城へお連れしております。……お会いになりますか?」
「も、もちろんです!」
 ソフィア王女は使用人にアメジストたちをジェシカの元へ連れて行くように命じる。
「姫、私どもはきっと三人で話し合うということが足りなかったのです。ですから、これより三人で話をしたいと考えております。あの少女たちの処遇はもとより、この国のことを、もっといろいろと……」
 ゲオルグ王子がアメジストに声をかけた。
「ですから、どうぞお気になさらずジェシカ殿と話していらしてください。今宵はあの少女たちも含め、この城にてお泊り願おうと思っておりますので……」
 きょうだいの語らいの場にアメジストがいては邪魔になる。アメジストはうなずいて、みなを促し使用人についていった。



 使用人が扉を開け、中に入ると、ジェシカが寝台から半身を起こしていた。
「ジェシカ!」
「まあ、陛下! よかった、ご無事で……ああっ」
 アメジストが駆け寄ると、ジェシカは右手を伸ばしてアメジストの頬に触れた。
「何があったのです、せっかくのお顔に傷が……もう、リチャードってば何やってるのよ!」
「わ、私のせいなのか!?」
 いきなり振られたリチャードがあわてる。ジェシカが笑ってばしりとリチャードの腕を叩いた。
 ジェイスンが少しかがんで、ジェシカと視線を合わせる
「ジェシカ、多分今日か明日あたり、傷が元で熱が出ると思う。水分はしっかり取れよ」
「分かった。ありがと、ジェイスン」
 笑顔のまま、ジェシカはジェイスンに返事を返す。
 しかしアメジストは気づいてしまった。彼女の左腕がだらりと力を失い、垂れたままなのを。
「……ジェシカ、左腕……」
 恐る恐る切り出すと、ジェシカは笑った。どこか悲しげに。
「……肘から下はもう、動くことはないそうです。……陛下、申し訳ありません」
「どうして謝るの? あなたが謝る必要はないわ」
「いいえ。私はあの時、生涯あなたをお守りすると誓ったはずなのに……もう、剣を持つどころか、日常生活を送るのもやっとだろう、と。私は、もはやあなたのお役に立つことができなくなってしまいました。本当に、申し訳ありません」
 ジェシカは深く頭を下げた。
「……ジェシカ。顔を上げてちょうだい」
 アメジストはジェシカの手に手を重ねる。その右手は震えていた。
「あなたが謝る必要なんてないのよ。あなたは私を助けてくれた。きちんとお役目を果たしてくれたわ。……ありがとう」
 ジェシカが驚いたように顔を上げた。
「私はあなたを誇りに思うわ。これからも私のそばにいて欲しい……いいかしら?」
「で、ですが、私はもう……」
「剣は持てなくとも、私の側仕えとして残って欲しいの。もちろん、あなたさえよければだけれど……」
「陛下……訓練しても日常生活がやっとのジェシカに、それはきついのでは?」
 少し眉をひそめてジェイスンが進言する。だがアメジストは首を横に振った。
「いいえ。ジェシカならできるって、私信じているもの。それにジェシカ以上に適任な女性なんていないわ」
「もったいないお言葉……ありがとうございます……!」
 ぽろぽろと涙を流すジェシカ。
「ジェシカ、あまり泣くと傷に障ります。今日はもう眠って、早く傷を癒すことに専念したほうがいいでしょう」
「……ええ、分かってるわ、サジタリウス」
「じゃあ、私たち、戻るわね。ああ、リチャードは残って、ジェシカが眠るまで話し相手をしてあげてちょうだい」
「はい」
 リチャードを残し、アメジストたちは退室した。
「……ジェシカ!?」
 扉が閉まるのを見届け、ジェシカに視線を戻したリチャードはあわてた。ジェシカが先ほどよりも大粒の涙を流していたからだ。
「じぇ、ジェシカ……どうして泣く? 傷が痛むのか? それとも、私が何か、気に障ることをしたのか?」
「ち、ちがっ……あんたのせいじゃ、ない……」
 ジェシカは流れる涙をぬぐおうともしなかった。
「私、悔しいの……! だって、私、もう、戦えない……アメジスト様の助けになろうって、あの時誓ったのに……」
「ジェシカ……」
「後悔してないのよ。あの時アメジスト様をかばったのは。でも、でも……もう……私……ううっ」
 分かる気がした。もし自分であっても同じ行動をするだろう。そして主に剣を捧げられなくなった悔しさも。
 リチャードは何も言わず、ジェシカの寝台のそばの椅子に腰掛け、ずっとジェシカの頭をなでていた。
 彼女が、眠りに就くまで。
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