帝国年代記〜催涙雨〜
color me blood red.
ぐったりと気を失ったアメジストを抱えたまま、サイフリートは船に飛び乗った。同時に船の櫂が動き出し、ゆっくりと海原を進み始める。リチャードとゲオルグ王子が船に飛び移ろうとしたが、それは弓矢の一斉射撃に邪魔された。
「くそっ」
リチャードが拳を地面にたたきつけた。
結局、アメジストが連れ去られるのをただ見ているしか出来なかったのである。
なんという失態だ。
呆然と小さくなっていく船を見ていたジェイスンは、ふとかがみこみ、何かを拾い上げた。それは紫と黄色が交じり合った石。ジェイスンは小さく呻いた。
「こんな、もんで」
アメトリンの首飾り。繊細なつくりの鎖が途中でちぎれ、わずかにアメジストのものと思われる血痕が付着している。傷つき倒れたアメジストが、サイフリートが目の前にいてさえも必死に手を伸ばしたもの。
確かにアメトリンは珍しい石だが、貴石、いわゆる宝石に分類されるものではないから、たいした価値のあるものではない。だが、珍しいとか、高価であるとか、そんな理由でアメジストが我を忘れてまで拾おうとするとは思えない。
「ああ、……なるほど」
ジェイスンの手の中の首飾りを見たリチャードがほう、とため息をついた。
「これは、ライブラ様……ライブラ公子の形見だ。陛下が必死で拾おうとなさっていたのも納得できる」
「ライブラ、公子」
鸚鵡返しに繰り返すジェイスンに、サジタリウスが答えた。
「ライブラ公子は、陛下の双子の兄君です。……十歳のころに、亡くなられた」
それを聞いたジェイスンはきつく首飾りを握り締めた。
「死んだ? 兄貴の形見? それがどうした。そんなもんがてめぇの命よりも大事だってか」
「貴様! その言い方はあまりに姫に失礼だろう!」
ゲオルグ王子がジェイスンの胸倉をつかみあげるが、ジェイスンはうるせぇ、と邪険に振り払った。
「だってそうだろう。形見なんざモノだ。生きてる人間が死んだ人間の思い出にするだけの、ただのモノだ。ライブラ公子とやらがなんで早世したかオレは知らんが、そんなモノのために双子の妹が死んだときた日にゃさぞかし無念だろうよ」
ジェイスンの目が怒りに燃える。……それは、誰に対してか。
「感傷に浸るのが悪いとは言わない。むしろそれで気持ちの整理がつくならやるべきだとも思うぜ。だがそれは自分の命を懸けてまですることか? 自分が死んだら周りの人間がどう思うか、ちっとも気づかねぇのかあのお姫様は」
「言いすぎですよジェイスン!……今は、陛下をお助けすることを考えねばなりません」
サジタリウスがジェイスンの肩を強く引っ張った。ジェイスンは舌打ちして顔を背ける。
「かといって、やつは海の上だ。どうしようもない……」
リチャードがため息をつく。
「エンリケに船を出してもらいましょう。彼の船ならば追いつけます。……いえ、追いついてみせます」
サジタリウスは他の三人を見渡した。
「異論はありませんね? では急いでダグラスへ戻りましょう」
四人は残ったモンスターたちを蹴散らしながら、ダグラスへ急いだ。
……さん。
誰かの声が聞こえる。その声に引っ張り上げられるように、意識が浮上していくのを感じた。
おねえ……さん……。
「おねえさん、だいじょうぶ?」
「う……!」
まぶたを開き、身を起こそうとした瞬間、アメジストの全身を痛みが走った。そばにいた少女があわてて彼女を止める。
「だめだよ、すっごい怪我してるのに!」
はたと気づくと全身に包帯が巻かれている。視線を上げると、どこかで見たことがある少女が心配そうにアメジストを見下ろしていた。
「……あなた、確か……シーシアスの」
そう、ティファールにいるシーシアスの妹。
彼女はぺこりと頭を下げた。
「はい。おにい……シーシアスの妹、シーデーです。いつもおにい……兄がお世話になっています」
「あ、はい。こちらこそ……」
状況も忘れて挨拶をしあう。頭を下げた瞬間、また痛みがアメジストを襲った。
「だ、だいじょうぶ?」
「ええ……」
アメジストは月光の術を自分に解放する。柔らかな光がアメジストをつつみ、光が消えた瞬間、アメジストの傷は癒えていた。
「わあ、すごーい!」
シーデーが感嘆の声を上げる。アメジストが周りを見渡すと、女の子ばかりが数人、集められていた。
シーデー以外の女の子たちは、ひそひそとこちらを見ながら何かをささやきあっている。怯えているようだ。
「ここは……どこ?」
「あたしにも分かりません。船、ってことくらいしか」
困ったようにシーデーが眉をひそめる。
「あなたは、どうしてここにいるの?」
「えっと、学校から帰る途中、いきなり辺りが暗くなって、なんか頭から袋みたいなのかぶせられて……気がついたらここにいたんです。……おばあちゃんやアキリーズ、心配してるだろうなあ……」
アメジストははっとした。まさか、ここは。
「……人身売買の船だというの……!」
ということは、クロウのいうとおり、サイフリートがかかわっていたということだ。
「ちょっと前に珍しくずっと船が止まっててね、そしたら大怪我したおねえさんが運び込まれてきたの。あたし、とにかく怪我をなんとかしなきゃって思って……」
「ありがとう、シーデー。助かったわ」
えへへ、とシーデーが照れ笑いする。
アメジストは考えた。きっとリチャードたちが助けに来てくれるはずだ。彼らに自分のいる場所を伝えるには。
「……ねえシーデー、ここに窓はあるかしら?」
「窓? あるけど……出られないよ? 外は海だし、ちょっとしか開かないし」
脈絡のない言葉に困惑しながらも、シーデーは反対側の壁を指した。確かに小さな窓がある。
「ちょっとでも開けばいいの」
アメジストは窓のほうへ行き、窓を開けた。窓の隙間から海風に手を差し出しながら、精霊たちに話しかける。
「風精たち。私はここですってサジ様に伝えてくれる?」
くすくす笑いながら、風精たちは諾の返事を返してくれた。これで彼らがここを見つけてくれるのも時間の問題だ。
「おねえさん……」
「大丈夫よ、シーデー。きっとみんなが助けに来てくれるはずだわ。あなたもちゃんと、ティファールに帰してあげるからね」
「はい……」
しょんぼりとうなだれるシーデーの頭をなで、アメジストはシーデーを元気付けるように笑いかけた。
-Powered by 小説HTMLの小人さん-