帝国年代記〜催涙雨〜

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color me blood red.  

 ゲオルグ王子から聞いた秘密の通路を通って出た先は、確かに地下牢だった。今は誰も収監されていないらしく、どの牢も空っぽの状態だ。
 アメジストは精神を集中させる。ゲオルグ王子は隠し部屋は術で封印されていると言っていた。であれば、魔力の流れで場所が分かるはず。
「……こっち!」
 アメジストが走り出す。三人はあわてて彼女の後を追う。
 その通路は行き止まりにしか見えない。だが術士であるアメジストとサジタリウスにはすぐに術で隠された扉があることに気づいた。
「ここですね。陛下、お願いします」
 確かめるべく扉に触れたサジタリウスが場所をあける。このメンバーの中でカンバーランド古語が分かるのはアメジストだけだからだ。アメジストはうなずいて、扉に指で陣を描く。アメジストが触れた指先から光が生まれ、なぞったとおりに陣が描かれた。
「……『開け』……!」
 アメジストが一言、カンバーランド古語の言葉を唱えると光の魔方陣が一気にまばゆく輝いた。
「うわっ……!」
 リチャードとジェイスンがまぶしさに目を背ける。アメジストとサジタリウスも目を閉じた。
 唐突に光が止む。目を開くと、そこに先ほどまであった壁はなかった。ぽっかりと暗闇が口を開いている。
「……だれ? サイフリート?」
 暗闇の中からか細い声がする。少し疲れ気味ではあったが、間違いなくトーマ王子の声だ。
「トーマ王子!」
 一瞬の間。そしてトーマ王子が部屋の中からまろびでてきた。そのままトーマ王子はアメジストに抱きつく。
「皇帝陛下!」
「トーマ王子、ご無事ですね?」
「は、はい、ありがとうございます……」
 トーマ王子はぜいぜいと息をついた。
「歩けますか?」
「はい、大丈夫です。……ゲオルグ兄さんと、ソフィア姉さんは……」
「ソフィア王女はネラック城に。ゲオルグ王子は今サイフリートを追い詰めているはずです」
「大変だ……!」
 ぼくも行かなくちゃ、とトーマ王子が走り出そうとしてよろけた。アメジストが手を差し出す。
「お手をどうぞ、トーマ王子。一緒に参りましょう」
「ご、ごめんなさい……」
 トーマ王子の手を引き、アメジストたちは秘密の通路を逆戻りしていく。外に出るとトーマ王子がまぶしそうに目を細めた。
「戦の音が聞こえない……ということは、大勢は決まったようですね」
 ジェイスンの言葉にうなずいて、アメジストは改めてダグラスの街に向かう。
 街の中はいつもどおりとはいえないが、それなりの落ち着きを見せている。あちこちで治安維持を行う兵たちにも不審な様子は伺えない。
「トーマ様、皇帝陛下。ゲオルグ様が謁見の間でお待ちです」
 そこに一人の兵が駆けつけてきて、二人に敬礼した。
「ありがとう。では、参りましょうか、トーマ王子」
「はい!」
 謁見の間に行くと、そこにはゲオルグ王子と、ソフィア王女がいた。
「トーマ! 無事でよかった」
「兄上、姉上……!」
 トーマ王子はソフィア王女に抱きついて泣き出した。ソフィア王女はトーマ王子の頭を撫でる。
 アメジストから遅れて入ったリチャードは、ソフィア王女の姿を見て叫んだ。
「ソフィア王女! あなたがなぜ……ジェシカは」
「ジェシカ殿は危険な時期を脱しました。感染症の懸念はありますが、ひとまずは大丈夫です。……それよりも」
 ほっとするアメジストに、ゲオルグ王子が真剣な顔でサイフリートは取り逃がした、と告げた。
「申し訳ありません、私どもの手抜かりです。やつのアジトは突き止めているのですが……」
「では、私たちはそこへ参ります。みんな、悪いけれどもう少しがんばってちょうだい」
「仰せのままに」
「私も同行いたします。……父の敵を取らねばなりません」
 ゲオルグ王子の申し出に、アメジストは眉をひそめた。確かにジェシカが抜けてしまった今、戦力不足は否めない。ゲオルグ王子の心も分かるし、彼が協力してくれれば戦いも楽になろう。だがここでゲオルグ王子を連れ出して、トーマ王子が困らないか。
 その迷いに気づいたようだ。ソフィア王女がアメジストに笑いかける。
「姫。わたくしがトーマについておりますゆえ、ご安心を。……お兄様、わたくしとトーマの分も、お願いいたします」
「分かった。すまないなソフィア、お前にはいつも苦労をかける」
「お兄様の妹として生を受けたときから、そんなことは承知の上ですわ」
 くすくすとソフィア王女が笑う。アメジストは少し考えて、お願いしますと二人にに頼み、ゲオルグ王子とともにサイフリートのアジトへと駆け出していった。



 駆けつけてきたアメジストたちを見て、船で脱出しようとしていたらしいサイフリートが足を止め、顔をしかめる。
「く、忌々しい皇帝め……! カンバーランドを支配してそれをネタに七英雄に取り入り、永遠の命を手に入れる計画が貴様のおかげで台無しだ!」
「命あるものは必ず滅ぶわ。永遠の命などゆがんだ夢よ。悔い改めて、裁きを受けなさい」
 恐れもせずにサイフリートをひたと見据え、アメジストはいっそ冷たく言い放った。
「はっ、貴様の説教など聴きたくもないわ!……皇帝になんぞならずにおとなしくゲオルグ王子の妻に納まっていれば、今ここでむざむざ死ぬこともなかったのにな」
「…………」
「私は決してあなたが嫌いではなかったよ、ちいさなお姫様。……あなたの首、いただくとしよう」
 ぱちんとサイフリートが指を鳴らす。
 それが、双方の戦闘開始の合図となった。

 赤い東方風の衣装を身に纏った影が意外なすばやさで肉薄してくる。ゲオルグ王子はアメジストを守るように剣を正眼に構えた。サジタリウスは風の刃を発動させ、リチャードとジェイスンは影を迎撃している。
 サイフリートの魔力の流れから、何か術を発動させようとしていることに気づいたアメジストはすばやく火球を叩き込む。だが、さほど効果はなかったようだ。
 そこにサイフリートの術が発動した。
「あっ……!」
 虹色の光に目を射られ、くらりとした。思わずアメジストはひざをつく。めまいを無理やりねじ伏せて、すばやく辺りに視線をめぐらせる。同じ状況に陥っているのは、ゲオルグ王子とサジタリウス。前衛を担っている二人は敵が文字通り影となったのか、特に変わった様子はない。
 でも、いったい何なのだ。この魔力の流れは。冷や汗が流れるのが分かる。光球の術と魔力の流れは似ているが、違う。この、魔力は。
「サイフリート……あなたまさか、禁呪に手を出したの……!」
 禁呪。一般的には冥術と呼ばれるそれは、その恐ろしい力から封印されたはずのものだ。バレンヌでは――他の国も同様だろうが、魔術師はその恐ろしさをいやというほど叩き込まれる。間違っても使用されることのないように。今ではその力を使うのは、わずかなモンスターのみ。
 サイフリートは否定も肯定もせず、ただ笑っている。
「なんと……逆賊サイフリートよ! 貴様は父ハロルドの敵としても、人としても、私は決して許しはしないぞ!」
 激昂したゲオルグ王子がサイフリートへ肉薄する。サイフリートは一歩下がり、その間を影がかばうように割って入った。
 邪魔だ、とばかりにゲオルグ王子が影を切り捨てると、悲鳴も上げず、いや、死体すら残さず赤い影は空気に溶けていった。
「人間やめてやがる。……そこまでしていったい何が欲しいんだ、あんたら」
 ジェイスンが嫌な顔をして吐き捨てる。
「そんなこと知る必要はない。……きっと、知らないほうがいい」
 ジェイスンの独白にリチャードが答えた。……知ってしまえば同情が生まれるかもしれない。同情が生まれれば、隙が生まれるかもしれない。隙が生まれれば、そこを衝かれてしまうかもしれない……そういうことだ。
 ひゅひゅん、と弓矢の音がした。風の刃では埒が明かぬと踏んだか、サジタリウスが放った矢だ。
 どすどすどす、とでたらめに放たれた矢に影たちが縫いとめられる。二人はもはや条件反射でなんとか矢をかわし、影たちに止めを刺す。そこにアメジストの火球が爆発し、影たちはほとんどが塵となって消えた。
 さすがに形勢不利と悟ったか、ゲオルグ王子と切り結んでいるサイフリートにあせりの色が見えはじめる。
 また冥術を発動させようとしたのだろう、しかしそれは発動せずにむなしく魔力が散っていった。
「く、なぜ、体が動かぬ!」
 サイフリートの足元……影に矢が突き刺さっていた。影を捉えて動きを封じる、影縫いの技。サジタリウスが放ったものだった。
 それでも動きの制限された体でゲオルグ王子の斬撃を最低限に防いだのは、素直に賞賛するべきか。
「くそっ」
 サイフリートが無理やり縫いとめられたくびきを外し、力いっぱいゲオルグ王子の胸を蹴り飛ばす。鎧の上からとはいえまともに蹴りが入り、ゲオルグ王子はよろめいた。機を逃さず身を翻したサイフリートは、船に向かって走りぬけながらリチャードとジェイスンの攻撃をかわし、術を発動させた。
 アメジストの足元から、冥の魔力が伸び上がった。
「――――!」
 体中を走る激痛。声にならない悲鳴。たまらずアメジストは吹き飛ばされた。痛みの中で、首にかけていた首飾りがぷつり、と切れるのだけはいやにはっきりと分かった。心が冷える。
 だめ、それは、――。
「陛下!」
「姫!」
 吹き飛ばされた先がまた最悪だった。船に向かって走っていたサイフリートの目の前だったのだ。リチャード、ジェイスン、ゲオルグ王子の三人はあわててアメジストの元に駆け寄ろうとするが、わずかに残った影に邪魔される。彼らがそれを切り捨てているとき、アメジストの目に映っているものは彼らではなく、目の前のサイフリートでさえなかった。
 途切れそうになる意識を叱咤し、零れ落ちた首飾りに必死に手を伸ばす。あと、少し。
 だん、と手が踏みつけられた。次に髪を乱暴につかまれる。手を踏みつけていた足はのけられたが、その代わりとばかりにぐい、と無理やり体を起こされる。
「動くな!……少しでも動けば貴様らの皇帝の命はない!」
 あっという間に小柄なアメジストは抱えあげられ、首筋に冷たい金属をつきつけられる。
 形勢、逆転。
 アメジストを人質に取られては動けない。四人は歯噛みをして動きを止めると、サイフリートはじりじりと後ずさる。
「陛下! サイフリート、てめぇ!」
 ジェイスンのその叫びを最後に、アメジストの意識は途切れた。
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