帝国年代記〜催涙雨〜

モドル | ススム | モクジ

  color me blood red.  

 私のせいだ。
 ソフィア王女の手配してくれた馬車に乗って落ち着いたらしく、一時は横に置いていたその思考がまた再びアメジストを支配していた。
 私のせいだ。もっと、早く走れたなら。私が、転ばなかったら。あの時、立ち上がることができていたなら。私が――そもそも、ジェシカが私をかばう必要なんてなかったのに。
 私が、私の、私を、
「陛下」
 低い声にぐるぐると回り続ける思考が止まる。顔を上げると、心配そうにジェイスンが顔を覗き込んでいた。
「あなたのせいでは、ありません」
 ……ジェイスンの緑色の目に映る自分は、なんだかひどく泣き出しそうな顔をしていた。
「じゃあ、……じゃあ、誰のせいなの……あ、あの時わ、わた、私がっ……」
 泣くな、泣くな、今泣いていいのは私じゃない。そう自分を抑えるアメジストに、ジェイスンはもう一度、幼児に言い聞かせるように言った。
「あなたのせいではありません。……あの時あなたを見捨てる選択だってあったのに、ジェシカはそれを選ばなかった。大怪我をしたのはジェシカの意思で、ジェシカの選んだ結果です。……あなたに責任はない」
「そんなの……いいわけだわ……」
「あなたはジェシカを信じてないんですか? 違うでしょう。であればありがとうと感謝こそすれ、ご自分を責めるのは間違っています。……そんなのは、ジェシカへの冒涜だ」
 冒涜、という言葉にはっとする。
「ジェシカは絶対大丈夫です。オレも力を尽くします。ソフィア王女だって協力してくれる。それに、ジェシカはあなたを置いていくほどやわじゃない」
 だから大丈夫、とジェイスンは笑ってみせた。
 ああ、どうして。アメジストは目を閉じた。
 ――どうしてこのひとは、いつも私の欲しい言葉をくれるのだろう。
 涙がこぼれそうになり、アメジストはひざの上でぎゅっと拳を作った。ジェイスンはそれを包むように、手を握ってくれる。……温かい。その温かさが、さらに涙を誘った。
 ジェイスンのマントの影で、アメジストは声を殺しひとしきり、泣いた。

 ネラック城へたどり着いたアメジストは早速トーマ王子を救出に行こうとしたが、ゲオルグ王子をはじめ全員に大反対された。とてもではないが今の状態で無事にたどり着けるはずがない、たどり着けたとて返り討ちに遭うのがおちだ、せめて一晩休んでから、と説得されたが、アメジストは頑として救出を主張した。そうしたらネラック城づきの医師に鎮静剤を無理やり投与された挙句、ジェイスンに担ぎ上げられ着替えと共に仮眠室に放り込まれてしまった。
「ちょっと、私の話を聞きなさいよ!」
「心配しなくてもちゃんと聞いてますよ。いいからとにかくその血まみれの服から着替えて、一眠りしてください。あなたは今興奮状態だ、そんな気が立ってる状態じゃうまく行くものも行かなくなる」
「トーマ王子が待っているのよ!?」
「だったらなおさら失敗できない事くらい、いつものあなたなら分かるでしょうに。心配しなくともサイフリートはトーマ王子を殺しはしません。一日二日遅れたところで大勢に変わりはない。だったらしっかり休んで万全の状態で挑んだほうがいいと思いますけどね」
 正論だ。ぐうの音も出ない。
 ……以前もこんな風にやり込められた気がする。
「……わかったわ。着替えるから、出て行ってくれる?」
「一応言っときますが、扉の前で誰かしら見張ってますからね。逃げられませんよ。あきらめて寝てくださいね」
 しかもここは二階だ。窓から出ようにも出られないし、よしんば出られたとして、アメジストは馬に乗れない。なんとかがんばって一人でダグラスへ行ったとしても返り討ちに遭うのが落ちだ。そもそも、クロウから一人になるなときつく言われているわけで。
 わかったわよ、と投げやりに返事をしたら満足したらしい、ジェイスンが仮眠室から出て行った。
 しぶしぶと着替えようとしてローブを脱ぐ。ソフィア王女と馬車に乗るときにある程度は清めてもらったのだが、ローブは血をたっぷり吸って使い物にならないように思えた。
「失礼いたします、姫。……これで体を清めてください。あと、ローブはこちらで洗濯しておきますわ」
「ありがとうございます」
 ソフィア王女が水と手ぬぐいを持ってきてくれた。手ぬぐいを水にひたし、体を清める。
 さっそく鎮静剤が効いてきたらしい。頭がくらりとした。
 何も考えないように脱いだローブをたたんでソフィア王女に渡し、アメジストは着替えて寝台にもぐりこんだ。
 眠りは、すぐに訪れた。

 目が覚めたら、頭がすっきりとしていた。眠る前までにあれだけ感じていたあせりもすっかり消えている。
 やはりみんなの言うことは間違っていなかったようで、自分はかなり興奮状態だったらしい。記憶はややおぼろげだが、だいぶわがままを言って困らせたような気がする。
 がちゃりと扉を開けると、おそらく見張りの当番だったのだろう、椅子に座ったジェイスンがこちらを見あげた。
「陛下。……落ち着いたようですね」
「ええ。ジェイスンにもみんなにも、迷惑をかけたわね。止めてくれてありがとう」
 いえ、とジェイスンは頭を振った。そして立ち上がり、軽く伸びをした。
「では、行きましょうか」
「そうね」
 二人は連れ立ってゲオルグ王子が待つ謁見の間に歩いていった。
「姫……」
 二人で入っていったからか、ゲオルグ王子は一瞬ジェイスンに視線をやり眉をひそめた。だがそれは本当に一瞬で、すぐにゲオルグはアメジストに視線を移した。
 リチャードとサジタリウスはゲオルグ王子のそばにいた。彼の副官たるポールもいる。だがリチャードは未だ真っ青な顔でそわそわと落ち着きがない。
「リチャード」
「……陛下」
 アメジストが目の前まで来て呼びかけて初めて、リチャードはアメジストの存在に気づいたようだ。普段の彼ならばありえないことだ。アメジストはリチャードの両手を握り締め、リチャードの目をしっかりと見据えた。
「ごめんね。ジェシカが心配でしょうがないでしょうけれど、もう少し、私に力を貸してちょうだい」
「……はい。もちろんです」
 アメジストの言葉に、リチャードはうなずく。顔色は悪いが、少なくとも今までの落ち着きのなさは消えた。
 アメジストはゲオルグ王子を振り返った。
「ゲオルグ王子、トーマ王子のご様子は探れましたか」
「はい。どうも地下牢の隠し部屋に押し込められているようです」
「隠し部屋?」
 ゲオルグ王子はうなずいた。そしてそこは窓もなく、入口も術で封じられているため、まだ術を勉強中のトーマ王子では外から手を差し伸べぬ限り、脱出は不可能だと告げる。
「私が王族の隠し通路にご案内いたします。姫ならば、ご案内しても悪用はなさらないでしょうから」
「……信頼いただけるのはありがたいのですが。ゲオルグ王子が指揮を執らねば、サイフリートに感づかれる可能性があります。ゲオルグ王子は外で敵をひきつけてください。その間に、私たちがトーマ王子を救出いたします」
「しかし、それでは姫が見つかった際危険すぎます!」
 驚いたゲオルグ王子が叫ぶ。しかしアメジストは揺らがなかった。
「お願いいたします、ゲオルグ王子……」
「……分かりました。わが国の機密に関わることゆえ、姫の従者方も、くれぐれも他言は無用に願いたい」
「分かっております」
 ゲオルグ王子は聖騎士たちに聞こえないよう、小声で手早く説明を始めた。秘密の入口の目印、通路の進み方。それを頭に叩き込む。
「この通路ならば隠し部屋のすぐそばに出口がございます。我々はサイフリートをひきつけるため、できるだけ派手に戦いましょう」
「分かりました。私たちはなるべく早くトーマ王子を救出いたします」
「それと、姫。封印の扉の開け方ですが……失礼」
 ゲオルグ王子がアメジストの手を取り、複雑な紋様を甲に描く。術士ならば分かる。封印の陣だ。
「この陣を扉に描き、カンバーランド古語で一言、『開け』と唱えれば開くはずです」
「ありがとうございます。必ず無事に救出してみせますわ」
「お願いいたします。……我が聖騎士たちよ、出陣だ! 神の名の下、逆賊サイフリートを討つ!」
「神の名の下に!」
 騎士たちはいっせいにゲオルグ王子に敬礼する。ゲオルグ王子はアメジストに少し頭を下げ、謁見の間を出て行く。
「私たちも行きましょう。……ゲオルグ王子がひきつけてくれている間に、トーマ王子を助けなければ」
 アメジストの言葉に三人はうなずいた。
モドル | ススム | モクジ

-Powered by 小説HTMLの小人さん-