帝国年代記〜催涙雨〜

モドル |ススム| モクジ

  color me blood red  

 夜更けにいきなりノックされたときは、何事かと思った。
 だがその後すぐの起きてる? というアメジストの声にジェシカは扉を開けた。……瞬間、吹き出してしまった。アメジストが大きな枕を抱いて立っていたからだ。
「し、失礼いたしました。いかがいたしました?」
 あわてて居住まいを正し、アメジストに問いかける。
「……一人で眠るのが、寂しくなってしまったの。……一緒に、寝てもいい?」
 小首を傾げ、少し上目遣いでジェシカを伺う。そのかわいらしさにまた笑いそうになるが、かろうじてジェシカはこらえた。
「まるで、昔のようですね」
 昔のこと。ジェシカやリチャードが騎士叙勲を受ける前、まだライブラ公子が生きていたころ。二人は……というか四人は、よく一緒に遊んだ後お昼寝をしていた。そうして、呆れ顔のサジタリウスに起こされるのが日常だった。
「……だめ?」
「かまいませんよ。私も今から寝るところでしたし」
 そう言ってジェシカはアメジストを招き入れる。寝台は一つしかなかったが、小柄なアメジストと一緒に寝るくらいはなんともない。
 ジェシカが掛布をめくると、アメジストが靴を脱いでそこにもぐりこんだ。ごそごそと枕を置いて、ころんと寝転がる。その横にジェシカも靴を脱いでもぐりこむ。
 見つめあい、どちらからともなく笑った。
「お休みなさいませ、陛下」
「おやすみなさい、ジェシカ」
 ジェシカが寝台の横の明かりをふっと吹き消す。
 辺りを覆った闇にいざなわれるように、二人は眠りへ落ちていった。

「ハロルド王が亡くなられたー!」
 穏やかな眠りは、そんな叫びにたたき起こされた。
「……えっ!?」
 あわてて身を起こすと、ジェシカも身を起こしていた。
 そこに、どんどんとノックの音。
「ジェシカ! 起きてるか!」
「リチャード? ちょっと待って」
 ジェシカは上着を羽織り(なにしろ寝巻きなのだ)、扉を開けるとリチャードが顔を出した。
「あ、陛下もこちらにいらっしゃいましたか。大変です、ハロルド王が……亡くなられたと」
「そんな……」
「分かったわ、詳しい話は後で。準備が出来たらリチャードたちの部屋に行く。それでいい?」
 ジェシカの問いにリチャードは頷いて、扉を閉めた。
 二人はあわてて身づくろいをし、なんとか見られる格好になってからリチャードたちに割り振られた部屋へと向かう。
「リチャード、いいかしら?」
 ジェシカがノックをすると、中からリチャードが扉を開けた。
「いったいどういうことなの、ハロルド王が……昨日は元気でいらしたのに」
 リチャードたちの部屋に入るなり、アメジストがつぶやく。
「ハロルド王は、持病があったとのことです。……おそらく、それで」
「確かにハロルド王はご高齢だし、持病をお持ちでもおかしくないけれど……こんなに急に……」
「多分、急に心の臓が止まったんでしょうね。もしくは、卒中でも起こしたか」
 若い健康な人間でもたまにあることだ、とジェイスンは言った。
「しかし、しかたがないこととはいえ、何もこのタイミングで……下手をすれば、我々が疑われかねませんよ」
 複雑な表情でサジタリウスがため息をつく。
 新たにノックの音がした。
「私が出るわ」
 アメジストが扉を開けると、サイフリートの側近があわてた様子で顔を出した。
「皆様方、朝早くに申し訳ございません。トーマ様をご存知ありませんか? 先ほどからお姿が見えぬのです」
「トーマ王子? いいえ、見ていないわ」
「そうですか、ありがとうございます」
 礼もそこそこに、彼はばたばたと走っていった。
「いかがいたしますか、陛下」
「……探しましょう。きっとあの子、あそこにいるわ」
 アメジストの決定に、みなは頷いた。

 ひっく、ひっくと泣き声が聞こえる。
 やはりトーマ王子はそこにいた。顔をぐしゃぐしゃに泣きはらして。
「……父上、……父上……」
 すんすん、と鼻を鳴らすトーマ王子と視線を合わせるように、アメジストはひざをついた。
「……ハロルド王が亡くなられて、みなが動揺しています。……お辛いでしょうが、息子のあなたがしっかりしなくては」
「でも、父上はご病気だったけど……あんなに、急に……」
 トーマ王子の目から涙が零れ落ちる。
 ――ああ、この子はあのときの私だ。アメジストはトーマ王子を抱きしめた。
「大丈夫です。……あなたは一人ではないわ。お兄様やお姉様がいらっしゃるでしょう?」
「あ、にう……え、あね、うえ……」
「そうです。及ばずながら、私も力になります。だから、元気を出して」
「……は、い……」
 弱々しくトーマが頷くと、後ろから兵士が走ってきた。その足音でアメジストはトーマ王子を放した。
「トーマ様、こんなところに! サイフリート様がお探しです」
 ごし、と袖で涙をぬぐい、真っ赤な目でトーマ王子は首を横に振った。
「……今は、会いたくない」
「なにをおっしゃいます! サイフリート様がハロルド様の遺言状を預かっていて、その遺言状でトーマ様が次の王に決定したのです!」
「そ、そんな!」
 トーマ王子は驚いて立ち上がった。
「父上が亡くなられたばかりなのに、そんな話は聞きたくない!……それに、兄上や姉上がいるのに、王になんかなれない!」
 ……ハロルド王は、心を決めたのだ。
 トーマ王子は未成年だ。おそらく、成人しているゲオルグ王子かソフィア王女が後見につくことになるのだろう。
「……父上のご遺志よ。行きましょう」
 アメジストは、トーマ王子を促し歩き出した。
 今は主なき、玉座の間へ。

 ハロルド王のいない玉座の間。今、その玉座にはトーマ王子が座っている。心細そうな顔で。
 カンバーランドの内情のことだから、アメジストは辞しようとしたが、トーマ王子に是非にと頼まれ、ここにいる。
 サイフリートはアメジストを気にしながら、トーマ王子に報告する。
「ネラック城のゲオルグ様が兵を集めている様です。先王ハロルド様のご遺志に逆らう所業、許せません。ゲオルグ様討伐の触れを全国に発してください」
「兄上と戦う……気が進まないな……なんとか、話し合いはできないか?」
 不安げにトーマ王子がつぶやくが、サイフリートは眉をひそめた。
「話し合うつもりがあるのなら、兵を集めますか? 確かにゲオルグ様は武勇の人、苦しい戦いになるでしょう」
 そこでサイフリートはアメジストを見た。
「皇帝陛下! トーマ様のために兵を出していただけませんか? 帝国兵が加われば、ゲオルグ様の兵を打ち破るのもたやすい。ここはひとまず帝国にお帰りになって、わが国支援の準備をしていただけませんか」
「そんなことをしたらゲオルグ兄さんを追い詰めるだけだ!」
 トーマ王子の大声がそれをさえぎった。一番の大声、そして悲痛な叫びだった。
「……何とか戦いを避けて、解決しなければ。……皇帝陛下、いったいどうしたら……」
 トーマ王子はすがるような目で、静かに横に立つアメジストを見つめた。
 その目を見て、アメジストの腹は決まった。
「……私が、和平の使者となりましょう」
 ……内政干渉? それがどうした。ここまでかかわってしまったのなら、もう遅い。
「陛下!」
 トーマ王子の顔が輝いた。
「お待ちください、あまりに危険すぎます! いくらゲオルグ様の元婚約者とはいえ……」
「危険だから、私が行くのよ。……これは、私の使命だわ」
 まっすぐにサイフリートを見据え、アメジストは静かに言った。それに勝算もなくこんな提案はしない。先日のゲオルグ王子の態度からも、アメジストに危害を加えるとは思えなかった。
「陛下、お願いします、おねがいします……!」
 涙ながらにトーマ王子が頭を下げる。サイフリートは苦々しい顔をしてつぶやいた。
「カンバーランドは帝国の領土ではありませんぞ。あまり好き勝手をされては困りますな」
 アメジストはその言葉には何も答えず、玉座の間を辞した。
 戦いではなく、和平の使者となるために。
モドル |ススム| モクジ

-Powered by 小説HTMLの小人さん-