帝国年代記〜催涙雨〜

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 フォーファーからダグラスに戻ったのは、そろそろ夕方になろうかという時刻だった。
 アメジストはそのままハロルド王と謁見し、二人に会ってきたことを告げると、ハロルド王はひとつ頷いた。
「では、後ほどお話をさせていただきたい。……夕食後こちらの準備が整い次第呼びに行かせますので、姫は部屋でお待ちください」
 ハロルド王のその一言で、二回目の謁見はあっさりと終わりを告げた。

 夕食後しばらくすると、侍女がアメジストを呼びに来た。彼女に連れられてハロルド王の部屋へと訪う。
「ハロルド王。お呼びと伺いましたので参りました」
「わざわざすみませぬな。……実は、姫」
 ハロルド王はアメジストに座るよう促した。それに従い、アメジストは椅子に腰掛ける。
 失礼いたします、と侍女が部屋を出て行った。
「お願いがあるのです。……私も世継ぎを決めねばなりません」
 アメジストは驚いた。確かにアメジストがカンバーランドに滞在していた際も世継ぎは決まっていなかったが、いくらなんでも今まで世継ぎを決めていないとは思いもよらなかったのだ。
「今の時代、真の実力を持つものが王に成らねば、この国を永らえさせることも難しかろうと思うのです。姫もご存知の通り、私には三人の子がおります。幸いにしてそれぞれ才能に恵まれているようです」
 つかの間、ハロルド王は目を閉じる。
「誰を世継ぎにするか決めかねております。……また、親ばかと申します様に冷静に判断もできかねております。……そこで、姫の意見を伺いたいのです」
「ハロルド王、ご自分が何をおっしゃっているのか分かってらっしゃるのですか!? それは……内政干渉ですわ!」
 だが、ハロルド王は首を横に振った。
「私が個人的に、良き友人である姫に意見を伺っておるのです。その意見を参考にさせていただきたいだけです……どうか、是非に」
 アメジストは迷った。仮にもバレンヌの皇帝である自分が、カンバーランドの世継ぎ決定に口を出すことは立派な内政干渉だ。それは間違いない。
 けれど、ハロルド王が、あくまで個人的な意見を、と望むのなら――
 アメジストは、静かに口を開いた。

 与えられた部屋に戻ったアメジストは案内の侍女が退出したのを見届けて、寝台に腰掛ける。
 ふう、とため息をついて目を閉じた。ハロルド王の居室へ行く前はまだ夜が始まったばかりだったというのに、今はもうとっぷりと夜が更けてしまっている。
 しかし、かなり胃の痛む思いをした。ハロルド王が参考になった、ありがとうと言ってくれたのがせめてもの救いか。
「……?」
 アメジストは目を開いた。
 なに、今の。なにか、引っかかった。気を入れて集中すると、城の外で誰かの魔力の流れが乱れていることが分かった。アメジストとて魔術師のはしくれだ。魔力の流れや人の魔力の癖くらいは分かる。その魔力の持ち主を探って……驚いた。
 この魔力の持ち主はクロウだ。探ったことで向こうもこちらの魔力を感知したのか、乱れながらも一直線にこちらへ向かっている。
 アメジストがあわてて窓を開けると、傷だらけのクロウが息を切らしながら窓から入ってきて、がくりとひざをついた。
「いったいどうしたの? バレンヌで行方不明事件を調査しているはずのあなたがどうしてここに?」
 傷を癒そうと月光の術を構成しようとしたアメジストを、クロウは片手をあげて制した。少しだけ息を整え、声が響かぬよう、のどに負担をかけないしゃべりかたで話し始める。
「時間がないから手短に言う。……サイフリートに気をつけろ。絶対に一人になるな。ああ、もしかしたらジェシカも危ないかもしれない」
 クロウはちらりと部屋の扉を見て、ぐい、と自分の額に浮かぶ汗を袖でぬぐう。いつになく、あせっている。彼らしくもなく。
 追われているのか。アメジストは瞬時にクロウの状況を理解し、黙って次の言葉を待った。
「この一件とカンバーランドはつながってる。……少なくともハロルド王が関与していないのは確かだが、王に近しい人間が手を回している可能性がある。怪しい動きをしているのは、サイフリートと彼の側近数名。行方不明者は、」
 そこまで一気に言ったあと、クロウはごくりとのどを鳴らした。
「南の方に連れて行かれているようだ。男が多いが、若い女も……多分、男たちの相手をさせるために」
 アメジストから血の気が引いた。
「……奴隷として、連れて行かれているというの……?」
「おそらく。……だからアメジスト、お前が一番危ないんだ。見た目か弱くて与しやすそうだからな」
 クロウはあたりに視線をめぐらせる。
「……まずい、見つかる。いいなアメジスト、絶対に一人になるんじゃないぞ!」
 アメジストが頷くのを確認するや、クロウは身を翻し、窓から姿を消した。
 おもむろにアメジストは手近な花瓶を倒した。がしゃ、と大きな音を立てて花瓶が割れ、飾られていた花が飛び散る。
 とたんにかなりな勢いで扉が開き、かろうじて使用人らしき服装と見えないこともない格好の男が姿を現した。アメジストを見て一瞬狼狽するが、とりつくろうように笑顔を見せる。
「……いかがされましたか」
 賓客、しかも女性の滞在する部屋にノックもせず扉を開けたという事は、この部屋にアメジストがいるということを知らない人物。この城の使用人がそのことを知らぬはずがないから、彼は使用人ではなくクロウを追っていたものたちの一人なのだろう。花瓶の割れる音でクロウがここに逃げこんだと踏んだか。
 彼は顔に笑みを浮かべているものの、探るようにちらちらと視線を部屋中にさまよわせている。……やはり、使用人ではない。
 アメジストはそれに気づかぬ振りをした。せいぜい貴婦人に見えるようにおっとりと小首をかしげ、困ったように笑ってみせる。
「ごめんなさい、窓を閉めようとしたらぶつかって、花瓶を落としてしまったの」
「ああ、そんなことでしたらお気になさらずに」
 彼は慣れぬ手つきで割れた花瓶と飛び散った花を片付ける。アメジストはちらりと下を確認し、そっと窓を閉めた。

 花瓶からこぼれた水は、思惑通りクロウのいた痕跡を消してくれていた。
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