帝国年代記〜催涙雨〜

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「まあ、そんなことが……ふふ、お兄様ったら大人げないですわね」
 くすくすと目の前の美しき才女は笑った。
「ソフィア様、笑い事では……」
 アメジストはこめかみに指をあてて、ため息をつきそうになったがあわててこらえる。
 笑い事ではない『そんなこと』とは、ゲオルグ王子とジェイスンの(一方的な)確執だ。
 ゲオルグ王子に異端視されたジェイスンはアメジストたちとは違い、たいそう冷たい対応を受けたのだ。本人は面倒だったのか丸無視していたが、それはそれでゲオルグ王子の癇に障ったらしい。
「ジェイスン殿。兄の失礼は妹のわたくしがお詫びいたします。どうかお許しを」
 美しき才女――ソフィア・ロゼ・アンジェリカ姫はジェイスンに向かって頭を下げた。
「……そんなことをしていただく理由がありませんよ。別にオレ……私は気にしていません」
「そうおっしゃっていただけると、ありがたいですわ。悪く思わないでくださいましね、兄は子どもなのですわ。あなたと姫が仲むつまじい様子を見て悋気をおこしたのでしょう」
「そうですかねえ」
「ええ、断言してもよろしいですわ。兄の気性はわたくしよく知っておりましてよ。なにせ、生まれたときからの付き合いですから」
 ソフィア王女はそう言ってアメジストに意味ありげな視線を送った。

 その日の夜。あてがわれていた部屋で寝支度をしていると、なんとソフィア王女その人がやってきた。しかも、たった一人で。
「姫。少しお話したいのですが、よろしいでしょうか?」
「まあ、もちろんですわ。どうぞお入りください」
 ソフィア王女は眠る前のお茶を持参していた。王女手ずからカップに注がれる茶は、なんとなくあのときのジェイスンを思い出させた。
「単刀直入に申し上げますわね。……フォーファーを、どう思われますか?」
 ソフィア王女の真剣な声に、アメジストははっと我に返り、首をかしげた。
「どう、とは?」
「なんでもよろしいのです。気になったこと、いろいろと教えていただきたいのですわ」
 アメジストはしばらく考え込み、気づいたことをそのままソフィア王女に告げた。
 まず、彼女の評判が大変よいということ。これはおべっかでもなんでもなく、フォーファーの民が言っていた言葉だ。
 それから、学校。バレンヌにも学校はあるが、多くは私塾であり、学ぶにはかなりの金がいる。だがフォーファーの学校はある一定の歳になった子女が身分もなにもなく必ず入学するという規則で(一部の勉強嫌いらしい子どもにはたいそう評判が悪かったが)、さらに学校の維持費はほぼ公費や寄付でまかなわれている。それは卒業生がきっちり結果を出しているということだ。
 さらには、新航路計画。これはまだ実験段階であるとのことだが(なにしろ複雑な潮流を乗り切れる船乗りがいないらしい)、結果が出るかどうかわからないものに思い切って投資ができるということは、この街がある程度治安がよく、経済がきちんと流通している証であるとアメジストは思っている。
「……ありがとうございます。よくわかりましたわ。わたくしが良かれと思ってやっていることでも、それで民たちが苦しい思いをしてしまっては本末転倒ですもの。ですがそれも杞憂の様子、ほっといたしました。……それで」
 ソフィア王女は少し顔を赤らめ、心持ち声を落とした。
「ポール、には、お会いに?」
「ええ。相変わらずお元気そうでしたわ」
 アメジストの答えに、ソフィア王女はほっとしたように微笑んだ。彼女らは婚約者だ。二人とも成人しているにもかかわらず未だ婚姻には至らないが、フォーファーが今少し安定したならば、二人は結婚し、さらにフォーファーをもりたてていくことだろう。
「そうですか、それはよかったですわ。……ポールは、わたくしが手紙を出しても、仕事が忙しいのかめったに返事を返してくれないのですもの。すこし心配でしたのよ。……それで」
 ソフィア王女はにっこりと爆弾を落とした。
「わたくしのお兄様は、姫にどんなことを告げたのです?」
 危うく茶を噴くところだった。
「な……な、」
「ということは、お兄様は姫にお気持ちを?」
 この女性(ひと)にはかなわない。アメジストはあきらめてひとつ、うなづいた。
 ソフィア王女は困ったように眉をひそめ、お兄様ったら……とつぶやく。
「……姫。姫はお優しいお方ですから、お兄様との婚約破棄を負い目に思っていらっしゃるのでしょうが、その必要はございませんわ。どんな事情、理由があろうとだめになってしまうものはだめになってしまうものです。わたくしは、姫とお兄様との婚約破棄はなるべくしてなった、と思っておりますわ。もちろん、お兄様もそう考えておいででしょう。ですから、改めて姫に想いをお告げになったのですわ。……タイミングが最悪ですけれども」
 そこまで言って、ソフィア王女はこほんと咳払いをした。
「わたくしはお兄様も姫も大好きですわ。ですから、姫には『負い目』でお兄様を選ぶなんてことしていただきたくありません。……ですから、縛られずに、ご自分でお考えくださいませ。どのような結果になろうとも、わたくしは、姫、あなた様の味方ですわ」
 ソフィア王女はそう言って微笑んだ。
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