帝国年代記〜催涙雨〜

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「お待ち申し上げておりました、姫……」
 青みがかった短い黒髪によく日に焼けた肌を持つそのひとは、謁見の間の簡易玉座から降り、アメジストの前でひざまづいた。
「ゲオルグ様……お久しぶりですわ」
 ゲオルグ王子はアメジストの手を取り、その甲に口付けをおとす。
「何年ぶりでございましょうか。姫はますます美しくなられて……まるで光の化身のようです」
「あ……ありがとうございます、光栄ですわ」
 アメジストの唇の端が一瞬震えるが、幸か不幸かゲオルグ王子はそれに気づかなかったようだ。
「皆様方にはお初にお目にかかる。私は父ハロルドの命を受け、ここネラック城を治めるゲオルグ・イグナーツと申す者。以後よしなにお頼み申す」
 ポールのときと同じように挨拶を交わす。そして同じようにジェシカに目を留めた。
「ほう、女性の騎士ですか」
「ゲオルグ王子、彼女はとても有能な戦士であり、私の姉のような存在ですの」
 先ほどの二の舞にならぬよう、アメジストが説明するとゲオルグ王子はアメジストに向かって微笑みかけた。
「姫にとっても女性の存在は、心強きことでしょう。……しかし」
 微笑みから一転、厳しい表情をして、ゲオルグ王子はジェイスンを睨みつける。
「君はなんなのだ。仮にも姫付きの従者ともあろう者がそんな奇抜な格好をして。姫に迷惑をかけるとは思わないのか」
「……これは失礼を。ですが、うちの皇帝陛下は見た目よりも実力重視なようでしてね」
 ゲオルグ王子が眉をひそめる。ゲオルグ王子の立場としては当然だ、『そんなことを気にするお前は狭量だ』と言われているのと同然なのだから。しかしジェイスンに他意はない。おそらく。……たぶん。 
「ゲオルグ様、彼は戦士としての腕前も申し分ありませんが、多少の医術の心得もありますのよ」
 とは言ったものの。さてどうフォローしたものか。
 アメジストの表情が曇ったのを察したのか、ゲオルグ王子はそれ以上追及しようとはしなかった。
「……部屋を用意させましたので、本日はここへお泊りください。機密に触れる場所以外でしたら、この城をご自由に見学してくださってかまいません。私どもも帝国のお話をいろいろ伺いたいと思っておりますので。……ポール、案内を頼んだ」
「分かりました。……みなさま、こちらへ」
 ぞろぞろとポールについて行こうとすると、姫、と呼び止められた。
 アメジストとしてはみんなについていきたかったが、さすがに呼び止められてはそうもいかない。
「……個人的な感情です。カンバーランドの総意ではないと思って聞いていただきたい」
「……はい」
「私は、後悔しているのです」
 ゲオルグ王子は、つかの間、目を閉じた。
「私は、愚かでした。……姫との婚約を、王族の義務としてしか捉えていなかった」
 それは当然のことだろう、とアメジストは思う。王族の婚姻など、大体が政略的なものだ。二人の婚約だって、アメジストの暗殺を避けるためという事情もあったが、バレンヌとカンバーランドの結びつきを強化するためのものだったのだ。
「姫と離れてだいぶたった後のことです。姫にいただいたリボンを見て……私にとって姫がどれだけ心癒してくれ、私に力をくれる存在だったのか、思い知りました。……そしてこう思ったのです。たとえ姫の母君が亡くなられたのだとしても、バレンヌに帰すのではなかった、と」
「…………」
 その先を、聞きたい。聞きたくない。
「思いやりのかけらもない、外道だとそしられようともかまわない。私は、王子としてのゲオルグではなく、ただのひとりの男として、あなたを……愛しているのだと」
 ああ、言われてしまった。アメジストはしばらく逡巡し――意を決して唇を開いた。
「……私は」
 ゲオルグ王子のまっすぐな視線が、今のアメジストにはとても痛かった。
 その視線から逃げるように、アメジストはうつむいた。
「私は……その想いに、応えることは……できません」
「……今は、それでもかまいません。私は、姫を困らせたいわけではないのです。ただ……知ってほしかった」
 ゲオルグ王子の声が暗く沈む。
「お時間を取らせてしまって申し訳ございません。……では、執務に戻りますゆえ」
 アメジストは結局、ゲオルグ王子の顔をまともに見ることもできず、ジェシカたちのもとへと戻った。
 自分はなんと弱いのだろう、と嘆きながら。
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