帝国年代記〜催涙雨〜

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  Carmina Burana  

 仮面舞踏会、当日。
 仮面で顔を隠したアメジストは、同じく仮面を着けたリチャードと共に舞踏会の会場へと足を運んでいた。
 ――もう、舞踏会は始まってしまっているはずだわ。
 アメジストはなるべく急ぎ足で向かっていたが、不意に長いドレスのすそが足に絡んだ。
 すっ転びそうになったアメジストを、リチャードが支えてくれた。
「……大丈夫ですか、陛下」
「ありがとう。大丈夫だけれど、『陛下』はやめてちょうだい。ばれてしまうわ」
「あ。……失礼いたしました」
 実際にはリチャードがアメジストのことを『陛下』と呼ばずとも、バレバレである可能性は高いのだが、できれば下手に確証を与えたくはない。
「口調も、普通でいいわよ」
「はい、へい……ええと、そんなに急がなくても、舞踏会は逃げやしませ……しないよ」
 リチャードが言葉を選びつつ、アメジストを落ち着かせるように声をかける。
「ええ、確かに舞踏会は逃げはしないわ。でも、あの人はいなくなってしまうかもしれない。だから、急がなくては」
 『あの人』ことルイは……アメジストが知る限り、ではあるが、こういった席はあまり好きな人間ではない。だがいったん『出席する』という返事を出した以上、どうしようもない事情がない限り、土壇場でひっくり返すこともしない人間だ。
 おそらくこの舞踏会の主催者は、ルイにとって無視はできない人物なのだろう。だから顔だけは出して、けれど好かぬ席に長居はしないだろうから、すぐに帰ってしまう可能性がある。そうなったら招待状を手に入れてくれたクロウの手間も、わざわざドレスを着た意味もなくなってしまう。
「すみません、私が隠し通せなかったばっかりに……」
 申し訳なさそうにリチャードがうなだれる。
「……仕方がないわ。ジェシカに隠し事ができると思ったこと自体が間違っていたのよ」
 それよりも口調、とアメジストが咎めると、リチャードはしまった、と表情に出した。
 本来ならもっと早めに会場入りする予定だったのだが、ここ数日のリチャードの言動がおかしいと感づいたジェシカに事の次第がばれ、その上服装に駄目出しされたのである。

「いくら仮面舞踏会とはいえ、陛下をそのような格好で出席させるわけには参りません! どうしてもとおっしゃるならリチャードの代わりに私がついていきますッ!」

 仕事ががらりと変わった影響か、ここのところ調子を崩しがちなジェシカにそんなことをさせるわけにもいかず、しぶしぶアメジストはジェシカの着せ替え人形と化したのだった。
 そして予定していた時間を大幅に過ぎ、こうして急いでいるというわけだ。ジェシカもなるべく急いではくれたのだが、ドレスの着付けはどうしても時間がかかる。
 ――でも。そんなに私のセンス、おかしいのかしら。
 なるべくばれないようにしようと考えたのは確かだ。だがジェシカが男装してまでついていくと叫ぶほどひどかっただろうか。一応年頃の女性としては大問題である。
 アメジストはちょん、とジェシカが選んだドレスのスカート部分をつまみ、リチャードに話しかける。
「ねえ。私のセンスって、そんなに壊滅的かしら?」
 自分で聞いておいて、聞く相手を間違ったとアメジストは思った。
 思ったとおり、リチャードは困った顔をしている。
「……私は、女性の服や化粧のことは、よく分からないので……じゃない、分からないから、なんとも……」
 これは気を遣っているのではなく、本心から言っているのが分かる。彼が悪いのではない。リチャードに女性の服のことを尋ねたのがそもそもの間違いで、人には向き、不向きがあるのだ。
「ごめんなさい、忘れてちょうだい。……そうだ、リチャード。一つ注意してほしいことがあるの」
「はい、なんで……なんだ?」
 根がまじめなリチャードは、うっかり敬語を使おうとしてしまい、言い直す。
「あのね。もし金髪に緑の目の、背の高い女の子がいたら、その子とは関わらないでほしいの」
「背の高い女の子……ですか?」
 首を傾げるリチャードに、アメジストはうなずいた。
「もしその子がいて、向こうから近づいてきた場合は、適当にあしらってちょうだい。目を見たり、言葉を聞いたりしてはだめよ」
 真剣なアメジストの表情に、リチャードは訳が分からないながらも、わかりました、とうなずいた。
「わがままばかりで、ごめんなさいね。じゃあ、行くわよ……」
 アメジストは会場の扉を開けた。

 その瞬間、視線がアメジストに集中する。
 ――あせるな、落ち着け。こちらがぼろを出さなければ、気づかれはしない。
 あえて堂々と会場に入り、リチャードにエスコートしてもらう。
 幸い視線が集中したのはほんの一瞬で、仮面をつけた紳士淑女たちは興味を失ったようにまた歓談に入った。
 アメジストは思わずほっと息をついた。リチャードが心配そうにこちらを見ているのが分かったので、大丈夫だと手を振って示す。
 次いで、アメジストはさっと会場に視線をめぐらせる。
 ――いた。
 仮面で隠されてはいたが、彼の持つ雰囲気は周りの人々とはあまりに違いすぎていた。そして彼の隣には、かなり明るいはしばみ色の髪を高く結い上げた女性が寄り添っている。
 女性の方が先にこちらに気づいたらしく、こそりと隣の彼に耳打ちする。耳打ちされた彼は予想外だったらしい、驚いたように体を震わせ、こちらに向き直った。
 まさか。唇がそう動いたように見えた。
「へい……あ。ええと……どうしま……どうする?」
「……もちろん、話しかけてみるわよ。でもあなたは後ろで控えていて。私が合図するまで何もしないで黙っていてほしいの」
「な……!」
 アメジストの言葉にリチャードが叫びかけ、あわてて口を押さえる。
「そんなこと、できるわけが……!」
「大丈夫よ。あの人だってこの場で無茶なことはしないわ。ね、一生のお願いだから」
「……あなたの一生は、いったい何度あるんですか……」
 リチャードはがくりとうなだれたが、これは『了解』の意味だ。
 ふと気づくと、周りの紳士淑女たちが何事か、と会話をとめてこちらを見ていた。
「紳士淑女の皆様、ご歓談を止めてしまい申し訳ありませんわ。ちょっとした行き違いですのよ、お気になさらず」
 にこやかにアメジストが声をかけると、紳士淑女たちはいぶかしげな視線を送りながらも、会話を再開する。
 アメジストは意を決し、こちらを向いたまま微動だにしない彼の元へ歩いていった。
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