帝国年代記〜催涙雨〜

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  Carmina Burana  

 翌日、仮面舞踏会のパートナーを頼もうとリチャードを呼び出したアメジストは、彼の姿を見て仰天した。
「ど、どうしたのリチャード! その髪!」
 アメジストが驚くのも無理はない。リチャードの長かった髪が、綺麗にばっさりと切り落とされていたのだ。
「似合いませんか?」
「そういうわけでは、ないけれど。……でもあなた、確か願掛けをしていたのではなかった?」
 アメジストがそう尋ねると、リチャードは少し笑った。
「……私の願いは、もうとうに叶っていたのです。それにようやく気づけたんです。だからもう、長い髪は、いらないのです」
「……せっかく、綺麗な髪だったのに」
「それ、ジェシカにも言われましたよ」
 リチャードは髪を払うしぐさをして、ああ、とつぶやいた。
「ずっと長くしていたから、どうしても慣れませんね。ああ、でもこれでジェイスンに髪を引っ張られずに済むかな」
 リチャードのその言葉に、アメジストはうっと詰まった。これからはジェイスンの標的は自分ひとりになってしまったということか。
 これからは髪をまとめたほうがいいかしら、などと関係ないことを考えていると、リチャードが「それで、御用はなんでしょうか?」と尋ねてきた。
 そうだ、髪のことを考えている場合ではないのだ。アメジストはこほん、と一つ咳払いをした。
「あのね、リチャード。折り入ってお願いがあるの。……すごく個人的なことだから、断ってくれてもかまわない」
「はい」
「三日後に、仮面舞踏会が催されるのは知っているかしら? ひょっとしたらあなたにも招待状がいっているかもしれないけれど」
 リチャードは少し考えて、いいえ、と答えた。
「ジェシカにも聞いてみないとなんとも申し上げられませんが、少なくとも私が知り及ぶ限りでは、そういった類のものは来ておりませんでした」
「そう。それでね、お願いというのはね、……その仮面舞踏会に、私のパートナーとして一緒に出席して欲しいの」
 そうアメジストが言うと、リチャードは難しい顔をした。
「……なぜか、伺ってもよろしいですか?」
 ――やっぱり理由を言わなきゃ、だめよね。
 アメジストは少しの間目を閉じ、反対される覚悟を決めてもう一度リチャードを見た。
「……ルイ大公が、ね。それに出席するの。……私、どうしてもあの人と話がしたくて」
「そんな、危険です!」
 思ったとおり、リチャードは血相を変えた。
「ただでさえ陛下の御身を狙う不貞の輩が少なからずいるというのに、顔を隠せる仮面舞踏会で話しあうなど……いくらなんでも危険すぎます!」
「それは分かっているわ」
「それならば、なぜ! 納得できる理由を教えてください! そうでなければ直属近衛としても、恐れながら陛下の幼馴染としても、命を懸けてでも止めさせていただきます!」
 アメジストが努めて冷静に答えると、今にも詰め寄らんばかりにリチャードが声を荒げた。
「お願いだから、そんなに簡単に命を懸ける、なんて言わないでちょうだい」
 苦しそうに眉根を寄せるアメジストに、リチャードははっと我に返ったようだった。
 アメジストの脳裏をよぎる、胸に短剣を突き立てた『ライブラ』が冷たくなっていく光景。今でも思い出すと、胸の奥底から冷たいものが這い上がってくる。
 おそらく、同じものをリチャードも思い起こしているはずだ。リチャードも、そしてジェシカも、アメジストと共にその場にいたのだから。
「……失礼いたしました」
 感情を押さえ込んだ声で、リチャードは一礼した。アメジストは「いいのよ」と笑い、リチャードの頭を上げさせた。
 そしてアメジストは一つ一つ、理由を挙げていった。
 ルイ大公と話がしたいこと。
 どうして話がしたいかは、彼が何を考えているのかが分からないから。
 どうしてわざわざ『仮面舞踏会』という場を選ぶのか。それはお互いに身分を隠した状態でなら、たとえ互いに正体がバレバレでもお互い真意を汲めるような気がしたから。
 もちろん、危険であることは重々承知の上であること。だからこそ、パートナー兼護衛として、リチャードに一緒に出席して欲しいこと。
 先ほども言ったように、あくまでも個人的なことであるので、断っても何の問題もないこと。これはアメジスト個人としてリチャードの腕、人格を見てのお願いであること。
「私がお断り申し上げたとしたら、どうなりますか」
 少しの間考え込んでいたリチャードが尋ねる。アメジストは一つうなずいて、口を開いた。
「その場合、別の誰かにお願いすることになるわね。できればあなたにお願いしたいのだけれど」
 その言葉で、リチャードも腹をくくったらしい。
「分かりました。お任せください」
「ありがとう、リチャード。お願いするわね」
 内心ほっとして、アメジストはリチャードに当日の計画を簡単に話した。リチャードは相槌を打ち、たまに質問をはさんで意見をすり合わせる。
 こうしてなんとか仮面舞踏会当日への手順は整ったのである。
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