帝国年代記〜催涙雨〜

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  Carmina Burana  

 次の日遅く。執務がすべて終わり後は眠るだけとなったアメジストは寝室に入り、ジェシカをはじめとした女官たちを下がらせた。
 しばらくそのまま待ち、彼女たちの気配が消えるのを待つ。
 そしてつかつかと窓に歩み寄り、窓を開けた。
 ひゅう、と風が入ると同時に闇を纏ったような影がするりと入り込み、窓を閉めた。
「すまないな、アメジスト」
「いいえ。無理を言っているのは私なのだから、あなたが謝る必要はないわ」
 闇を纏ったようなその客は、クロウだ。
 クロウはすっと懐から一枚の紙を差し出した。
「招待券だ」
「……ということは、あの人も出るのね。……ありがとう、クロウ」
 アメジストは招待券を受け取り、紙面に視線を走らせる。
 そして困ったように、クロウに視線を向けた。
「あのね、クロウ。お願いが……」
「無理だぞ」
 言いかけたそばから、さくっと即行で却下されてしまった。
「ま、まだ何も言っていないじゃないの! せめて最後まで聞いてちょうだい!」
「お前が言いたいことなんて大体分かる。最後まで聞いたって無理なものは無理だ。……一応、聞こうか?」
 ちらりとアメジストを見るクロウは、少し笑いをこらえているような顔をしている。
 ――い、いじわるだわ!
「い……一緒に仮面舞踏会に行ってください……」
「やっぱりな。……無理だ」
 苦笑しつつも、やはりクロウは却下した。
 そう。この招待券は二名分。つまり一人ではなく、パートナーと一緒に行かなければならないのだ。
「どうしてもだめ?」
「だめだ。……俺は普通の男よりかなり小さいからな。いくら顔を隠した仮面舞踏会といっても、小柄なお前だけでも相当目立つのに俺がそばにいたら、そんなのどうぞ注目してくださいって言ってるようなものだろう」
 つまり、バレバレだということだ。
「あの人と話したいなら、俺と一緒じゃ絶対に無理だ。変に目立つのはお前だって、あの人だって嫌だろう。おとなしくリチャードあたりに頼むんだな。あいつならちゃんと事情を話せば協力してくれるはずだ」
「……そうね……ええ、そうするわ」
「大丈夫だ。一緒には行けないが、ちゃんとお前に危険が及ばないよう、見ているから」
「ありがとう」
 ――あの人は、誰と出席するのかしら。やっぱり、あの子……
 年明けの宴のときに、ルイのそばに寄り添っていた娘。
「あ、ねえクロウ。聞きたいことがあるのだけれど」
「ん? なんだ?」
「知っていたらでいいの。あの人の側にいる……金の髪に緑色の目の、背の高い女の人……奥様じゃないのよ。あの人は、行儀見習いの子って言っていたけれど……知らないかしら」
 ルイの妻は金髪に緑色の目をした、細身で割と背の高い女性であることはクロウも知っている。だから混乱させないように一言、断りを入れた。
「行儀見習い? あの人ならそのくらいの娘を側に置くのは別に珍しくもないだろう。なんでそんなことを聞く?」
「ええ……なんとなく。年明けの宴のときに、パートナーとして出席していたし……よく、分からないのだけれど、なにか気になるの」
「奥さんを差し置いて宴に同席させたのか?……なら、少しおかしいな……いくら病弱だとは言っても……」
 クロウは腕を組んで考え込んだ。
「……待てよ、金の髪に緑色の目?……まさか……」
 クロウは顔を上げる。その顔は真剣そのものだ。
「お前、その娘と会話をしたか?」
「……いいえ。あの人と一緒にいるところを見ただけよ。ただ……」
「ただ? なんだ」
「笑いかけられたの。その後、あの人と踊って……その後、ちょっと騒動が起こったものだから。気がついたらいなくなっていて」
「…………」
 クロウはまた考え込み、問いかけてきた。
「背が高いってのは、お前と比べてか? それとも……たとえばジェシカとかと比べてのことか?」
「普通の女の子に比べて、よ。……あ、そうね。ジェシカよりも背が高かったかもしれない。かかとの高い靴を履いていたからかもしれないけれど……」
 ジェシカは女性にしては背が高いほうだ。ジェシカよりも背の高い娘は軍人でもなければ、そうそういない。だから余計目を引いたのかもしれない。
「金の髪って言ってたが、金の髪にもいろいろある。どんな感じの色だった?」
「どんなって……ううん、そうね……あ、すごく明るいはしばみ色って感じ、かしら」
「はしばみ……」
 そう言ったきり、クロウは難しい顔をして黙り込んだ。
「クロウ?」
「……俺の予想が当たっているなら、だが。そいつはかなりやばい相手だ。絶対に近づくな。下手すると……飲み込まれる」
「飲み込まれる? どういうこと?」
「剣の腕も相当だが、そいつの一番の得意は暗示だ。言葉さえ交わさなければ大丈夫だとは思うが、知らず知らずのうちに暗示にかけられる恐れがある。俺はそっち方面には詳しくないから、なんともいえないが……」
 そこまで言って、クロウはくそっ、と吐き捨てた。
「もしそいつだとしたら、むしろあの人よりもやっかいだぞ。なんてやつを引き込んでるんだ、あの人は……!」
「……とにかく、その子には近づかないようにすればいいのね?」
「ああ。あの人の側にいて、どうしても近づかなきゃいけないときには、絶対に目を合わせるな。何か言われても聞き流せ。それでだいぶ違うはずだ」
「……分かったわ。気をつける」
「そうしてくれ。……じゃあ、俺は行くから」
「ええ。わがままを聞いてくれてありがとう、クロウ」
「別に構わない。何もお前のわがままは、今に始まったことじゃないからな」
「クロウ!」
 声を張り上げたアメジストに笑って、クロウは窓から出て行った。
 ――クロウったら、絶対私で遊んでいるわ!
 アメジストはぷんぷんと怒りながら窓を閉め――若干乱暴に閉めてしまったのはしかたないことだろう――鍵をかけた。
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