帝国年代記〜催涙雨〜

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  Carmina Burana  

 アメジストが彼に先日起こった決闘騒ぎを話すと、彼は苦笑した。
「それは……まあ、仕方がない部分もあるだろうな」
 彼はアメジストが手ずから淹れた茶に口をつける。向かい合う格好になっているアメジストは、さらりと顔にかかった髪の毛を耳に掛けた。
「あなたも、そう思うのね。クロウ」
「俺も一応、男だからな。そりゃやつらの行動は褒められたもんじゃないしアホかとも思うが、どうしても負けられない、譲れないという気持ちは、分かる。基本、男ってのは単純だからな」
 クロウはとん、と指で机を叩いた。
「……茶飲み話がしたいだけで、俺を呼び出したわけじゃないだろう?」
 やはり鋭い。アメジストは自然と姿勢を正した。
「……今日、ルイ大公が帰ってくるの」
 昨日、先触れの使者がアメジストの元へ報告に来た。何事もなければ明日には、つまり今日にはアバロンへ到着するだろうと。
 クロウはかすかにうなずき、先を促す。
「五日後に、舞踏会があるの。仮面舞踏会よ。……それに、彼が出るかどうかを、調べてほしいの」
 仮面舞踏会は、誰もが仮面をつけその素顔と身分を隠して出席する舞踏会だ。通常の舞踏会であってしかるべき身分の差は関係なく、お互いに身元を探りあうのは禁忌とされている。たとえ相手の素性が分かってしまっても、口に出すことは野暮というものなのだ。
「なるほど。あの人が出席するなら、招待券を手に入れろってことだな」
 こともなげに言うクロウに、どう説明しようか気を張っていたアメジストはがくりと脱力した。
「……どうして分かってしまうの?」
「当たり前だ。でなきゃなんであの人と仮面舞踏会の話が繋がるんだ?……一つ聞くが、もしあの人が出席するとして。なんでわざわざ、仮面舞踏会で会わなきゃならない?」
「それは……」
 アメジストは答えに困って、うつむいた。クロウはしばらくアメジストからの返答を待ち、ふ、と息をついた。
「話したくないなら、無理に話さなくてもいい」
「話したくないわけではないの。ただ……自分がどうしたいのか、よく、分からなくて」
 そう、分からないのだ。自分が彼に何を求めているのか。彼が自分に何を求めているのか。それを知りたいのか、違うのか。
 『仮面舞踏会』という場でなら、互いが互いを偽った場なら、逆に真意にたどり着けるような気がして。
 クロウはもう一度、今度は二回、指で机を叩いた。
「……念のため言っておくが。あの人には十分に気をつけろ。お前に俺がいるように、あの人にも同じようなやつがいる。多分直接やりあったら……今の俺では、勝つのは難しいくらいのやつが」
 ――ここでははじめてみる顔だ、と思いましてね。
 ――どうやら大公殿下は有能な配下を手中に収めておられるようだ。
 あの時の言葉がよみがえる。この言葉を言ったのは、誰だったか。サジタリウスか、それとも他の誰かか。
 ふわり、とみどりいろの目が、微笑む口元が脳裏に浮かび上がる。
 ――あなたは、だれ?
「……ト。おい、アメジスト!」
 突然体を揺さぶられ、アメジストははっと我に返った。
「あ……ごめんなさい。なに?」
「どうしたんだ、急にぼうっとして。何度呼んでも返事がないから心配したぞ。……熱でもあるのか?」
 心底心配そうな表情をしたクロウが手を伸ばし、アメジストの額に触れる。
「熱はないな。……大丈夫なのか、ちゃんと眠れているか? お前は昔から眠りが浅いたちなんだから、気をつけないと。それに食事はきちんと摂っているのか?」
「もう、クロウったら子ども扱いして……大丈夫よ。ここのところ執務が立て込んでいたから、ちょっと疲れてしまっただけだと思うわ」
「……あまり無理をするんじゃない。お前が倒れてしまっては、意味がないからな」
「分かっているわ。大丈夫だから……だから、お願いね?」
「分かった。……腕を上げたな、アメジスト。うまい茶だった。ご馳走さま」
 柔和に笑い、クロウは席を立ち、窓から出て行った。
「……クロウったら!」
 ――まさか、他の女の子にもそんなこと、言っているのではないでしょうね。
 クロウに他意はない、と分かっていながらも、なんとなく気恥ずかしくなって、アメジストは道具一式を片付けに近場の給湯室に足を進めた。本来ならジェシカや女官を呼んでやってもらうことなのだが、ジェシカは今ゲオルグの世話をしている。人払いをしていたので他の女官もいないから、気分転換がてら自分でやろうと思ったのだ。
 だが階段を下りてすぐの給湯室の前で、アメジストはぴたりと足を止めた。
「やっぱりそうよねえ!」
 きゃあきゃあとおしゃべりしているのは、女官たちだ。声からして、かなり若い女官たちだろう。
「リチャード様は婿養子だし、お相手はジェシカ様だから、あたしたちには太刀打ちできないし……」
「いくらバレンヌが配偶者を複数持つことが許されていても、リチャード様にはそんな器用なことできそうにないしね」
 リチャードは正確には婿養子ではないが(ラズウェル伯爵はリチャードではなく、娘のジェシカに爵位を譲ろうと考えているからだ)、それを別としても彼には同時に複数の女性を愛する、などという器用な真似はできないだろう。確かにバレンヌは配偶者を複数持つことが許されているが、基本的に正室と側室全員に同じような待遇をしなければならない、という前提がある。たとえ飽きたからといって捨て置く、ということは許されないのだ。
「ルイ様は、ちょっと怖いしね。いくら政略結婚とはいえ、奥方様にも冷たいものね」
「奥方様も大変よねえ。だんな様があんなじゃ、お世継ぎもなかなか望めないし。針のむしろよねえ」
「そしたら、やっぱりゲオルグ様じゃない? なんたって王子様よ、王子様!」
「やだぁあなた、見ただけで分かるじゃない。ゲオルグ様は陛下しか見てらっしゃらない、って!」
 完全に入る機会を失い、アメジストは思わず壁際に寄った。
「あたしはジェイスンさんがいいなあ」
 ふと耳に入った名に、アメジストの体が固まる。
「ええ? だってあの人、傭兵でしょ? ルイ様とは違った意味で、怖くない?」
「いや、だってルイ様やゲオルグ様だと、あまりにあたしたちと違いすぎて。ジェイスンさん、意外と優しいところもあるのよ。前、あたしが荷物散らばしちゃって困ってたとき、何も言わずに手伝ってくれたし」
「ああ、そういえばあたしも……図書館でとりたい本の場所が高すぎて取れなかったとき、取ってくれたわ!」
 そんなことをしていたのか。アメジストはむっとした。
 彼の性格上、そういった場面に出くわせばそうするだろう、とは分かっているのに。一度生まれたむかつきは治まることがなかった。
「でもなんで図書館なんかにいたの? 彼」
「ああ、なんか同僚にも読めそうな本を探していたらしくって。面倒見、いいわよねえ」
「それにけっこう、美形だしね! あんな格好してるのがもったいないくらい」
 女官たちはきゃあきゃあとかしましい。
 ――ジェイスンは、私が先に見つけたのよ。誰があなたたちなんかに。
 むかっ腹のままそこまで考えて、アメジストはうろたえた。どうしてこんな考えが出てくるのだろうか。いや、そんなはずは――。
「あれ? 姫さーん、どうしたの? こんなとこで」
 のほほんとした声にぎくっとして振り向く。続いて給湯室からきゃあっ、と悲鳴のような声が上がった。
「シーシアス……」
「そんな怖い顔で壁に張り付いてなにやってんの?……あ、ちょっとごめん。待ってて」
 おそらく見回りをしていたのだろう。シーシアスは一緒にいた傭兵にいったん断りをいれ、こっちに駆け寄ってきた。
 シーシアスはアメジストが持っていた盆に視線を移した。
「姫さん……これ、姫さんがやるようなことじゃないじゃん。ほら貸して」
「あ」
 盆を取り上げられ、アメジストが声を上げるがシーシアスはそのまま給湯室に入ろうとし、女官たちに出くわしたらしい。
「あっ、ごめん。ついでにこれもお願いしていいかなあ?」
「あっ、は、はいっ! ただいま!」
 女官たちのひっくり返った声がする。
「ごめんね。……姫さん、そろそろ大公さんが帰ってくるはずだから、戻ったほうがいいよ。いないとまたいやみ言われるよ?」
「え、もう?」
「うん。なんかざわざわしてるし、お偉いさんがバタバタしてるのも見たからさ」
 つまり、迎える準備をしているということだ。ひょっとしたら今頃、大臣あたりが大慌てでアメジストを探しているかもしれない。
「分かったわ。ありがとう、シーシアス」
「いえいえ。じゃあオレ、勤務があるから。じゃあね」
 ばいばい、と手を振ってシーシアスは傭兵のところへ戻っていった。
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