帝国年代記〜催涙雨〜

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  Carmina Burana  

「もう、これはいったいどういうことなの!」
 またもや執務を――今度は強制的に中断せざるを得なくなったアメジストは腕を組み、目の前の男二人をじろりとにらむ。
 執務室の床に正座で座らされた男二人は所在無げに、びしょぬれの頭を手ぬぐいでぬぐっている。
「どういうことなの?」
 アメジストは男二人のうちの一人……ジェイスンに問いかける。だがジェイスンは無言でふいっと視線をそらした。
「ちゃんとこっちを見て答えなさい、ジェイスン!」
 アメジストが視線を合わせようとしても、彼はかたくなにアメジストを見ようとはしなかった。
 ううん、これは言う気がないわね。アメジストは深くため息をつく。いわゆる『黙秘権の行使』と言うやつだ。
 いったんこうなると彼は頑固だ。下手に嘘をつかない代わり、彼は聞かれたくないことに触れられると、こうやって二枚貝のように固く口を閉ざす。
 いっそ口を開く気になるまで釜茹でにしてやろうかしら、などと物騒な思考がちらりと頭を掠めるが、瞬時に却下する。ジェイスンがおとなしく茹でられているはずもないし、第一、アバロンには人間を茹でられるほどの大きさの釜がない。例外は風呂だが、それでは無駄が大きすぎる。そんなことをしてもアメジストの気が晴れるだけで、はっきり言ってお金と時間の無駄でしかない。
「彼はね、すねているんですよ」
 くすくすと笑いながら、二人を引っ立ててきたサジタリウスが、アメジストに耳打ちする。
 ジェイスンがいったい何にすねているのかは分からなかったが――とにかくあれだけの大騒ぎになった以上、しかも当事者たちが直属近衛である以上、アメジストは皇帝として、彼らの直属の上司として事情を聞き、しかるべき罰を与えなくてはならない。情状酌量の余地もあるかもしれないわけだし。
「ルイ大公が不在で良かったわ。あの人に直接見つかっていたなら、これくらいじゃすまなかったわよ?」
 『これ』とは、二人の頭……というか、上半身をぬらす水のことだ。
 ちなみにルイは今、アバロンにいない。いろいろと諸事情がありカンバーランドへ視察に行っているのだ。数日中には戻る予定だし、そうすれば彼の耳にも入るだろうが、それでも直接見つかるよりははるかにましだ。
 アメジストはジェイスンを攻略するのを早々にあきらめ、もう一方を攻略すべく、もう一人の男……ゲオルグに向き直った。
「ゲオルグ王子。これはいったいどういうことなのですか? 理由によっては、帝国法に従ってあなた方を懲罰房に入れなくてはなりませんよ?」
 バレンヌは一応、法治国家だ。皇帝であるアメジストも、そしてカンバーランドが帝国の一公国になった今、カンバーランド王子であるゲオルグも例外ではなく、その法律には従わなければならない。
 いや、上に立つものだからこそ。知りませんでしたごめんなさい、では済まされない。民の模範となるべく、襟を正さねばならないのだ。
 だがゲオルグも、アメジストからふいっと目をそらした。まるでお互い示し合わせたかのように。
 ……普段仲が悪いくせに、どうしてこういう時ばかり!
「……分かりました。どうしても教えていただけないのであれば、懲罰房へ行ってもらわねばなりませんね。このままでは他に示しがつきませんし。いつまでになるかは分かりませんが……サジ様、確か今、懲罰房は空いていましたよね?」
 どこかがぷつんと切れたアメジストの声が、低く険を含んだ。
「はい、そうですね。ただ陛下の御世になってからは、とんと使われておりませんから、まずお二人には掃除から始めていただかなくてはいけませんねぇ」
 それに応えるサジタリウスは、とても楽しそうだ。
「どうしてこの男と二人で掃除しなければならないのです!」
 やっとゲオルグが声を上げた。だがその声は弁明などではなく、単にジェイスンと一緒に何かをしたくない、ただそれだけのものだ。
 ちょっと待て、懲罰房に行くのはいいのか。アメジストは突っ込みそうになったのをこらえて眉をひそめる。いまいち彼らの思考は分からない。
「で、あれば、ゲオルグ王子。なぜこんなことになったのか、教えていただかないと」
「…………」
 またしても流れる沈黙。アメジストはこめかみがひくつくのを感じ、再度深くため息をついた。
「では、お二人で懲罰房の掃除から始めていただきましょうか。サジ様、懲罰房の鍵を……」
「い、いや、それは」
 あわてたゲオルグが声を上げる。アメジストはちらりとゲオルグの方にあえて冷たい視線を送った。
「……わ、分かりました……お話します。ですから、この男と掃除だけは勘弁してください」
 ……そこまでお嫌ですか、と思いながらアメジストは先を促した。


「ばっ……」
 ばっかじゃないの!?
 事の経緯を聞いたアメジストはそう叫びかけて、かろうじてこらえた。代わりにぎゅっと拳を握る。おちつけ、おちつけ。
「……つまり。あなた方は私闘をした、というわけですね。直属近衛という立場もわきまえず」
「ですが、姫。これは誇りを賭けた決闘で……」
 だがせっかくの自制も、ゲオルグの言葉で徒労に終わった。
「もっと悪いです! 別にお互い好きになれとまでは言いませんが、あなた方は私の直属近衛である以上、協力して私を助けていただかねばなりません。決闘なんてもっての外だわ! それにカンバーランドだってむやみやたらな私闘や決闘は禁じられていたはずですが!?」
 アメジストが問い詰めるとゲオルグがぐ、と詰まった。むしろいろいろと緩いバレンヌよりも聖騎士の国であるカンバーランドの方がそういった点には厳しいはずなのだが。
「ジェイスンもジェイスンだわ! 決闘だなんて……どうしてそんなもの軽々しく受けたのよ!」
「陛下、落ち着いてください。とにかく二人の処分を。勝手に賭けをしたものたちにも注意を与えねばなりませんし」
 そこに静かに割って入ったサジタリウスの声に、アメジストは大分冷静さを取り戻した。
「……そうですね。では二人には本日これから……そうね、十日間の自室での謹慎を申し付けます。謹慎中、勝手に出歩くことは認めません。……いいですね?」
「しかし、姫の御身をお守りするためには」
「それはリチャードかサジタリウスに頼みます。今のところ遠征の予定もありませんし、それで十分なはずです。……分かっていただけますね?」
「……分かりました」
 さすがに処分は覚悟していたのだろう、ゲオルグはしぶしぶではあったが、うなずいた。
「ジェイスンも。いいわね?」
 ジェイスンは少し複雑そうな顔をしていたが、やがて無言でうなずいた。


 処分を受けた二人がそれぞれ自室に戻った後。アメジストはふう、とため息をついた。このごろため息をつくことが多いような気がする。
 ああ、ため息をつくと幸せが逃げると言ったのは誰だったか。
「陛下。お気持ちは分かりますが、さすがにあれは言いすぎです。ジェイスンがかわいそうですよ」
 少し咎めるような声に、アメジストがサジタリウスの方を振り向くと、サジタリウスは苦笑を浮かべていた。
「ですが、サジ様。決闘はいけません」
「ええ、確かにそれは問題ですし、馬鹿なことをしたと私も思います。でもね、お忘れですか、陛下。ジェイスンは傭兵なんです」
 サジタリウスの言葉に目をしばたたく。確かにジェイスンは傭兵だが、それが決闘とどういう関係があるのだろうか。
「騎士には騎士の矜持があるように、傭兵には傭兵の矜持があります。そして腕一つで戦場を渡り歩く傭兵のそれは、私たちが思うよりもはるかに高いものなのでしょうね。ジェイスンはあれでかなり思慮深い男です。ゲオルグ王子からの申し入れを断り切れなかったのかもしれませんが、だからといって周りに流されて悪乗りするとは思えない」
 アメジストはサジタリウスの言葉を黙って聞いている。サジタリウスが意味もなくこんな話をするはずがない。何かに気づけ、と彼は言っているのだ。
「きっとジェイスンは、引けなかったんだと思いますよ。傭兵の矜持にかけて。もしも引いて『臆病者』の烙印でも押されればそれは致命的ですし、その『臆病者』を直属近衛としている陛下への評判にも関わる、と」
 はっとして口元を押さえる。
 そうだ。ジェラールの直属近衛であった傭兵……ヘクターも誇り高い人だった。最初はひ弱だったジェラールを認めず暴言を吐き、レオン崩御後にアバロンに攻め込んできたモンスターたちをジェラールが叩きのめして初めて、暴言を謝罪しジェラールを主君と認め、その剣を捧げたのだ。
 もしもジェイスンが『臆病者』の烙印を押されれば、傭兵たちの間で彼は軽んじられ、その主君であるアメジストも軽視されることになるのだ。そしてそれを、ジェイスンが良しとするとは思えなかった。
「……私、知らなかったとはいえ……軽々しく、とか、そんなもの、なんてひどいこと……言ってしまったわ」
「そう自覚できたなら大丈夫ですよ。一言、謝ればいいんです。それが心からのものであれば、ジェイスンだって許してくれますよ。ね?」
 サジタリウスは優しくアメジストの肩をたたいた。
 アメジストはこくり、とうなずいた。


 執務の合間に、アメジストは手紙をしたためた。ジェイスン宛にだ。さすがに昨日の今日……というかさっきの今だ。直接顔を合わせるのはかなり気まずい。

『八つ当たりみたいに怒ってしまってごめんなさい。冷静に考えれば、あなたが引けなかった理由もちゃんと分かったはずなのに。反省しています』

 あまり長くなるのも、と思いそれだけを書き、封筒に入れた。そして蝋で封をし、それをジェイスンの夕食を運ぶことになった女官に託す。
 もとより返事は期待していなかった。だが翌日、ジェイスンの食事を運んだ女官が手紙をアメジストに差し出してきたのだ。
 驚いて、思わず無言でしばらくじっと女官の手元を――それこそ穴が空くほど見つめてしまい、彼女には大変居心地の悪い思いをさせてしまった。
 受け取った手紙は、アメジストが手紙をしたためた封筒に入っていた。突っ返されてしまったのだろうか、と少ししょんぼりしながら裏返すと、蝋を破った形跡がある。ということは、読んでくれたのだ。
 女官に礼を言い、一人になった執務室でそっと封筒を開くと、中にはアメジストが入れた便箋ではなく、まるでメモのような紙が入っている。意外に綺麗な筆跡は、間違いなくジェイスンのものだ。

『分かろうとしてくださった、そのお気持ちだけで、十分です』

 ああ、許してくれた。
 たった一行の言葉。だがそれだけで、アメジストはうれしくなった。


 その日は一日中、胸がぽかぽかして幸せな気分だった。
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