帝国年代記〜催涙雨〜

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  Carmina Burana  

 突然、頬に衝撃を感じた。
 視線を落とせば、床に白手袋が落ちている。ジェイスンは眉をひそめた。
「……これはいったい、なんのまねですか」
 ゲオルグと同い年とはいえ、一応立場的に彼は目上だ。アメジストも彼に非常に気を遣っているのを、自分ひとりの感情でだめにしてしまうわけにもいかない。だからこそいやいやながらも会話に付き合っていたというのに、いきなりこの仕打ちだ。いったい何が彼の逆鱗に触れてしまったのだろうか。
「ええい、しれっと拾って私に寄越すな! 貴様も、この意味は分かっているのだろう!」
 ジェイスンはひそかに舌打ちした。知らないふりをしてごまかそうと思ったのに、残念ながらゲオルグはそれを見逃してくれるほど甘くはなかったようだ。
 そして手袋を拾ってしまった以上、ジェイスンはそれを受諾したということになる。
 大声になんだなんだと集まってくる他の傭兵たちを、ゲオルグに見えないよう背中に回した手であっちに行け、と手を振る。だがそれは逆効果で、余計に興味津々といった感じで全員がこちらを見る結果となってしまった。
「……決闘は、同じ身分のもの同士しかやってはいけないと思っていましたが」
「私と貴様は同じ直属近衛だろう!」
 へえ、とジェイスンは意外に思った。敵視されているのは知っていたが、まさか彼が自分を対等の存在とみなしていたとは。
「……では、あなたには何か回復しなければいけないような名誉がありましたか」
 言ってしまってからまずいと思った。これはどうがんばっても皮肉にしか聞こえない。
 やはりというか、ゲオルグは激昂し、眉を跳ね上げた。
「貴様、よくもぬけぬけと……! 男なら潔く受けたらどうなのだ!」
「や、そりゃ確かにオレは女じゃありませんけど」
「ごちゃごちゃと言い逃れをするな見苦しい! 逃げるのか!」
 できれば逃げたいと心底ジェイスンは思ったが、これは逃げられそうにない。
 それでも一縷の望みを賭けて抵抗してみる。
「ですが、オレの武器は斧ですよ。あなたの武器は、剣でしょう。決闘は同じ武器を使わねばならなかったと記憶していますが」
「貴様は槍も扱えると聞いたぞ! 私も槍を扱える、それで決闘だ!」
 誰だ、そんないらん情報流しやがったのは。ジェイスンはため息をつきかけて、あわててそれを押し殺した。犯人はたぶん自分たちに注目しているうちの誰かなのだろうが。
 ……犯人がわかったら、絶対一発殴ってやる。
「ちょっ、ちょっと待ってよ! 決闘って命かけるんでしょ!?」
 そこにあわてて割って入ったのは、今まで呆然と二人のやり取りを見ていたシーシアスだ。
「ジェイスンもゲオルグ……さん、も、姫さんの直属近衛だろ!? どっちかが死ぬまでなんてやったら姫さん絶対悲しむし、第一姫さんに対して無責任すぎる!」
「む……」
 『姫さんに対して無責任』という言葉に面食らったかのように、ゲオルグが一瞬たじろいだ。
「……いや、これは最終的には姫のため! さあ来い、手加減はいらんぞ!」
 だがシーシアスの言葉はゲオルグの中で微妙にすりかえられたようだ。彼の中でどのような変化を起こしたのかは知らないが。
「立会人はどうするんですか」
「心配すんな、俺たちがやってやるよ!」
「ほれジェイスン、ここで引いたら男じゃねーぞ!」
 野次馬たちがやんやと声を上げる。確かにここまできてしまった以上、引いたら『臆病者』の烙印を押されてしまう。そしてそれは曲がりなりにも『傭兵』として身を置くジェイスンの望むところではなかった。
 仕方ない、とジェイスンは腹をくくった。
「……分かりました。受けましょう」
「っしゃ、そうこなっきゃな! ここじゃ狭いから中庭に移動だ、おーい、誰か二人分の槍持って来い!」
「ダメだってば!……どうしてもやるんなら試合の形式にしてよ! オレが止められなかったからってどっちかが死んで、姫さんに泣かれるの嫌だ!」
 悪乗りを始めた傭兵たちに、シーシアスが悲鳴を上げた。
 回り中からじろりといっせいににらまれ、シーシアスはつっかえながらもゲオルグに意見する。
「だ、だいたい女の子を泣かすなんて、騎士の風上にも置けないんじゃないの、ゲオルグさん!?」
「む……それもそうか。姫を泣かせるのは本意ではないし……仕方ない、そうしよう。貴様もいいな?」
 意外とあっさりゲオルグは納得し、歩き出した。ジェイスンもうなずき、その後に続く。
 ぞろぞろと中庭に向かう一同の背中を見て、シーシアスは最悪の事態だけは避けられた、と安堵のため息をついた。

 中庭にちょっとした人だかりができあがった。
 無論、中心にいるのはジェイスンとゲオルグの二人だ。
「試合は一本先取。どっちかが戦闘不能――十秒以上立ち上がれなくなるか、降参するまで。武器は刃をつぶした槍のみ。公平を期すため、術の使用は不可……ってこれはジェイスンにゃ関係ねぇか。あと道具の使用も不可。以上の条件で戦う」
 審判役の傭兵が口上を述べる。それにうなずいて、ゲオルグはジェイスンに向かって口を開いた。
「貴様が勝てば、何か一つ願いを聞いてやろう。私の力が及ぶところまでだがな。だが私が勝った場合……」
「直属近衛はいわば皇帝陛下の私兵です。ジェシカのように回復不可能な大怪我をしたとかでもない限り、陛下以外に人事権はない。直属近衛をやめろってのは無理ですよ」
 基本的に直属近衛は一度任命されたら、自分か任命した皇帝が死ぬまでその任を解かれることはない。機密の保持という点もあるし、皇帝の気分次第でころころ直属近衛が変わってもそれはそれで問題だからだ。例外はジェシカのように回復不可能な大怪我を負った場合と、皇帝に叛意ありとみなされた場合のみ。
「ええい、そんなことは貴様に言われんでも分かっている!……直属近衛としての任務以外で、姫に金輪際近づくな。これが私の要求だ」
 向こうから近づいてきた場合はどうすんだ、と思ったがそれは心のうちに秘めておく。さっきうっかり失言してゲオルグを怒らせてしまった。またこんなことを言えばさらに火に油を注ぐだけだ。
「双方、いいな?……では、始め!」
 審判役の傭兵が手を振り下ろす。
 瞬間、二人は一気に距離をつめ、小気味いい音をたてて槍を合わせた。そのまま一手、二手、と合わせてまったく同時に後ろに跳び退る。
「おーなかなかいい勝負じゃねーか。おーいおめえら、どっちが勝つのにいくら賭ける!?」
 誰かが口にした言葉にジェイスンに百、いやアタシはあの騎士様に二百、などと声が上がる。
 そんな周りの雑音に気を散らすこともなく、二人は打ち合い、受け流し、跳び退り、また打ち合っている。そこには一分の隙もなく、まるで一種の舞を見ているかのようだ。
「ふんふん、なるほどねー」
 票は割れたが、若干ジェイスンに軍配が上がった。さすがにこれはジェイスンの実力を良く知っているからなのだろう。
「さあ、どうだいもうないか!?」
「……では、私は引き分けに賭けましょうかね」
 ぞくりと周りが凍るような声。ぎぎぎ、と音がしそうなほどにぎこちなく顔を上げると、一人の術士のローブを纏った男がにこにこ笑いながら立っている。
 いや、だがこのあふれ出る殺気。ただもんじゃねえ、と彼は思い、そこでこの術士が直属近衛の一人だということに思い至った。
 その瞬間、歴戦のつわものであるはずの彼の体が凍りつく。本能的にこいつを怒らせてはいけないと理解したのだ。
「あ、いや、こ、これはその」
「言い訳は結構。……まずは、あの二人の頭を冷やさねばなりませんね」
 冷たく言い放った術士が二人の方向を見やると、二人はまた接近して打ち合っていた。術士の彼が殺気を撒き散らしながら来たことにも気づいてない。それほど実力が均衡していた。
 ジェイスンはゲオルグの槍を受けながら、必死に打開策を考えていた。彼の一撃はさすがに重く、あまり受け続けているとこちらが押し負ける。
 だがゲオルグが攻撃を終えたとき、攻め切れなかったのか一瞬足をもつれさせた。しまった、と彼はあからさまに顔に出す。
 ――行ける! ジェイスンはそのまま技を繰り出そうとした、そのとき。

 ばっしゃああああんっ!

 まさに文字通り、水を差されたというように、大量の水が二人の頭の上から降ってきたのである。
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