帝国年代記〜催涙雨〜

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  Carmina Burana  

 バレンヌには『騎士テレーズと異母妹コーシュカ』という音楽劇がある。

 正確には、『始まりの皇子ジェラールの協奏曲』という音楽劇の一部であるのだが、単にアバロンで協奏曲といえばこの『騎士テレーズと異母妹コーシュカ』を指す。なぜかと問えば答えは簡単、観客の受けが良いからだ。
 『騎士テレーズ』とは『根源の王』レオンと『始まりの皇子』ジェラールの二代に渡って仕えた、女性騎士として初めて皇帝の直属近衛となり、やはり女性として初めて爵位を継いだ女性である。『異母妹コーシュカ』とはその名のとおりテレーズの腹違いの妹であり、『始まりの皇子』ジェラールに嫁いで一男二女をもうけた女性である。
 単に女性騎士として初めて直属近衛になっただとか、相手が皇帝とはいえ嫁いだだけであるならば、このように有名になったりはしない。盛り上げるためなのか、この音楽劇の冒頭には、まず二人の生まれや育ちの説明が入る。
 テレーズはバレンヌの貴族、カルティエ家の一人娘。カルティエ家の爵位は子爵であり、皇帝の近衛騎士(直属近衛という言葉は当時なかった)の任務につくにはいささか身分が低い。しかも女性騎士・兵士は結婚すれば退軍するのが当時の常識であり、また女性には家督も継ぐことすら認められていなかった。だが騎士としては求められなくとも、テレーズ自身は赤みがかった金色の髪に空色の目を持つ、『絶世の』という言葉をつけるにふさわしい美女であったから、あわよくばレオン、もしくは当時の次期皇帝とうわさされていたヴィクトールの側室として召し上げられぬものか、とテレーズの父親であるカルティエ子爵は考えた。うまくいけば貴族としてあまり有力ではないカルティエ家にも、それを足がかりに政治への介入ができるからだ。
 しかしテレーズはそれを見事に蹴っ飛ばしてみせる。父親の思惑通り側仕えとして宮殿に上がるのではなく、父親が彼女を宮殿入りさせるための根回しに休む間もなく奔走していた間に、きちんと手続きを踏んだうえで騎士として宮殿入りを果たすのだ。まず騎士見習いとして入ったテレーズはその天賦の才能を存分に発揮し、当時足りていなかった女性の視座からの騎士のあり方を、自ら率先して実行していく。同期の男性騎士に比べ時間はかかったものの順調に地位を上げ続け、ついには女性騎士として初の、皇帝の近衛騎士となるのである。
 ちなみに当時は第二皇子に過ぎなかったジェラールの剣の手ほどきをしたのもテレーズである。テレーズは弓を得意としていたが、騎士のたしなみとして剣も扱えた。通常であれば皇子の指南役は位の高い、歴戦の男性騎士がするものだが、ひ弱だったジェラールには彼ら男性騎士の剣は『強すぎた』。ゆえに力よりも速さを重視した剣の使い手であるテレーズに白羽の矢が立ったのである。とはいっても、彼女は皇子であるジェラールに一切の手加減をしなかったのだが。
 一方コーシュカはその本来の身分を知らず、平民として普通に働いていた。そんな彼女に転機が訪れるのはジェラールが皇帝となった少し後、コーシュカが十九歳、テレーズが二十五歳のときである。
 母子家庭であったコーシュカの家は貧しかった。母は懸命に働いたが、女性の細腕では得られる収入も高が知れており、暮らしは一向に良くならなかった。コーシュカも幼い時分から働きに出、母を助けていた。その母が過労で亡くなり、天涯孤独となったコーシュカは悲しみに暮れる暇もなく、生きるために仕事をいくつもかけもち、身を粉にして働いた。大衆酒場はその仕事のうちの一つだった。
 ある日ふらりと酒場に現れたこげ茶の髪に緑色の目を持つ青年に、日ごろの疲労がたまっていたコーシュカは、うっかり飲み物のグラスをひっくり返してしまう。青年自身と店主の叱責を怖れたコーシュカは真っ青になって謝罪し、服の洗濯代を出させてくれと申し出るが、濃い茶髪の青年――彼こそが皇帝ジェラールその人であるのだが――は気にするなと笑顔でそれを断り、逆にコーシュカの顔色が悪いと心配する。ジェラールは隣にいた同じ女性であるテレーズにコーシュカを介抱するよう命じ、行動を共にしていた近衛騎士であるベアには店主にコーシュカの早退を認めるよう、同じく近衛騎士のジェイムズにはコーシュカと介抱役のテレーズのために一夜の宿を取るよう、交渉を申し付ける。
 それがきっかけとなってジェラールとコーシュカの二人は恋仲となっていくのだが、仮にも皇帝とただの平民では身分が違いすぎる。だが一度燃え上がった恋の炎は静まることを知らなかった。コーシュカが言葉巧みに皇帝に近づく不貞の輩である可能性も考え、二人には極秘で近衛騎士たちがコーシュカのことを調べているうち、とんでもない可能性が浮上する。もちろんコーシュカが不貞の輩である可能性などではなく、なんと彼女が、テレーズが二十歳の春に亡くなったカルティエ子爵の落とし胤であるという、まるでできすぎた三文小説のような可能性が。
 その可能性に最初に気づくのは、やはりテレーズである。コーシュカはかなりの美少女だったし、またテレーズと同じ赤みのかった金髪に空色の目を持っていたのだ。美貌や空色の目はともかく、赤みのかった金髪などそうあるものではない。それにコーシュカが産まれる一年ほど前、テレーズ付きであった侍女が一人辞めていた。嫁いだ母についてきた侍女であり、テレーズに淑女としての教育を行った彼女をテレーズは大変慕っていたから、彼女の名前や容姿をしっかりと覚えていた。
 コーシュカと二人きりになる機会が訪れたとき――それはたいてい、ジェラールとの密会の際なのだが、とにかくその段取りをつけたとき、テレーズはコーシュカにたずねるのだ。彼女の母の名と、その母がどんな容姿をしていたかを。そしてコーシュカは若干不思議に思いつつも、母の名前と容姿を話す。それは、テレーズが持つかつての侍女の記憶と完全に一致していた。

 ここでの感動的な姉妹のやり取りは、まさに演じ手の腕の見せ所である。

「ああ、なんということだ! 君がまさか、わたしの妹だったとは!」
「まあ……まあ、なんてこと……信じられない、あたしに姉さんがいたなんて!」
「すまない、わたしがもっと早く気づけていたなら、君にも君の母君にも、こんなにひどい苦労をさせずにすんだのに」
「いいえ……あたし、うれしいの。母さんが死んで、もうあたしは一人ぼっちになっちゃったんだって思ってたから」
「もう、さびしい思いをすることもない。残念ながら母君は間に合わなかったが、君だけでも……わたしと、家に帰ろう。母も君のような素敵な娘ができると知ったら、きっと喜ぶ」
「本当に? あたし、邪魔じゃない? あなたを、『姉さま』と呼んでもいいの?」
「もちろんだよ。母も、君に『お母さま』と呼ばれるのを喜ぶはずだ」
「うれしい……あたし、もう、一人ぼっちじゃないのね!」

 それからいくつもの紆余曲折を経てコーシュカは無事、ジェラールの妻として迎えられるのだが、あまりにも仲むつまじいテレーズとコーシュカにジェラールは軽く嫉妬し、こう愚痴を言うのだ。

「コーシュカの夫は、私のはずなのに! これではまるで、テレーズの方がコーシュカの夫のようではないか」

 その言葉に姉妹は顔を見合わせ、大笑いして音楽劇は幕を閉じる。

 けれど歴代皇帝の記憶を受け継ぐアメジストは、それが芸術的な創作という意味とは別に、意図的に創られたものだということを知っている。
 もちろん、テレーズが今で言う直属近衛の一人であり、女性で初めて爵位を継いだ人物であることも、コーシュカという名の娘がジェラールのたった一人の妻として嫁いだのは事実だし、テレーズとコーシュカの仲が良かったのも事実だ。だがそこにはいくつかの『虚偽』が真実と共に混じっている。その中で一番大きな『虚偽』は、コーシュカの素性だ。
 コーシュカと言う名の娘は、実は存在しない。彼女はテレーズの異母妹などではなく、そもそも普通の町娘でもなく。アバロンのシーフギルドの一員、通り名を『キャット』という娘だったのだ。
 ジェラールとの出会い方もまるで違う。二人が出会ったのは、ジェラールが当時アバロンで発生していた連続窃盗事件を追っていた時だ。簡単に言うとキャットがその犯人であったのだが、追い詰めたジェラールをかわし、キャットは逃げ出す。その際ドジを踏み、ひそかにアバロンに侵入していたモンスターたちに殺されそうになったのをジェラールが助けた、それがきっかけだ。
 ヴィクトール運河をバレンヌの手に取り戻すため、影で活躍したキャットたちシーフギルドは、バレンヌ皇帝ジェラールの命により、公に皇帝ができない仕事を任されることになった。そして皇帝とシーフギルドのつなぎ役となったキャットとジェラールが互いを男女として意識するようになるのに、そう時間はかからなかった。
 ここで困り果てたのが直属近衛をはじめとする臣下たちだ。ジェラールは幾多もの良い縁談を蹴っ飛ばし続け、ついには「キャット以外妻に娶る気はない」と宣言したのだ。だが側室としてならばまだしも、いくらなんでも皇妃として平民、しかも裏の仕事をするシティシーフを据えるわけにもいかない。そこで苦肉の策として、キャットに名前を改めさせ、どこかの貴族の令嬢に仕立て上げようとしたのだ。
 その『どこかの貴族』には、金髪と空色の目という共通点を持ち、すでに爵位を継いでいたテレーズが選ばれ、キャットを異母妹という名目で迎えた。キャットが産まれる一年ほど前にテレーズ付きの侍女が辞めていたのは本当だったし、その侍女に『手をつけた』とされた前カルティエ子爵はすでに亡くなっているしということで、秘密がばれにくいと踏んだのだ。それでも身分がいささか低いが、いくつもの実績を残しているテレーズが妹として認めていたので、秘密を知らない臣下たちの反対の声もそこまで起こらなかった。そしてテレーズはキャットに基本的な上流階級のマナーや皇妃としての心得など(文字の読み書きは、問題なかった)を叩き込み、キャットは無事皇妃として収まった、というわけだ。
 『コーシュカ』という名前は、バレンヌ古語の、そのまた古語で『猫』を意味する言葉からとっている。ちなみにジェラールとキャット、いやコーシュカの恋愛劇はまた別にある。これも身分違いの恋、しかし最終的には結ばれるということで観客の受けが良い。

「それでも、私には無理よね」

 物思いにふけっていたアメジストは、そうひとりごちた。ふっとまた脳裏に浮かんだ『彼』の姿に頭を振り、ため息をつく。その反動か、机に乗っていた書類が一枚、床に落ちた。
 いけない。どうしてこんな思考になっているのだろう。あわててアメジストは席を立ち、書類を拾い上げた。
 その書類は、とある場所の使用許可願いだ。場所の大きさや事前に申請されている装飾などの内容、直接皇帝であるアメジストへ上がってきていることから、おそらく何らかの私的な、たとえば舞踏会などに使用するのだろう。
 そうだ。今は、そんなこと考えている場合ではない。
 アメジストはそう自分を戒め、中断していた執務を再開した。
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