トゥフカ・サーガ〜約束の地〜

モドル | ススム | モクジ

  邂逅  

 スマラクト・ヴァルトを、二人は道が分からなくならないように気をつけながら歩く。
「しかし、シルファもよくあのオッサンに話しかけようなんて思ったよな。あーんなおっかねぇ顔してんのに、ある意味すげぇよ」
 リヒトは眉間にしわをよせる。どうもアスランの真似をしているらしい。
「だっ、だってあの時はすっごく心細かったし……必死だったのよ」
 両手で頬を覆ってシルファがつぶやく。しかし実際、かなり後にアスランと再会したとき、よくぞこの人に声をかけたものだと自分でも思った。アスランはぱっと見、かなり美形に入る部類なのだが、表情が基本険しく、怖く見えるのだ。本人はシルファを保護してくれたことから、特に子どもは嫌いでもないようだが、初見では間違いなく子どもは寄り付かないだろう(ちなみに再会したときのアスランの第一声は「なんだ、また迷子になったのか、シルファ?」だった)。
 アスランに再会するまでに結構な時間を要したのは、ゴードンに「子どもたちだけで森に行ってはいけない」と禁止令を出されたのと、シルファがうまくアスランのことを説明できず(なんせ三歳児だ)、ただ赤毛ということと、シルファを最初に見つけたのがゴードンだったことから「ゴードンおじさんと見間違えたのではないか」と思われていたからだ。
 ある程度シルファが大きくなり、きちんと相手にわかるように話ができるようになって初めて、彼は森に住む奥さんを失った幽霊だということをエレンから教えてもらったのだ。
 そういわれてみれば確かにおかしいところはあったのだ。アスランと出会ったとき、森の中はすでに自分の手すら見えないほどの闇に包まれていたというのに、アスランが『赤毛で細身の体つきのお兄さん』であるということがはっきりと分かった。明かりもない中、普通の人間でそんなことはありえない。
 また以前、リヒトがアスランに当時三歳のシルファの言っていたことがなぜ分かったのか聞いてみたところ(シルファは幼い頃、かなりの舌足らずで歳の近いリヒトでも言っていることが分からないことが多々あった)、遠い目をして「あいつの心底意味不明な言動に比べりゃ三歳児が何を言ってるかなんぞ分かりやすすぎて涙が出るわ」と言っていた。あいつとはアスランの奥さんのことだが、それを聞いたリヒトは「オッサンの奥さんはいったいどんな人だったんだ」と頭を抱えたものだ。
 アスランの奥さんは名をルクレツィアといい、アスランは『ルカ』と呼んでいたらしい。ルカは男性名だが、彼女本人が長い名前を面倒くさがってそう名乗っていたそうだ。彼が言うには「美人ではあったな。ただどっちかといえば絵画的な美しさ」であったということだ。
 残念ながら子どもには恵まれなかったが、それなりに仲睦まじく暮らしていた二人。だが、とある流行病が当時のティエル村を襲った。
 数日から数週間の間、高熱や発疹が現れるその病は、体力のある普通の人間にとってはさしたる脅威ではなかったが、アスランたちの種族にとっては死に至る、まさに致命的な病だった。やがて病は当然のように二人に牙を剥き、長い闘病の末、まずルカが力尽きた。ティエル村の人々は悲しんで大々的に葬儀を行ってくれたが、そのとき『何か』が起こってルカの遺体は何者かによって奪われてしまった。アスランは病のせいで妻の葬儀どころではなく、最愛の妻の亡骸を失ったことを後に、寝付いたベッドの上で知る。
 そして、彼女を取り戻したいと願いつつも何もできないまま。彼は生涯を終えたのだ。
 初めてアスランからその話を聞いたとき、シルファは涙を禁じえなかった。アスランは「昔のことだ」と苦笑いしていたが、そう思っていないことくらい、シルファにも分かる。本当に昔のことだと割り切れているのなら、未だ森に縛られることなく、とうに死者の国へ旅立っているはずだ。
 祖母エレンが何度浄化の魔法をかけても、本人の意思に関係なく、どうしても戻ってきてしまう彼。アスラン自身は「ルカが見つからない以上、多分ずっとこのままなんだろうな」と達観していた。
 森が少し開けた場所で、二人は立ち止まった。周りには朽ち果てた建物がぽつぽつと建っている。その建物たちには蔦が這い回っており、人が住まなくなってかなり久しい場所だということが分かる。
 リヒトはすうっと大きく息を吸い込み――
「お―――――い、オッサ―――ン! 起きろおぉっ!」
 次の瞬間、若い男の怒声が響いた。
「――誰がオッサンだ!」
 シルファが止める間もなく叫んだリヒトに応えるように、石以外何もなかったはずの目の前にゆらっと赤い炎のようなものが立ち上る。
 その赤い幻はゆっくりと人の形を取り、やがて眉間にしわを寄せた赤毛で痩身の男の姿を映し出す。
「ったく、いつまでたっても礼儀を覚えないなこのクソガキが」
 腕を組んでじろりとリヒトを睨むその人こそ、幼かった迷子のシルファを保護してくれ、リヒトとシルファに武術の稽古やら旅の知識やらを教えてくれたアスランだ。
「クソガキ言うな!」
 盛大にリヒトが抗議するが、アスランは冷たい視線をリヒトに注ぎ続ける。
「人のことをオッサン呼ばわりするようなガキなんぞクソガキで十分だ。……ああ、それとも『おガキ様』とでも呼んでやろうか?」
「ばっ、馬鹿にしてるだろそれ!」
「はっはっは、そのとおり。よく分かったな、褒めてやろう」
「あ、アスランさんっ! お久しぶりですっ!」
 このままだと延々とコントを続けられそうなので、あわててシルファが割り込んだ。アスランはリヒトからシルファに視線を移し、首を傾げた。
「シルファか。ん、旅装束……? ということは、今日行くのか」
 自分の墓石でもある石にどっかりと腰を下ろし、アスランはそう尋ねた。
「はい」
「……俺のため、ってんなら、無理しなくてもいいんだぞ?」
 うなずくシルファにアスランが重ねて尋ねる。
 シルファは首を横に振った。
「いいえ。もともと巡礼の旅には出る予定でしたし。それに、お父さんを探すって目的もあります。ですからその、えっと……ついで、っていうわけではないんですけど」
 必死に言葉を紡ぐシルファをアスランは手を差し出して制した。
「いや、言いたいことはちゃんと分かるから、大丈夫だ」
「す、すみません。うまく言えなくて……」
 しょぼんと肩を落としたシルファに笑ってアスランは気にするな、と言ってくれた。
「オッサン、ルカさんの容姿教えてくれよ。じゃなきゃ探せないだろ」
 またしてもオッサン呼ばわりしたリヒトをじろりと睨み付けるが、リヒトの言うことももっともだと思ったらしい。アスランは言葉と地面に絵を描くことで説明を始めた。
「……髪はまっすぐな腰までの長さで、そう、だいたい今のシルファくらいの長さだな。色は深みのある赤。目も同じ色。それからこんな感じで、背中に蝶に似た透明な翅が生えてる。……さすがに時間が経ちすぎてて体そのものは見つからないと思うから、消息さえ分かればきっと……それから」
 アスランはいったん言葉を切り、地面に指先を向け何かを呼ぶようなしぐさをした。
 すると土が盛り上がり、穴が開いてそこから小さな袋が現れた。アスランはシルファに手を出すように言い、シルファがそのとおりにすると手のひらの上で袋を逆さにした。
 袋からころりと転がり出てきたのは、シンプルな銀の指輪。袋に入っていたとはいえ長い間土の中にあったせいか、全体的にくすんでしまっている。
「俺たちの、結婚指輪だ。……内側に『ルクレツィアからアスランへ』と彫ってある。ルカはその逆、『アスランからルクレツィアへ』と彫られた指輪を肌身離さず、身につけていた」
 指輪の内側を確認してみると、確かに何か文字のようなものが彫られているのが分かった。
「何だこれ、全然読めねーじゃん」
 同じく指輪を見たリヒトがそういうと、アスランは眉をひそめて「そりゃそうだろう、今では使われていない文字だからな。読めたら逆に驚くわ」と言った。つまり当時使われていた言葉なのだろう。
「ありがとう、アスランさん。がんばります」
「無茶だけはするなよ。お前は真面目過ぎるところがあるからな。とっくの昔に死んでる俺たちのことなんかより、生きてるお前たちの方が大事だ」
 ぽん、とシルファの肩に手を置いて、アスランが言う。心から心配してくれているのだ。
「はい。少し時間はかかってしまうかもしれませんが、無茶しないようがんばります」
「オレもオッサンに教えてもらったこと、忘れずにがんばるよ!」
「……ああ、それでいい。今まで散々待ったんだ、いまさら少し時間がかかるくらい、何でもない」
 ふわりとアスランが微笑を浮かべる。
「……では、アスランさん。私たちそろそろ行きます」
「ああ、気をつけろよ」
「大丈夫だってオッサン、オレがついてるんだからさ!」
 リヒトがぐっとガッツポーズをすると、アスランはハッと鼻で笑い「そうだな、うるさいクソガキがいなくなってせいせいするわ」と言い放ったが、それが本心でないことくらいは二人にも分かる。
「見てろ、ちゃーんとルカさん見つけ出してやっから!」
「ははは、期待しないで待ってるさ」
 ぺこりと頭を下げたシルファとリヒトがきびすを返し、街道への道を戻り始める。

「……エレン。お前もお前の孫たちも、本当に妙で……優しい、やつだな」
 アスランはそうつぶやいて、二人の姿が見えなくなるまでずっと、その姿を見守っていた。
モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) 2015 霞月&雪兎 All rights reserved.
 

-Powered by 小説HTMLの小人さん-