トゥフカ・サーガ〜約束の地〜

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  邂逅  

 いざ教会の扉の前に立つと、心臓が早鐘を打つ。
 ――いつもなら当たり前の事なのに。
 祖母を食卓に呼ぶだけなのに、どうしても旅立ちを意識してしまい、身体が強張ってしまう。
 シルファは胸に手を当て目を閉じると、鼓動を静めようとゆっくりと息を吐く。鼓動が静まったところで瞼をあげると教会の扉に手をかけた。
 ギィ、と鈍い音を立てて扉が開く。その先には、祭壇の前に跪いて祈りを捧げる老女の姿があった。老女は背後の音を耳にすると、ゆっくりと立ち上がり、シルファの方へと振り返る。
「おはよう、シルファ。もう朝御飯の時間かしら?」
 老女はシルファの姿を認めると、ニッコリと微笑みかける。この老女こそ『ばばさま』こと、ティエル村の祭事を取り仕切る最高司祭、エレンだ。
「……おはようございます、ばばさま。ハンナおばさんが、もう準備できているからって」
 シルファはいつもと同じエレンの様子に安堵し、ホッと表情を緩める。
「それなら、いつまでもハンナ達を待たせる訳にはいかないわね。今行くわ」
 エレンはシルファの元へ辿り着くと再び微笑みかける。
「……シルファ、十四歳の誕生日おめでとう」
 それは『ティエル村最高司祭エレン』としてではなく、シルファの祖母、『ばばさま』としての言葉だった。
 シルファは微笑み返す。
「ありがとう。ばばさま」
 そして二人はゆっくりと、家族が待つ場所へ戻っていった。

 食卓は、まだ朝だというのにたくさんのご馳走が並んでいた。大きなテーブルに所狭しと乗っている料理のすべてがシルファの大好物。シルファは伯母の心遣いをとてもうれしく思い、自然と笑顔がこぼれた。
「いやしかし、シルファちゃんももう十四歳か。……なんだか娘を嫁に出すみてぇな気分だ」
「あんた、今からそんなじゃ先が思いやられるったらないよ」
 実に複雑そうな表情でゴードンがつぶやくと、ハンナが笑いながらゴードンの肩を叩いた。
「でも確かにあっという間ね。小さいころは何かとリヒトの後をくっついて歩いて、まるで鴨の親子みたいだったのにねぇ」
 エレンが懐かしむように目を細める。
「お母さん、シルファちゃんがリヒトの後追いするようになったの、『シルファちゃん森で迷子事件』の後からよ」
「まいごじけん?」
 ハンナの言葉に、リヒトと同じ赤い髪に緑の目の少女が目をパチクリとさせた。
「母さん、なあにそれ」
 この少女……リーナはシルファの従妹であり、リヒトの実妹だ。今年で七つになる。
「おや、リーナは知らなかったっけ? リーナが産まれるより昔の話なんだけどさ、リヒトが一緒に遊んでた子どもたち連れて勝手に森の方にまで行っちゃって、シルファちゃんとはぐれたーって真っ青になって帰って来てね。村中大騒ぎになったんだよ」
「うう……あの時は本当にオレが悪かったってば……」
 がくりと頭を下げてリヒトが言うと、あら少しは大人になったんだねぇ、などと返された。
「素直に自分の非を認められるなんて、リヒトも本当に大きくなったわねぇ。私も歳を取るはずだわ。小さいころは「でも、だって」ばかりだったのに。そうそう、リヒトが産まれるときなんて、私もハンナもてっきり女の子が産まれるものだとばかり思っていたから、女の子の用意しかしてなくてねえ」
「ああ、そうだったそうだった。上がお兄ちゃんだったから、今度は絶対女の子だ! って思い込んじゃったんだよね、なぜか」
 うんうん、とハンナがうなずく。
「うちの家系は、女の子が産まれることが圧倒的に多かったからねえ」
 私が実際産んだのも女の子二人だったしね、とエレンが笑った。
 ちなみに『上のお兄ちゃん』はヨハンという名で、今年二十歳になるリヒトの実兄であり、リヒトと同様にシルファをとてもかわいがってくれた人だ。今はゴードンの家業――鍛冶屋を継ぐ為、首都ヴェルクシュタットに住み込みの修行に行っている。
「ああ、そんなこともあったなあ。俺も浮かれて女の子の名前とか、かわいい産着とか山ほど用意したっけ」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。そしたらオレ産まれた時どうしたんだよ。まさか女の子用の産着着せたんじゃないだろうな!」
 がばりと起き上がったリヒトが両親に詰め寄る。目が必死だ。
 だがハンナはきょとんとして、ある意味残酷な事実を言い放った。
「え? そりゃ着せたよ、フリルとレースたっぷりのかわいい産着。だって裸のまんまじゃまずいでしょーに。真夏ならまだともかく、あんたが産まれたの、春のはじめだし。それにはじめて着せる産着がお兄ちゃんのお古っていうのも、なんか……ねえ?」
 ハンナがゴードンの方に顔を向けると、ゴードンもうむ、とうなずいた。
 その隣でエレンがぽん、と手を叩いた。
「そうそう、もう一つ思い出したわ。ゴードンったら泣きながら「我が娘リーナよー、パパですよー」なんて浮かれて産室に入って来て、産婆さんに男の子だって言われてびっくりしたのか、ハンナとリヒトを交互に見てねぇ。しばらく難しい顔して考え込んだと思ったら」
「なっさけない顔で「……リーナ、でいいの?」だもんね! 即ダメ! って突っ込みいれたけどさ」
 エレンとハンナはくすくすと笑う。
「リーナって、あたしと同じ名前だね?」
「そーそー、かわいい名前でしょ? ゴードン父さんと二人で一生懸命考えたんだよ。でもまさか男の子が産まれるとは思わなかったから、名前に困っちゃって。名前が決まるまでリヒトのこと『リーナ(仮)』って呼んでたんだよ。三人目でやっと女の子ができて、母さんうれしかったなー」
「『リヒト(光)』なんてシャレた名前、俺たちじゃ絶対考え付かなかったな! エリックさんに感謝だ」
 ゴードンとハンナは『リーナ』という名前が頭にあったため男の子の名前が思いつかず、エレンと二人の義弟であるシルファの父エリックがいくつか名前を候補に挙げてくれたらしい。その中でエリックが考えた『リヒト』が一番しっくりくると思ったため、そう名づけたのだそうだ。
「し、知らなかった……兄さんにそんな由来が……」
「……名前はともかく、お古でいいから兄ちゃんの産着にしてほしかった……」
 またしてもがくりと肩を落とすリヒト。シルファは別に、たとえ自分が男の子の産着を着せられていたとしてもなんとも思わないが、彼にとってそこはかなり重要なようだ。『男の沽券に関わる』というやつだろうか。いまいちシルファには分からないが。
「フリフリの産着は最初の方だけだってば。別に女の子として育てたわけじゃなし、男がこのくらいのことで落ち込むんじゃないよ!」
「そうだぞ、こまけぇこたぁ気にするだけ無駄ってもんよ」
 わはは、とゴードンが豪快に笑う。
 全員が食事を終えると、ハンナがリーナにあれ持ってきて、と声をかける。うなずいたリーナはぱたぱた、と台所へ行き、しばらくして大きなデザートを乗せた皿を持って戻ってきた。
 どん、とテーブルの真ん中に置かれたデザートは、これまたシルファの大好物。ハンナのお手製アップルパイだ。
「うおっ、ほんと朝から豪勢だな!」
「ちょっとリヒト、ダメ! シルファが先なの!……はいシルファ、デザートよ。あたしも手伝ったの」
 リーナはリヒトが伸ばした手をぴしゃりとたたき(リヒトは小さく痛ぇ、とつぶやいた)、アップルパイを切り分け、シルファに差し出す。
「ありがとう、リーナちゃん」
 礼を言ってシルファは皿を受け取る。
「いいの! ねっねっ、あたし役に立つでしょ? だからさあたしも旅に、」
「だめだっつってんだろ」
 頬を紅潮させてシルファにずずいっと身を乗り出したリーナは、しかし兄リヒトに止められた。
「まだ何にも言ってないじゃん、リヒトのバカ!」
 妹にバカと言われたリヒトは眉をひそめ、何年付き合ってると思ってるんだ、お前の言いたいことなんぞ分かるわ、と言いたげにため息をつく。
「……妹よ。兄に向かってバカとは何事じゃ。そしていっつも何度も言ってるけど兄ちゃんを呼び捨てに、す・ん・な!」
「いひゃいいひゃい!」
 リーナの子どもらしいふっくらした両頬を思いっきりつねり、リヒトは渋面を作ってみせた。兄としての威厳を保ちたいらしい。
「リーナ、リーナ。二人はただお使いに行くんじゃないんだからさ」
 つねられて涙目のリーナのことを、ハンナが笑いをこらえながらなだめに入る。
「ちぇっ、母さんまであたしのこと子ども扱いするんだ……」
 ことさらにリーナが拗ねてみせる。だがどれだけ拗ねようが、泣こうがわめこうが、リーナを旅に連れて行くわけにはいかない。第一幼すぎる。あちこちの町を回る旅芸人の一員でもあるまいし。
 それにリヒトだって今年でやっと十六、ようやく大人の入口に差し掛かるという歳なのだ。基本的には年長であるリヒトがいろいろ表立って行動することになる。シルファに加えてリーナまで面倒を見る、となるとはっきり言ってリヒトの手が回らない。一応リヒトとシルファは体を鍛え武術の訓練をして、無理さえしなければそれなりにやっていけるだろうと太鼓判を押されたが、リーナはそうではないのだ。
 最後まで面倒が見られない、責任が持てないと少しでも思うなら、連れて行かない。これはシルファ森で迷子事件の時、ゴードンの鉄拳と共にリヒトに刻まれた教訓である。リヒトも『うっかり自分が目を離したせいで、シルファが二度と帰ってこなくなるかもしれない』という怖ろしい思いをしたので、その辺りは徹底している。
「ハッハッハ、リーナ! じゃあ父さんとこれから狩りにでも行くかぁ?」
 笑いながらのゴードンの言葉に、リーナはぱっと顔を輝かせた。
「いいの!? やったぁ、父さん大好きー!」
 がばっ、とリーナはゴードンに抱きつく。ゴードンはいいってことよ、と言いながら立ち上がり、リーナと共に部屋から出て行く。ゴードンの仕事は鍛冶だが、燃料である木材などは基本、自分で調達している。森には手ごわい魔物こそいないものの、熊や狼などの獣は出る。つまり熊や狼と渡り合えるほどの武術の心得があるのだ。
 なお、リヒトは幾度も父ゴードンに戦いを挑んでいるが、一度も勝てたためしがない。せめて旅立つ前に一本取りたいと思っていたのだが。
「……我が妹ながら、単純にも程があるな」
 リヒトは呆れて頭を振った。シルファが心配そうに二人が出て行った扉を見つめる。
「リーナちゃん、いくらゴードンおじさんと一緒だっていったって、狩りだなんて。大丈夫なの?」
「ああ、大丈夫大丈夫。いくらゴードンだって愛娘を危険なとこに放り出すなんてことはしないって。お兄ちゃんたちで加減は覚えただろうし」
「オレたちは実験台かっ!」
 笑いながら手をぱたぱた振るハンナにリヒトが噛み付き、エレンが噴き出した。
「ほーらほら、リーナが狩りに行ってる間に出かけちゃった方がいいよ」
「あ、そ、そうだな。じゃあ行こうか、シルファ」
「うん」
 二人は席を立ち、荷物を持って、扉を開ける。
 村の入口まで、エレンとハンナが送ってくれた。
 歩いている途中、村の人たちから次々に「いってらっしゃい、気をつけてね」だの「おみやげ話よろしくねシルファ姉ちゃん!」などと声をかけられ、二人は手を振りながらそれに応える。
 村の入口に着いて、改めてシルファは二人に向き直る。
「じゃあ……ばばさま、ハンナおばさん。いってきます」
「いってらっしゃい。たまには帰ってくるんだよ。ヨハンにもよろしく言っといて」
「慎重に、慎重にね。あまり無理はしないのよ。勇気と無謀は違いますからね。特にリヒト、あなたはカッとなりやすいからね。気をつけなさい」
 エレンとハンナの言葉にうなずきながら、二人は村の外へ出る。
 たった今から、二人は大人たちに守られる存在ではなく、自分で道を切り開く『大人』になるのだ。
 そのことが誇らしく、そしてちょっぴりこそばゆかった。

 そして運命は、静かに回り始めた――
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