帝国年代記〜催涙雨〜

ススム | モクジ
「最後のひとり、本当にどうしようかしら」
 くるり、と彼女は羽ペンを回した。
「そうですねえ、ここまで陛下に近しい人間で構成してますから。さらに陛下に近い人間というと、ちょっと……」
 困ったようにサジタリウスが笑う。
「そうですね、現に今だって寵愛人事だと陰口叩かれてるのは知っています。でも信頼できる人がなかなか……さすがに戦っているときに間違って斬りかかられてもいやですし」
 前例のないことづくめの即位だったためか、彼女は敵が多かった。今でも隙あらば彼女を排しようとする動きも多いのが現実で。
「……腕が立つ以上に、人間性が問題ですよね。そうだリチャード、誰か知らない?」
 ジェシカが黙りこくるリチャードに尋ねる。ものすごく苦い顔をしながら、リチャードは重い口をひらいた。
「一人だけ……心当たりがある」
「へえ、誰? 私も知ってる人?」
 リチャードはうなずき、ある人物の名をあげた。



 このところ、ひどく城内が浮き足立っている。
 原因は、つい先日新しい皇帝が誕生したからだろう、と彼は思う。
「なーなー知ってるか、ジェイスン? なーんか今度の皇帝は、女の子らしーぜ。俺とそう変わらないくらいの歳って聞いたけどー」
 突然かけられた声に、思いっきり考えを中断させられる。
「……そうなのか」
「もー、お前いつもそればっか。少しは興味持てよー」
「皇帝が誰だろうと、興味はないな」
 ジェイスンにとっては皇帝が誰か、などはどうでもいいことだ。自分には関係ない。それは事実だった。
 彼にとって、興味があるのは――ただひとつ。
「まー、でも確かに俺たち傭兵にゃ雲の上の話だ。隊長クラスでもないかぎり、関係ないよなー」
 あっけらかんと笑う仲間に、ジェイスンはおざなりな返事を返す。
 傭兵たちからすれば、金を貰えれば、上の人間が誰であろうと関係はない。いやならやめればいいことだ。今までどおり、ふるまえばいい。

 そのはず、だったのだが。

 彼が控えの部屋で武器の手入れをしていたとき、ふいに空気がざわめいた。
 顔を上げれば、どうも来客のようだ。ドアの手近に居たものが応対している。
 その人間がこちらをむいた。
「ジェイスン! 可愛いお客様のおいでだよ」
 現れた少女に、今度こそ部屋中がざわめく。彼女は一直線にジェイスンへと向かってきた。
「お、おおおおおいジェイスンっ! お前いつの間に幼女趣味に走ったんだぁ!?」
 素っ頓狂な声を間近で聞かされて、ジェイスンは耳を押さえた。
「耳元で叫ぶな。しかも勝手に人を変態扱いするんじゃない」
 心底、迷惑だった。しかしその場にいたのは、残念ながら人をいじるネタを見逃すタチではなかった。
 回りにいた傭兵たちがニヤニヤといやらしい笑いを浮かべ、ジェイスンをつつく。
「おいおいおい、結構可愛い子じゃないか。お前いつの間にあんな上玉と知り合ったんだ?」
「あんな子どもは知らん。……ん、いや……城内で何度か見た顔だな。どっかのお貴族さまの娘じゃないのか」
 少女の格好からして、軍人のそれではない。だとすれば、城に関係する侍女かなにかなのだろう。
「そうだとして……そのお嬢様がなんでお前を?」
「さあ。こっちが知りたい」
「あなたがジェイスンね?」
 喋っているあいだに、少女がここまで来てしまったらしい。
 見やれば、印象的な紫の目の少女がそこにいた。
「そうですが。……人に名を尋ねるときは自分も名乗るものですよ、お嬢さん」
 少女は、大きく黒目がちな目をぱちくりさせた。ひらひらしたドレス(というのかどうかは知らないが)と小柄な容姿もあいまって、余計に可愛らしく見える。
 まるで砂糖菓子みたいな子だ、と場違いな感想を抱いた。……だからといって手を出そうとは思わないが。
「あら、そうだったわね。ごめんなさい。私は、アメジスト」
 素直に修正するところをみると、わざとではなく、単に忘れていただけらしい。
「……いい、お名前ですね」
「どうもありがとう」
「で。一体何の用です?」
 社交辞令をさっさと切り上げて単刀直入に尋ねた、その時。
 またしても入口が騒がしくなった。
「陛下、皇帝陛下! お一人で行かないでくださいとあれほど……!」
 その名詞に、ジェイスンよりも側に居た傭兵たちの方が驚いた。
「げっ、こ、皇帝陛下!? この子が?」
「マジで!? フツーの女の子じゃねーか!」
 騒ぐ傭兵たちの間をくぐりぬけ、一人の長髪の男性が駆けてくる。
「……リチャード。お前か」
 彼なら知っていた。時たま行われる武術大会などで、何度か手合わせをしたことがある。
 リチャードはぎろっとジェイスンを睨みつけた。
「ジェイスンお前、陛下に失礼なことなどしていないだろうな!」
「さあな。なにが失礼にあたるのかなんぞ知らん」
 面倒くさくなって、おざなりな返事を返す。これくらいは構わないだろう、なにしろ現在進行形で迷惑をかけられているのはこっちなのだ。
「もう、リチャードってば邪魔しないでちょうだい! 今から交渉するところだったのに」
「陛下じきじきに行く必要がありません!」
「あら、お願いするのだから、私が直接会うのが筋でしょ?……それで」
 ようやく少女、いや皇帝陛下が話を戻す。
「ジェイスン、あなたに私の直属近衛兵になってほしいの」
 彼女が皇帝だと分かった時点で、なんとなく想像がついていたが。
 なんにせよ、彼の答えはひとつだった。
「……申し訳ありませんが、お断りしましょう」
「貴様、陛下に向かって……!」
「リチャード! あなたは黙ってて、話が進まないわ。ジェイスン、理由を聞かせてもらえるかしら。直属近衛になることは名誉だし、お給料だってすごく上がるわ。悪い話ではないと思うのだけれど?」
 目をそらさず、じっとジェイスンの目を見つめるこの皇帝に、しぶしぶと彼は口を開いた。
「まあ……確かに金があるに越したことはありませんが……別になけりゃないでなんとでもなりますからね」
「どうしても?」
「ええ。……オレじゃなくたって他に優秀な兵士はたくさんいるでしょう」
 ジェイスンの答えに、皇帝は考え込んだ。
「……じゃあ、命令よ」
「……はい?」
 意外な言葉に、思わずマヌケな返答を返してしまう。
 皇帝は腰に手を当てて、高らかに宣言した。
「皇帝の名においてジェイスン、あなたを直属近衛に任命するわ。断ったら……分かるわよね?」
「…………」
 今度はジェイスンが考え込む番だった。
「あなた、この国で探しものかなにかがあるのでしょう? そしてそれは傭兵、もしくは城内に入れるような身分でなければできない。違うかしら?」
「…………」
「いいのよ、私は別に断ってくれても。でも断るなら、まず間違いなく今までどおりではなくなると思ってちょうだい」
「…………。調べたんですか……」
「ある程度の身辺調査は必須よね」
 にっこり、と擬音が聞こえそうな顔で皇帝は笑った。
 負けた。素直にそう思った。直属近衛の名誉なんてどうでもいいが、確かにこの場所にいられなくなるのは大変困る。
 間違いなくジェイスンの読み間違いだった。可愛らしい少女だとばかり思って甘く見てしまっていたらしい。
「……分かりましたよ、引き受けましょう」
 ため息とともに了承すれば、皇帝は本当に嬉しそうに笑った。
「ありがとう、ジェイスン。よろしくお願いするわね」

 かくして、アメジストは傭兵たちから『あのジェイスンに言うことを聞かせた少女』として、別の意味で敬意を払われることになる。

……このときに話題にのぼったジェイスンの幼女趣味疑惑は、彼の絶対零度の視線をあびて消え去ったことだけは記しておく。

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