帝国年代記〜催涙雨〜

ススム | モクジ

序章〜ちいさなお姫様のお話





 それは銘のない、一枚の肖像画。黒髪の少女が描かれたもの。
 よく見れば、それは『慈愛帝』アメジストであることが分かる。
 公式に掲示されている姿とは違い、随分と若々しいことから、少女時代を描いたものなのだろう。
 彼女は、『慈愛帝』の名をあらわすように目を閉じ、アバロンの国花に頬をよせて微笑んでいる。
 ぴんと真横に伸ばした左手には帝国旗。帝国に闇を呼び込んだ『暁闇の姫』とも呼ばれた名前のままに、薄闇色に染められていた。
 彼女は薄紫のドレスを身に纏い、独り凛とそこに立っていた。

……それを見つけたのは、偶然だった。





 戴冠式――

 今日は皇帝として、初めて顔見せをする日。

 ここまでこぎつけるのに、どれだけ苦労したか。やれ若すぎるだの、女に皇帝がつとまるわけがないだの、さんざん言われてきたし、きっとこれからも言われるだろうということは容易に想像がつく。
 だが皇帝に選ばれた以上、やるしかない。やらなければそらみろ、と笑われるだけだ。
「よし、おわり……できましたよ」
 皇帝たる彼女の身支度を整えていたのは、侍女ではなく、儀礼用の鎧を着込んだ女性だった。
「ありがとう、ジェシカ」
 ジェシカと呼ばれた女性は満足げに笑う。
「いいんですよ、アメジスト様は可愛いから飾り甲斐があります」
「ジェシカってば、お世辞言ったってなにもでないから」
 苦笑して、皇帝になる少女はため息をついた。
「お世辞なんかじゃないですよ。私なんてこの硬い髪のせいで伸ばすこともできないんですから……陛下の綺麗な長い髪、うらやましいです」
 そのとき、コツコツとノックの音が聞こえた。
「あら、誰かしら」
「きっとリチャードでしょう。お待ちください」
 ジェシカが扉を開けると、そこにはやはり儀礼用の鎧を着た青年と、正式なローブを着た男が立っていた。
「やっぱりリチャードだったか。あら、サジタリウス殿も」
「陛下の支度はすんだか?」
「ええ。もう入っても大丈夫」
 すすめられるままに二人は入室し、飾り立てられた皇帝を見て感嘆の声をあげる。
「どう? 可愛いでしょ?」
 誇らしげにジェシカが皇帝の肩に手を置いた。
「さすがジェシカ、素晴らしいですね。これならばだれからも文句は出ないでしょう」
「やはり元がいいから……」
「もう! そんなこと言うためにきたんじゃないでしょう!」
 アメジストはすっくと立ち上がった。
「形はどうあれ、私は皇帝になったわ。皇帝になったからには……」
「七英雄を倒さなければいけない。それが契約」
 サジタリウスが歌うように言葉を紡ぎ、ジェシカは後ろからぎゅうっとアメジストを抱きしめた。
「ちょ、ちょっとジェシカ……苦しいわ」
「大丈夫ですよ、アメジスト様。私がついてるじゃないですか」
「…………」
「私もですよ、陛下。どんなときでもお助けします。ですから安心してください」
 二人の幼馴染の言葉に、アメジストはやや顔を曇らせる。
「ジェシカ、リチャード……本当にいいの? 死ぬかもしれないわ」
「そんなに簡単に死ぬつもりはありません。だから『残れ』なんて言わないでください。……なにもできないまま、待つのはもういやです」
 少しだけ愁いをおびたジェシカの言葉に、アメジストは唇を噛んだ。あれは国の決定であったから仕方がなかったこととはいえ、結果的に『待たせた』事には変わりない。

 いつ戻るともしれない大切なひとを待ち続けるということは、どれだけ辛いことか。

「陛下、私たちを直属近衛に任命してください。お願いいたします」
「どうか私たちに、アメジスト様のもとで戦うことをお許しください」
 皇帝はジェシカの腕に手を置いた。
「……ありがとう、二人とも……」
「これで、あと一人ですね」
 いままでずっと見守っていたサジタリウスがアメジストに笑顔を見せる。
「サジ様……あと一人って」
 サジタリウスの言葉に引っかかりを覚え、アメジストは不安げな顔で聞き返す。
「おやおや、いけませんよ皇帝がそんな顔をしては」
「わ、分かりました」
 とっさに顔を手のひらで隠して……すぐに手を外した。
「……話をそらさないでください。サジ様はだめです、お連れできません」
「なんとつれないことを。私とあなたの仲ではないですか」
「ちょっ……サジタリウス殿、その発言は……」
 いろいろ誤解を呼びそうな発言にリチャードは慌てた。
「何を慌ててるのよ。ただ同じ先生に師事しただけじゃない」
「しかしだな、あらぬ誤解を受けそうなことは控えたほうが……」
「そんなこといったらあんただってそうじゃないの。だいたい、そういう関係だって勘ぐるほうがおかしいのよ」
 そんな二人のやりとりに、当の本人たちはどこ吹く風。
「なぜ幼馴染はよくて、兄弟子ではだめなのですか? 私が弓も扱えるのはご存知でしょう?」
「確かに弓兵にも劣らない腕前なのは存じております。ですがサジ様、ご結婚されたばかりではないですか! 奥様が悲しみますよ」
「その奥様が行って来いと言ったもので……」
 あくまでにこやかに言うサジタリウスに、アメジストは絶句した。
「私が行かない、となれば妻が行くと言い出すでしょうね。妻はあなたが大好きですし。ですが妻は私と違って、戦闘訓練を受けた経験はありませんし……」
 つらつらと並べ立てられることがら。
 そして何より怖ろしいのは、彼女が何をやらかしても間違いなくそれを実行するだろう、という奇妙な確信があるということ。
「…………、……。わ、分かりました……サジ様、よろしくお願いします」
「頑張ります」
 サジタリウスは胸に手を当て、頭を下げた。


 たくさんの打算的な思惑が飛び交う中。王冠を頭上に戴き、玉座に君臨するちいさな姫は凛として美しく。


 その姿は少女とは思えないほど、威厳に満ちていた。




 戴冠式で警備が足りず、城外の警備に駆り出された傭兵たちは不満たらたらで仕事をしていた。
 当たり前だ、中では戴冠式という宴が繰り広げられ、美味い酒や料理がたくさんあるはずなのだ。仕事だから仕方がないが、できれば相伴に与りたいというのが本音だ。
 酒にも料理にも、そして仲間の会話にも特に興味を示さなかった彼は、ふと空を見あげる。
……今宵は新月。
「……さて、新しい主をたてたバレンヌ帝国は……新しい道に進むか、それとも……?」
 瞬く星を見ても、養父と違い星を視る能力はない彼にはわからない。
 例え、なにかしら視えたとしてもそれが全てではないから、どうでもいいとも思う。だが空を見るのは好きだからつい、空を見あげてしまう。
「おーい、そろそろ見回りに行くぞ。空を見るのはその後でもいいだろ、空は逃げやしない」
 仲間の一人が、空を見あげる彼に声をかける。
「……今、行く」
 腰に佩いた剣を確かめて、彼は歩き出す。

 帝国暦1181年、アメジスト・E・ブルースター=バレンヌ即位。

 その功績から『慈愛帝』とも『暁闇の姫』とも呼ばれる、バレンヌ史上初、そして最も年若い女皇帝の誕生であった。
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