帝国年代記〜催涙雨〜

ススム | モクジ

  砂漠の国の占い姫  

 ――これ、どうしたらいいのかしら。
 アメジストはふう、とため息をついた。
 目の前の執務机には、一通の手紙がある。ほんのりと花の香りがするその手紙は、ここバレンヌからは海を越え、カンバーランドのある大陸をかなり南下しないとたどり着けない風と砂漠の都市、テレルテバからはるばる旅をして届いたものだ。
 現時点で、バレンヌとテレルテバに正式な直接の国交はない。その手紙は領主の直筆ではなくその奥方の手によるものだったが、その理由は領主が不在であるからということらしい。封を開けた瞬間、花のにおいが香ったことから偽物ではなく本物なのだろうが――手紙に香水を振り掛けるのはある程度身分の高い女性がすることだ――、国交のない国の人間にわざわざ来てほしい、と言ってくる意味がわからない。しかも『来てほしい』と要望の形をとっているにもかかわらず、アメジストが来ることを確信しているような書き方だ。
 ――モンスター退治といっても。わざわざバレンヌに要請しなくたって、近くに友好を結んでいる独立都市があるのに。どうしてかしら。
 アメジストがいぶかしむも当然だ。テレルテバとバレンヌまでは、軽く見積もっても一週間はかかる。そんな遠くの国から援助を頼むよりも、同じく独立した都市であるサバンナや森の都エイルネップに依頼したほうが早いし、友好を結んでいるのだから確実だ。
 しかしどちらにせよ、バレンヌ皇帝宛にテレルテバ領主代理から手紙を貰った以上、バレンヌ皇帝として返事をせねばならない。
 アメジストは羽ペンを取り、返事を書き始めた。

「……また勝手にお一人でお決めになって。いいですか、陛下。あなた様はここバレンヌの皇帝なのですよ。なぜ国交もない砂漠の都市に行く必要があるのです」
 眉をひそめ、おそらく怒りを抑え過ぎて感情という感情が消えた声で向かいに座っていたルイがアメジストをにらむ。
「領主代理からとはいえ、『来てほしい』という正式な要請があったのだから、行かなくてはならないわ」
 ここのところ執務が立て込んでいて気分転換したいし、砂漠の国だなんて本の中のお話でしか知らないから見てみたい……なんてことは口が裂けても言えない。ふざけるなと一刀両断されるのが目に見えている。
「だからといってあなた様直々に行かれる必要はありません。もし罠だったとしたらどうするおつもりですか」
 アメジストもがんばってテレルテバ遠征の正当性を主張するが、さすがに『来てほしいという手紙が来たから』ではルイに対しての説得材料としては弱すぎた。話にならない、と言いたげにルイは机を指でとんとんと叩く。
 ――その癖は同じなのね。と言うか、この人からその癖が移ったのかしら?
「……私の話をきちんと聞いていらっしゃいますか、陛下」
 変なところで感心していると、またルイににらまれた。アメジストはあわてて居住まいを正す。
「ごめんなさい、きちんと聞いているわ。……でもね、もう行くって返事を出してしまったもの。一度約束したものを簡単に反故にすることはできないわ。バレンヌは約束を守らない国だ――なんて言われてしまっても困るでしょう? だからちゃんと、私が行くわ」
 実は砂漠を見てみたいという心情だけではなく、なんとなくルイではだめで自分が行かなくてはならない、とアメジストは感じているのだが、それはあくまでアメジストの感覚であって、ルイを説得する材料にはならない。なんとなく自分が行かなきゃいけないと思うので行きたいです――では、子どもの戯言だ。言った瞬間に火に油を注ぐようなものだ。最悪実力行使されて、執務室に軟禁される。そんなことはまっぴらごめんである。
「あなた様は砂漠をご存じないからそんなことが言えるのです。砂漠はある意味、死の大地です。きちんと訓練を受けた兵士ですらばたばたと倒れるのが日常なのですよ。失礼ながら、あなた様のようなひ弱な体ではわざわざ死にに行こうとしているとしか思えません」
 確かにルイの言うことにも一理ある。ルイは昔……アメジストが皇帝になる前、厳密に言うとアメジストがカンバーランドに滞在していた間、見聞を広げるためと称して身分を隠し、あちこち世界を回っている。その中に砂漠の都市テレルテバもあったはずだ。つまり実体験として砂漠を知っているということだ。
「別にそのまま砂漠に行こうというわけではないわ。テレルテバへ行くだけのことだもの、大丈夫よ。テレルテバは都市としてそれなりの大きさなのでしょう? であれば人口を維持するための水脈も複数あるはずだし、乾いて死ぬことはないと思うの。手紙の内容では、水脈が枯れているわけでもないようだし」
 そもそも水脈が枯れてしまったことが問題ならば、いくら嘆願書を出されてもアメジストにできることなどほぼない。せいぜいテレルテバを離れた民たちを受け入れることくらいだ。自然の大いなる力の前では、人間は無力なのだ。
「あなた様にはモーベルムやカンバーランドの一件もありますからね。信用できません。あなた様が捕まった、などと心がつぶれるような思いも、もうたくさんですからね。……どうしてもとおっしゃるならば、私が名代として行きましょう。それならば何の問題もないはずです」
 なんとかルイを納得させようとするが、ルイは一歩も引かなかった。
「手紙は私宛にきたものよ。そして私が行きますと返事を書いた。それなのにあなたが行ったら先方に不信感を与えてしまうわ。それとも私のふりをして女装でもする?」
「そんなことをしたら後でばれたときのほうが大変です。ふざけたことをおっしゃらないでください。単に委任状を書けばすむことでしょうが」
 する気があるのか、ほんの冗談だったのに――と若干衝撃を受けつつルイを見ると、口にしない言葉を感じ取ったのかこめかみに青筋を立てたルイから「言っておきますが、皇帝命令と言われてもやりませんからね」と断固とした口調でお断りの言葉が入った。まあ当然のことだろう。そもそもルイとアメジストでは身長も何もかもが違いすぎる。土台無理な話なのだ。
 話は少しそれたが、頑としてテレルテバ行きを譲らないルイにアメジストは閉口した。こうも頑固なのは『始まりの皇子』ジェラール譲りか――自分も彼の人の血を少しは引いているので偉そうなことは言えないのだが。
 かくなるうえは――あまり使いたくはなかったのだが、こうなっては仕方がない。
「だめ。皇帝命令よ。テレルテバには私が行きます」
「…………しかし!」
 とうとうルイはどん、と机を手のひらで叩き付けた。
 アメジストはルイの目を見て、ゆっくりと、同じ言葉を続けた。
「皇帝命令、と私は言ったわ。これがどういうことか、あなたなら分かるわね、大公」
 ルイが一瞬、つらそうに目を閉じた。
 皇帝命令はその名のとおり、皇帝の命令だ。それが発令されれば、その命令が法に触れるものであったり、人道にもとる行為などでない限り、従わなければならない。はっきり言えばただの、しかも究極の『わがまま』でもあるので、アメジストはなるべく使いたくなかったのだ。
「……御意」
「分かってくれてうれしいわ、ルイ大公」
 にっこりと微笑んだアメジストに、「あなた様は言い出したら聞きませんからね」としっかり皮肉は忘れない。
「その代わり、今回の遠征の準備は私に一任させてもらいます。砂漠を知らないあなた様ではしっかりとした準備ができるとは思えませんし、リチャードやサジタリウスも砂漠の経験はなかったはずです。さすがにゲオルグ王子やあの傭兵までは知りませんが……」
 これはルイにとっての最大限の譲歩だ。さすがに皇帝命令という『わがまま』を通してしまっている以上、ここで嫌だとは言えない。
「分かりました。ではあなたの言葉に甘えて一任します」
「しかと承りました。……では早速準備を始めますゆえ、御前失礼を……」
 ルイは立ち上がって一礼し、執務室を出て行った。
 足音が遠ざかる音を聞き、なんとかテレルテバ遠征はできそうだ、とようやくほっとしてアメジストはがくりと執務机に突っ伏す。がすぐに気を取り直してにんまりする。
 ――砂漠の国。いったいどんな国なのかしら。本のとおり、本当に砂しかないのかしら? そんな環境で人々はどうやって暮らしているのかしら。建物はどんな感じなのかしら?
 今日の執務はまだ終わっていない。終わってはいなかったのだが、アメジストの心はもう、はるか遠いテレルテバの地へと旅立っていたのだった。
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