帝国年代記〜催涙雨〜

モドル | モクジ

  color me blood red  

 泣きはらし、真っ赤になった目をぬぐう。
 これは、明日腫れるかもしれない。これではジェシカに見つかったら心配させてしまう。なんといってごまかそうか。
「どうぞ」
 ジェイスンの声に顔をあげると、冷たく絞った手ぬぐいを差し出された。これで冷やせということだろう。
 素直に手ぬぐいを受け取り、目に当てる。
「……恥ずかしいところ、見せちゃったわ」
「たまにはいいんじゃないですか。あなたは、背負い込みすぎなんですよ」
 ふわりと、ジェイスンが笑う気配がした。
 やがて、かちゃかちゃと音が聞こえてくる。おそらく、出した道具を片付けているのだろう。
 なぜか心地よく感じるその音を聞きながら、アメジストは手ぬぐいで丁寧に顔をぬぐった。これでいくらかはましになるはずだ。
「さて、と。部屋までお送りしますよ、陛下」
「あら。じゃあ、お願いしようかしら?」
 くすくすと笑いながら、ジェイスンの差し出した手をとるアメジスト。
 そのままふたりは手をつないだまま、アメジストの部屋の前へと歩いていく。
「おやすみなさいませ、陛下。よい、夢を」
 滑稽なほどにうやうやしく部屋の扉を開け、ジェイスンが一礼する。
「おやすみなさい、ジェイスン。あなたも、よい夢を」
 ぱたんと扉が閉じる。遠くなる足音を聞きながら、アメジストはマントを脱ぎ捨てた。
 さっぱりとした気分だった。きっと今日はもう、あの夢を見ずに眠れるだろう。

 翌朝、身支度を整え、甲板に出ると、エンリケと皆がいた。
 もうすぐ、カンバーランドへ着くらしい。
 そうすれば、嫌でもゲオルグ王子と会うことになる。
 会いたい。いや、会いたくない。
 どちらが本当の心なのか――アメジストにはよく分からなかった。
 ふとジェイスンを見ると、ジェイスンもこちらを見ていたらしく、ばっちりと目が合った。
 とたんに、昨夜の出来事が思い出される。
「あの、ジェイスン……昨日の、ことだけれど」
 そこまで言葉をつむいだところで、ジェイスンの人差し指がそっとアメジストの唇にふれる。
「何のことです?」
 微笑をたたえながら、ジェイスンはもう片方の人差し指を自分の唇の前にたてた。
 内緒。そういうことだ。
「……ありがとう。ジェイスン」
「だから、何のことです? オレにはさっぱり、分かりませんね」
 海風に、簪がしゃらしゃらと鳴る。
「おー嬢ちゃん。カンバーランドが見えてきたぜえ」
 エンリケの声に、甲板から身を乗り出して向こうを見る。
 そこにひろがるのは、美しい緑の大地。聖王国、カンバーランド。

 船を着けた港へ降り立つと、とたんに兵士たちが駆け寄ってきた。
「アメジスト皇帝陛下ご一行であらせられますか?」
 カンバーランド式の礼をし、おそらく一番位の高い兵士が声をかけてくる。
「そうです。お出迎えご苦労様です。私たちを、王城までご案内いただけますか?」
「はっ。こちらにございます」
 よく訓練された動きで、兵士たちはアメジストたちの前へ立ち、王城までの道を歩き出す。
「大変申し訳ございませんが、武器の類は一時、こちらでお預かりさせていただきます」
 王城の前で、兵士が手を差し出す。
 王と謁見するというのだ。帯剣したままでは具合が悪い。
 全員が武器を兵士に預けると、兵士は一礼し、どうぞと開かれた王城の扉を手のひらで示した。

「これは、姫!」
 謁見の間へ入ると、品のよい白ひげを蓄えた老人が声を上げた。そばには、アメジストよりも少しだけ年若い少年が控えている。
「ハロルド王。お久しぶりでございます」
 アメジストが深く頭を下げ、礼をすると、ハロルド王は楽に、と声をかける。
「何年振りであるかな? 姫も大変美しくなられて……いやいや、そうではないな。姫の従者方、お初にお目にかかる。カンバーランド王、ハロルドと申す。こちらは、末子のトーマ」
 ハロルド王に促され、もじもじと少年が頭を下げる。
「おひさしぶりでございます、……皇帝陛下。え、と、皆様方には、お初にお目にかかります。カンバーランド王ハロルドが子、トーマ・リュシエルと申します。以後、よしなに……」
 恥ずかしがりやなのだろう、トーマと名乗った少年は顔を真っ赤にして父であるハロルド王に退出の礼をし、謁見の間を出て行った。
「ハロルド王……このたびは、いったいどのようなご用件で?」
 アメジストの言葉に、ハロルド王は深くうなずいた。
「現在、わが長男ゲオルグには南のネラック城を、長女ソフィアには東のフォーファーを任せております。……手数をかけ申し訳ないが、彼らに一度、会ってきていただきたいのです」
「お二人に……?」
「姫にとっては、大変心苦しいということは分かっておりまする。あつかましい願いだとも存じておりまする。ですが、姫にしか頼めぬことなのです」
 そういって、ハロルド王は深々と頭を下げた。
「ハロルド王! そうやすやすと頭を下げられては――」
「いいのだ、サイフリート。こちらが無理な願いをしておるのだ。当然であろう?」
「しかし……」
「お顔をあげてください、ハロルド王。……分かりましたわ、お会いいたします」
「ありがとうございます、姫……」
 もう一度、ハロルド王は深く頭を下げる。
「……お部屋を用意してございます。今宵はここに、お泊りください」
 サイフリートが謁見の間の扉を開ける。
 そして謁見は、終わりを告げた。
モドル | モクジ

-Powered by 小説HTMLの小人さん-