帝国年代記〜催涙雨〜

モクジ

  追憶の旋律  

 アメジストは久しく触れていなかったそれに手を伸ばした。
 それは一抱えほどある人形だ。ソーモンに住む天才発明家ヒラガ博士が母、焔姫に贈ったその人形は、母と同じ赤みがかった金髪に、すみれの花にも似た紫色の蛍石でできた目がはめ込まれている。まぶたを閉じることはできないが、関節には球体がはめこまれ、座らせることも自立させることもできる。髪や衣装を変えることも可能だ。また背中の部分にはねじが取り付けてあり、それを巻けば中に取り付けてあるオルゴールが歌う仕掛けになっている。
 きりきり、とアメジストの手がゆっくりとねじを巻く。
 やがて歌い出したその人形は、だが途中でその声を止めた。
「……あら……」
 そうか。もうそろそろ調整に出す時期か。
 今では母の形見となったその人形を抱き、丁寧に箱に詰める。
 そしてアメジストはとある人物の部屋へと向かった。


「ったくなんなんですか、いったい」
 目の前のジェイスンは大儀そうにため息をついた。大事そうに箱を抱えたアメジストは首を傾げる。
「だって、一人で行くわけにはいかないもの」
「そりゃ分かりますが……だからなんでオレなんです。リチャードや……それこそゲオルグ王子に頼めばいいじゃないですか」
「う」
 アメジストの表情がびしりと固まった。だがすぐに気を取り直して、怒涛の勢いで話し始める。
「リチャードは今、結婚の準備で忙しいもの。ゲオルグ王子は……あ、ほら、ホーリーオーダーを帝国軍に組み込むから、その関係で忙しいのよ、うん。だから手が空いているのは、あなただけなの。ね、お願い」
「サジタリウスは」
「サジ様は術の研究中。今は仕上げの段階のはずだから、私用で邪魔したらいくら私でも怒られてしまうわ」
 自分で言っておいて思わずぞっとする。昔、ほんとうに昔のことだ――いたずらをしたアメジストとライブラに、いつもの笑顔で困ったものですねぇ、と言いながらサジタリウスがした「お仕置き」を思い出して。
 ああ、あの時は確か二人して木に逆さ吊りにされたのだったか。二人が大泣きして謝っても許しを請うてもサジタリウスは笑顔のまま。本当に反省するまで吊るされていたのだ。あれは本気で死を覚悟してしまうほど恐怖だった。
 幼いときでさえ実力行使を厭わなかったのだ、今であればどのような罰を与えられるか。本気でアメジストの背に悪寒が走る。
「……だったらクロウにでも頼めばいいでしょうに」
 ぐっと声を落としたジェイスンの声にはっと我に返った。
「……ジェイスン、私と一緒にいるのは嫌なの? それとも、かわいい女の子とデートする予定があるとか?」
「…………。いや、暇ですけども。それに、嫌とかそういう問題じゃありません」
 最初の沈黙にどのような意味がこめられていたのか、少し知りたいと思ったがまあ、そこにこだわっていたら目的を果たせない。
「じゃあ、いいじゃない。一日くらい、私に付き合ってちょうだい」
 じっと目を見つめてみると、とうとうジェイスンは降参したように頭を振った。
 よし、勝った。



 ソーモンのヒラガ博士の屋敷にたどり着くと、使用人がさっそく駆け寄ってきた。
「皇帝陛下、いらっしゃいませ」
「ヒラガ博士はいらっしゃるかしら」
「はい。ご案内いたします」
「ありがとう」
 彼はアメジストがどういった用で来たのか分かっている。屋敷の中、研究室の扉を開けてヒラガ博士を呼んでくれた。
「んんっ? おお、これはアメジスト様ではないですか。……ああ、もうそろそろでしたね」
 振り返ったヒラガ博士はアメジストを見て立ち上がる。
「ええ。いつも悪いけれど、よろしくお願いね」
 アメジストが抱えていた箱を渡すと、博士はうなずいた。
「はい、お任せください。……アメジスト様とご一緒の方に、茶の用意をしてやってくれ」
「はい、博士」
 使用人に今度は応接間に通され、二人は椅子に腰掛ける。
「……陛下。あれはいったい何なんですか? かなり大事そうにしていましたが」
「ええ。母様の……母の、形見になったものよ。オルゴールが内蔵された、球体関節人形なの。――昔、不注意で落としてしまってね。定期的に調整しないと、オルゴールが止まってしまうの」
 アメジストの答えに、ジェイスンは唇に親指の腹を当てた。
「人形の構造がどうなってんのかは知りませんが……単にオルゴールを取り替えればいいんじゃないですか。同じ曲のオルゴールを作ってもらえば、調整の必要もなくなると思いますけど」
 使用人が持ってきた茶に口をつけながら、ジェイスンが疑問を投げかける。
「そうね。そうした方がいいとは分かっているのだけれど……大事な、ものなの。同じ曲でも、あのオルゴールでなくちゃ、意味がないのよ」
「……なぜか、聞いても?」
 なぜか神妙なジェイスンにおかしくなって、アメジストはくすくすと笑った。
「かまわないわよ。そうね、あれは何年前だったかしら――」



 ぺたぺたと小さな手が棚の上をさまよう。精一杯に伸ばされたその手は二つ。
「うーん、とどかないよう」
「んんん、もうちょっとなんだけど……あっ」
 一つの手がそれを掠めた。子どもたちは背伸びをして、今まで以上に精一杯、腕を伸ばす。
 精一杯伸ばされた手が、それをつかんだ。
「やったあ、とどいた!」
 黒髪に深い紫色の目。そっくりな背格好をした二人の子どもが喜んだ瞬間。背伸びに耐え切れなくなった体がバランスを崩した。
「わ、わわ!」
「きゃんっ!」
 二人のそっくりな子どもたちはもつれ合って転がる。
「いたたたた……ご、ごめんねエオス、だいじょうぶ?」
「うん、わたしはだいじょうぶ。アストは?」
「わたしもへいき……ああっ!」
 子どもの片割れが悲鳴を上げた。
「おにんぎょうが……!」
 子どもたちはあわてて床に落ちた人形を拾い上げる。見た目には目立った損傷はない。ただ髪の毛が外れてしまったので、元のとおりに付け直す。
 次に背中にあるねじを巻こうとすると、巻けない。落とした衝撃で壊れてしまったようだ。
「ど、どうしよう……かあさまの、だいじ、なのに」
 みるみるうちに二人の目に涙が浮かぶ。とにかく何とかしなくては、母に叱られてしまう。
 けれど子どもたちにはどうしようもなく、ただおろおろするだけだった。そのまま泣いてしまいそうになったとき、
「……こんなところで何をしているんだ、二人とも」
「おうじさま!」
 掛けられた声にひゃーっとひっくり返った声を上げて振り返った二人は、金の髪に青い目の、その少年に抱きついた。
「おおっと……まったく。危ないものもあるから、大人と一緒でなければここに入ってはいけないと、以前私は言ったはずだよ? ライブラもアメジストも、どうしてここにいるんだ」
「ごめんなさい、おうじさま……」
「アストをしからないで、おうじさま。わたしがいけないの。かあさまがいなくて、ないたから……」
 二人の子ども――双子のライブラとアメジストの母、焔姫は今、所要で王都にいない。帰ってくるのは数日後の予定だ。
「なるほど。それでその人形、か」
 双子たちは未だ幼い。母が恋しくなり、母によく似た人形にその身代わりを求めたのだ。金髪の皇子……ルイは双子の頭をそれぞれなでた。
「うん。でも……」
「でも? どうしたんだ?」
「あのね、おにんぎょう……おとしちゃったの……」
 しょんぼりと双子の片割れがつぶやく。
「ねじがね、まけなくなっちゃったの」
「ねじが? どれ、貸してごらん」
 ルイが人形を受け取り、背中のねじを巻く。だが彼の手でも、ねじは巻けなかった。
「落とした衝撃で、何かが引っかかっているのかな?……ああ、心配しなくて大丈夫。今、ちょうどこの人形を作ったヒラガ博士がいらしているから、彼に聞いてみよう」
「かあさまにないしょで、なおる?」
「かあさまに、しかられない?」
 大きな目に涙を浮かべて、双子たちはルイを見つめる。ルイは苦笑した。
「……そうだね、内緒にしよう。じゃあ、ヒラガ博士のところに一緒に行こうか」
「うん!」
 うれしそうな声をあげて、双子たちはルイの後をついていった。



「――結局、ヒラガ博士は手が空かなくてね。わざわざルイ大公が、博士に修理の方法を聞いて人形を直してくれたの。彼は一生懸命直してくれたんだけど、やっぱり素人だから完全には直せなくて、定期的な調整が必要になっちゃったわけ」
「今のあの人からは、想像もできませんね」
 率直なその言葉に、アメジストは笑った。少し寂しげに。
「ふふ、そうね。ジェイスンは今の彼しか知らないものね。でも彼は本当に、優しかったのよ。……オルゴールを入れ替えないのは、きっとただの感傷ね。優しいあの人を思い出すための……」
 けれどもう、二人の道は交わることはないのだ。
「私は皇帝なのにね。こんなにも、弱い。笑っていいのよ、ジェイスン」
「笑いませんよ」
「そう? 無理してない?」
「陛下にはその思い出が必要ってことでしょう。それを笑ったりなんかしません」
 ジェイスンのその言葉は、すとんとアメジストの心に染み入った。
 なんだ。優しい彼の思い出を無理に忘れなくても、かまわないのか。
「……ありがとう。ジェイスン」
「……なんで礼を言われるのかよくわかりませんが、どういたしまして、と言うべきですかね」
 がりがりと後頭部を掻きながら、ジェイスンは軽く息をついた。
 そこにノックの音がして、ヒラガ博士が入ってきた。
「アメジスト様、お待たせいたしました。調整が完了しましたよ」
「ありがとう、博士。後日いつものものを持ってこさせるよう、手配するわ」
「恐縮です」
 人形の入った箱をアメジストに渡し、ヒラガは頭を下げる。
「じゃあ、私たちはこれで失礼するわね。……ごめんなさいねジェイスン、時間をもらってしまって」
「いいえ。思いがけずいい暇つぶしになりましたからね」
 立ち上がったアメジストに倣って、ジェイスンも立ち上がる。
「アメジスト様、くれぐれもお気をつけください」
「ええ。また調整が必要になったら、お願いね」
「はい。この天才発明家、ヒラガにお任せください」
 茶目っ気たっぷりに片目をつぶって見せるヒラガに、アメジストは声を上げて笑ってしまった。


 明かりを落とした宮殿の寝室に戻ったアメジストは、そっと人形を寝台の脇に置き、寝台の上に寝転がった。
 きりきり、とねじを巻くと、母の人形は歌い出した。
「……母様。今日ね、とてもうれしいことがあったのよ。……今のままの私でいいって、認めてくれたひとがいたの。リチャードやジェシカやサジ様じゃなくってね。私が皇帝になってから、知り合ったひと」
 歌う人形に、アメジストは語りかける。
「だから私、もう少しこのままで、がんばってみようと思います。母様も、見守っていてくださいね……」
 人形は歌い続ける。まるで励ましてくれているかのように、アメジストには感じられた。
 やがて曲はゆっくりになっていき、とまる。
 それと同時に、アメジストから安らかな寝息が聞こえてきた。


 後日、「アメジストと二人きりで出かけた」という事実がゲオルグ王子にばれ、ジェイスンに対して彼の雷が落ちたということは言うまでもない。
モクジ

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