帝国年代記〜催涙雨〜

モクジ

  きらきら しゃらら  

 武装商戦団を従え、モーベルムへ戻ると、そこは人でいっぱいだった。
「わ、なんでしょう、この人出」
「まるでお祭りみたいね」
「どうやら、市が立っているようですね」
 辺りを観察していたリチャードがつぶやく。ものめずらしげに人の波を眺めていると――なにせ、アバロンでは祭りでもなければこんな に人がひとところに集まることなどないのだ――ジェイスンが、急にアメジストの腕を引いた。たたらを踏んで、ジェイスンの胸に後頭部 がぶつかる。
「あ、すみません。ですが、陛下はちいさいから、流されてはぐれるとコトだと思いまして」
「…………そう」
 ものすごく文句を言いたかったが、だからといって手を離したらそのとおりになりそうな気がして、面白くない。
 アメジストはつかの間考え、ならばとジェイスンの腕を胸に抱え込んだ。
「ちょ、なんですか」
 わずかでもジェイスンを動揺させたようで、少し気分が晴れた。
「あら、だってあなたが『はぐれるとコトだ』って言ったのよ? だからはぐれないようにしたのだけれど?」
「だからと言って……ああ、もう分かりましたから、抱え込むのはやめてくれませんか。動きにくいです」
 本気で動きにくそうだったので、しかたなく腕を離し、手首をつかむ。ジェイスンはため息をつきながらなにごとかぶつぶつとつぶやい たが、アメジストには聞き取れなかった。
「陛下! こっちにかわいいアクセサリーがいっぱいありますよ!」
 少し向こうにリチャードを引っ張っていったジェシカが歓声をあげる。
「本当?」
「あああ、だから一人で動かないでくださいって……」
 ジェイスンはジェシカのほうへ行こうとしたアメジストを人の波からかばいながら、なんとか目当ての場所へたどり着いた。


<アメジストの場合>

 アメジストが露店に並んでいた品物を眺めていると、ふとひとつのピアスが目に留まった。
「ねえ、ジェイスン。ピアスって痛い?」
 そばに控えていたジェイスンに話しかけると、ジェイスンは親指の腹をくちびるに当てた。
「……人による、としか言いようがありませんね。ひどいと数日間、痛むらしいですけど」
「あなたはどうだったの?」
「オレのときは、大して痛みはありませんでしたけど。むしろピアスは後始末が大変だと思いますよ」
 耳に穴をあけるということは、つまり傷をつけるということだから、きちんと消毒しなければならず、また、穴がふさがらないようにしなければならない。それに、やはりイヤリングよりも異常が出やすいのだという。
 ピアスに心は惹かれたが、もし数日間鈍痛に耐えながら執務をするとなったら――ちょっとぞっとしない。
 アメジストはピアスをあきらめ、ほかには何があるだろうと視線をめぐらせた。
 ピアスの隣に、なにやら奇妙な形のものがあった。
 一本の棒の先に、飾りがついたもの。櫛状のものに飾りがついたもの。棒が一本ではなく、二本のものもあった。
「それは、簪というんですよ」
 たくさんある奇妙な飾りつきの棒のうち、ひときわ目を引いた、先端に紫色の石がはめられ、そこからつながれた細い鎖の先に同色の涙 型の飾りの石が二個がついた棒を手に取ると、露店主がそう話しかけてきた。
「かんざし?」
「はい。東方の国で使われている、髪飾りの一種です」
「髪飾りなの? どうやって使うのかしら」
「実際にお見せしたほうが早いでしょう。……おーい、ちょっと」
 露店主が声をかけると、元気な応えがあり、少女がこちらへ駆けてきた。
 少女は髪をくるりとお団子にし、そこに『かんざし』をつけていた。
「なあに、お父さん。おきゃくさま?」
「ああ。ちょっと外すよ」
 かんざしを外すと、意外に思うほどの長さの髪が背中に流れた。
「髪をこう、ねじって……」
 露店主はあっというまに少女の髪をもとのお団子に戻して見せた。
「最初は難しく感じられるかもしれませんが、慣れればリボンや紐でくくるより楽ですよ。それにこの石の色なら、さぞお客様の黒髪に映 えると思います。そのサークレットとも喧嘩しないでしょうし」
「この飾りは、何の石を使っているの?」
「アメジストよ、おねえさん」
 少女がにっこり笑いながらアメジストの問いに答える。……アメジスト、という答えにどきりとした。
 アメジストは、もともと石を集めるのが好きだった。だからこそ、直属近衛の証に使った。
 けれど、アメジストだけは――アメジストとシトリンが交じり合った、アメトリンという石は母から贈られていたが――持っていなかっ た。自分の名前を冠したものを持つのにためらいがあった、という理由で。
「おやじ、これをくれ」
「ありがとうございます」
「え? やだ、ちょっと勝手に決めないでちょうだい!」
 一人考え込んでいるすきに、ジェイスンが簪の金を払ってしまっていた。あわててアメジストが止めに入ろうとしたが、ジェイスンは逆にアメジストの手をとり、その手のひらに簪を載せた。
「いいですよ。ここの払いはオレが持ちます。……オレも、陛下に似合うと思いますから」
 手のひらの上の簪が、しゃらりと鳴る。
「……あ……り、がとう……大事に、するわ」
 真っ赤な顔を伏せ、アメジストはか細い声でつぶやいた。


<ジェシカの場合>

 ジェシカは露店に並ぶアクセサリーをあれこれ手にとっては戻し、を繰り返していた。後ろでうんざりした表情をしているリチャードを まったく省みることなく。
「……いつまで待たせる気だ……」
「あと少しだから、もうちょっと待っててよ! ああ、これもかわいいわー」
 このやりとりも、いったい何度目か。
 あと少し、をかなりオーバーして(リチャードの感覚では)、ジェシカはようやく気に入るアクセサリーを見つけたらしい。
 その小さなアクセサリーは、中央に海の色をしたちいさな石がはまった、鳥の羽を模した形の指輪。ほかのものに比べるとずいぶんとシ ンプルだ。
「おっ、お嬢さん目がいいね! それはちょっと質のいいアクアマリンを使っているんだ。お得だよ」
「んんん、でも……指輪じゃあ剣を持つのにちょっと邪魔になるかしら」
 気に入っているが、決めかねているようでジェシカは形のいい頤に指をあて、考え込む。
「そうですねえ……長めのチェーンか何かに通して、首からかければどうでしょう? 服の下に下げておけば、そうそうなくしたりはしな いと思います」
 露店主がペンダント用のチェーンを取り出した。見本にと適当な指輪を通して見せる。
「お嬢さんにはとてもお似合いだと思いますよ。……彼氏さんも、彼女にアクセサリーのひとつでも買ってあげればどうです?」
「かっ……!」
 ジェシカは一瞬で真っ赤になり、口をぱくぱくさせた。だがリチャードは珍しくそれに反応を見せることなく、露店主に「いくらだ?」 と訊ねる。
「ちょっ、リチャード!?」
「いいから。たまにはいい格好させろ」
 そう言ってリチャードはさっさと支払いを済ませ、件の指輪と首にかけるチェーンを差し出した。
「ほら。……失くすなよ?」
「……ありがと。大事にするね」
 ほほをばら色に染め、ジェシカはリチャードに笑いかける。



「お父さん、これが『二人の世界』ってやつ?」
「そうだなあ。お代ももらってるんだから、そっとしておいてあげようね」
「はぁい」
 少女はまた、客寄せへ戻っていく。露店主はひとつ息をつくと、そこここを行き交う人の波を相手に商談に入ったのだった。
モクジ

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