帝国年代記〜催涙雨〜

戻る


鏡の中の幻想



 その日はなぜか寝付けなかった。

 特に暑かったり寒かったりするわけではないのだが、与えられた部屋が豪奢すぎるのか、それとも単に昼間の出来事のせいで神経が昂ぶっているのかは分からない。
 昼間にその人物は、自分に向かってこう言った。



「あの小娘を、殺して欲しい」
 手段は問わぬ、だが死体と皇帝の証たるサークレットは必ずこちらに確認させるように、と。
「あの小娘とは関係なく、しかし一番側にいられる直属近衛だ。いくらでも機会はあるだろう」


 確かに、客観的に見て自分が一番適任だろう、と思う。他の三人のように特に親しいわけでもなし、なんのしがらみもない。実際流れ者なのだから公になるまえに国を出てしまえばそれまでだ。
……万が一ばれてしまったとしても、後腐れなく切り捨てられる。

「今すぐは無理だ。……すこし、考えさせてくれ」

 自分が望んでいるのは、そんなことじゃない。

 オレが王たるものに求めるのは、ただひとつだけ。

「…………」
 何度か寝返りを打ってみて、とうとう諦めた。
 ベッドから身を起こし、その辺に引っ掛けていた上着を羽織って、中庭に面するばかでかい窓をあけてテラスへ出た。
 空を見あげると、ちょうど雲が風に流されて月が姿を現したところだった。

 さわり、と夜風が渡る。

 ふと視界の隅に何かが見えた気がして、ジェイスンはそちらに視線を向けた。
 闇夜にとける影。目を凝らすと、それは人の姿をしていた。
 背中を向けていた人影はちらりとこちらを振り返る。
「……っ、陛下……?」
 満月に照らされたその姿は、今は居室で眠っているはずの人物だった。



「来てくれると思っていたわ」
 裾を引きずるくらいのローブに身を包んだ彼女は、くちびるに笑みを浮かべて彼を迎える。
「……こんな時間に外に出て、何かあったらどうするつもりなんです」
「だって、あなたと二人きりで話がしたかったんですもの。こんな時間でなければ無理でしょう?……それに、ここは中庭なんだから外ではないわ」
「またそういう屁理屈を」
 眉をひそめるジェイスンを横目に、彼女はくすくすと笑う。
「それで、話とはなんですか」
「それはね。あなたのことよ、ジェイスン」
 さわ、と彼女の髪が風にゆれた。
「あなた、どこから来たの?」
 そう言われた瞬間、違和感を覚えた。
「……それを聞いて、どうするんです?」
 黒目がちなその目も、髪も、声すらも。いつも接している皇帝その人のものだというのに。
「別に。あなたをもっともっと知りたいと思ったから」
 違う。何かが――何が?
「……誰だ?」
「えっ……」
 少女がうろたえる。がすぐにくちびるに笑みを戻す――その仕草に違和感がはっきりとした形を成し、奇妙な確信を持たせた。
「何を言っているの? 私は……」
「違う。お前は……陛下のふりをしているお前は、誰だ?」
 す、と目の前の少女から一切の表情が抜け落ちる。
 しばらく沈黙が辺りを支配した。
「……まさか見破られるとはね。いままでこんなことは無かったんだが」
 舌打ちと共に、声音が低く変化する。どうやらかがんでいただけのようで、身長もやや伸びた。
「お前はよっぽど目がいいらしい。……まるで獣だな」
 男とも、女ともつかない声で笑う。
「さて、話を戻そうか。……お前は、誰だ?」
 まっすぐな視線は、嘘やごまかしを許さない。
「お前に関しては、一時期とある旅の一座の用心棒をしていたとしか分からなかった。どれだけうまく隠しても、調べれば生まれや育ちは分かるものだ。人に関わらないで生きていける人間なんかいないからな。分からないパターンとしては」
 指をひとつ、立ててみせる。
「まず、関わった人間が口をつぐんでいる。だが、これは全員が口をつぐむのは難しい。人の口に戸はたてられないからな。必ずどこかでボロが出る」
 次にもうひとつ、指を立てる。
「そしてもうひとつ。これは普通、ありえないが……関わりを持った人間が全て死んでいる、もしくは本人が死んだことになっている場合」
 アメジストの姿のままで淡々と話す彼(彼女?)にペースを崩され、混乱する。
「……だとしたら、なんだというんだ」
「別に、今はどうもしないさ。……ただ、警戒しているだけ」
「得体の知れない人間に、陛下の側にいて欲しくないということか」
「はっきりいえば、そうだ。……まあ、あいつが選んだんだ、俺に文句を言う筋合いは無い」
 だが、とその人物は続けた。
「もしも、お前が彼女になにかしら悪意を持って近づいたんだとしたら……」
 目をそらさずに。それはまるで……あのときの彼女そのもののようで。
「俺はお前を殺すよ。……必ず、な」
 殺気もなにも感じさせず、そう言い切った。だからこそ、逆にそれが嘘やはったりではないのだと分かる。
「お前がどれだけ強かろうが、手段はいくらでもあるからな……お前に俺の裏をかくのは無理だろうよ」
「……そりゃ、気配も何もしない状態で不意打ちなんぞされちゃあなんともできねえな」
 ジェイスンがひねくれた答えを返すと、目の前の人間はもう一度、くちびるを笑みの形にする。
「言いたいことはこれだけだ。もう二度と会うことのないように願っているよ……、……のためにも」
 そう言うが早いか、くるりと踵を返す。ジェイスンが素性を語る気がないことが分かっていたのだろう。
「待て!……お前は、お前こそ一体誰なんだ」
 ジェイスンの制止の声にぴたりと足を止め、顔だけ振り返る。
「……クロウ」
 一言だけ残し、あっという間に視界から消えた。



 ただ一人、残されたジェイスンは呆然と立ち尽くす。
「……クロウ、だって……?」
 最後の笑みが目に焼きついて、離れない。



 その鮮やかな笑みは、初めて会ったときに見たアメジストの笑顔そのものだったから。


戻る

-Powered by HTML DWARF-