帝国年代記〜催涙雨〜

モクジ

  Etude〜インヴェンションとシンフォニア〜  

 カンバーランドには、バレンヌにはないクリスマスという概念がある。
 神の子が誕生したもうた日と言われ、神への祝いとして家族や大事な人たち(特に子どもたち)に贈り物をする日であるらしい。
 ダグラスでは一月ほど前から聖誕祭の準備におおわらわで、ようやく迎えた今日という日を楽しんでいる。城下のみならず、王城でもそれは同じ。
 その喧騒から少し離れた、中庭にある小さな東屋。夜もとっぷりと更け、寒さもことさらに厳しい場所に、ちょこんと座る小さな人影があった。
 白い息を吐きながら空を見上げる小さな姿に、ふわりと白い結晶が降りかかる。
「……雪」
 小さく少女がつぶやくと、ふわりふわりと雪が落ちてくる。
「……積もるかしら」
「残念ながら、この地方は寒くともあまり雪は降らないのですよ」
 独り言に答えが返ってきたことに驚いて、少女は声の方を振り返る。
「先生」
「今は授業中ではありませんから、サイフリートでかまいませんよ、小さな姫。……アバロンでは積もるのですか?」
 微笑んで立っていたのは、少女……アメジストにカンバーランドのいろいろを教えてくれる人だ。もともとはトーマ王子の教育係であるサイフリートは、今ではトーマ王子と一緒にアメジストに指導をしてくれる。
「はい。この時期だと年明けの準備と、雪かきでおおわらわです」
「それは大変そうだ。この国はあまり降らないからこそ、聖誕祭に雪が降るのは神の祝福と言われているんですよ。……冷えますので、こちらをどうぞ」
 手渡された肩掛けを礼とともに受け取って羽織る。
「隣、よろしいですか?」
「あ、はい。どうぞ」
 アメジストが少し横にずれると、サイフリートは隣に腰を下ろした。
「さて。姫はなぜ、そんな憂い顔をなさっているんです?」
「そ、それは……その、」
 言葉を探しあぐねていると、サイフリートは少し笑う。
「またいやなことを言われましたか?」
「……っ……」
 図星だった。じわ、と目が熱くなるのがわかり、アメジストは必死に歯を食いしばってこらえた。
「姫。あまり感情を押し込めてしまうのは、感心しませんね」
「で、でも……こんなことで、いちいち傷ついていたら、ゲオルグ王子にふさわしくないって余計思われてしま、ま……」
「言わせておけばいい……とはいえ。気になってしまうものですよねえ、やはり。私もそうです。ましてや姫はまだ、子どもですし」
 ――やめて。子どもだなんて言わないで。アメジストはますます落ち込む。
「子どもと言われるのはいやですか?」
 優しいサイフリートの声にこくん、とうなずく。
「そうですか……ねえ、姫。私の話を聞いていただけますか?」
 突然のサイフリートの言葉に思わず落ち込んでいたのも忘れ、きょとんとサイフリートを見つめる。
「お話……ですか?」
「ええ。姫ならば、私のどんな話を聞いても口外したり、軽蔑したりはなさらないでしょう?」
 それは間違いなく、信頼の証。
 アメジストはこくり、とうなずいた。
「ありがとうございます。……実はね、姫。私、この国が……というか、ハロルド王が大っ嫌いなんですよ」
 他人に聞かれれば不敬罪になりますけどね、といきなりぶっちゃけた。アメジストはぽかんと口を開く。
「ああ、でもゲオルグ王子やソフィア王女は別に嫌いではありませんよ?」
「……ええ、と……では、なぜ、その……」
「嫌いな人の近くにいるか、ですか?」
 おろおろするアメジストが面白いらしく、サイフリートは笑っている。けれどそれはいやな感じのしない笑い方だ。
「長くなりますが……私はね、孤児なんです。あの方もね」
 あの方とは、サイフリートの主人でありこの国の第三王妃のことだ。平民の方だとは聞いていたが、まさか孤児だったとは思いもしなかった。
「ノブリス・オブリージュの名の下に、私たちのいた孤児院は援助を受けていました。そのおかげで私たちはご飯を食べたり勉強をすることができたので感謝はしています。でも私はいつもこう思っていました。――俺たちをかわいそう、と見下すことで自分が優しいと、立派だと自己満足に浸りやがって、とね」
 アメジストの返事を待たずにサイフリートは続ける。
「もちろん彼らにも、彼らなりの言い分があるでしょうし、心から気にかけてくれた方もいるでしょうけどね。私は反発を覚え、この国のあり方を変えたいと思いました。幸い勉強は嫌いではなかったので、私は官吏になろうとしました。でもね、馬鹿馬鹿しいことに、この国では貴族でなければ官吏になることはできないんですよ」
 試験自体は貴族のみというわけではないのに、成績よりも身分がものを言うのだという。
「それが長年続いた慣習だから。……悔しかった。でも私よりも、あの方の方がもっと悔しかったと思います。あの方は、ただ女性であると言うそれだけで、前例がないと試験さえ受けさせてもらえなかったのですから」
 そういえば確かに、カンバーランドで女性官吏を見た記憶がない。まだ王妃でないアメジストに姿を見せる必要はないので見ていないだけかと思っていたのだが、そもそも女性官吏がいなかったのか。
「……アバロンでは、あまり考えられません。でも、たぶんアバロンの方が珍しいのですよね」
 バレンヌでは、確かに身分がものを言わないわけではないが、基本的に成績が重視される。平民だから採用されないだとか、女性だから試験が受けられない、ということはない。バレンヌの官吏に平民が少ないのは、ひとえに平民の識字率が関係している。
「そうですね。どうして友好国なのにここまで違うのか……。でも話はここで終わらないんですよ。私たちは成人してからも、時々孤児院に通って手伝いをしていました。とある日、気まぐれにハロルド王が孤児院に視察に来て、そして運悪く、あの方が見初められてしまった。院長は孤児院にいる子どもたちのためにしかたなくあの方を売り、私はあの方を一人にしたくなくて、付いていった」
 サイフリートはため息をついた。
「その後は姫もご存知のとおりです。……ねえ姫。子どもでいられる時期って、長いようでいて実はとても短いんですよ。大人になったら、いろいろな理不尽にも耐えなくてはならない場面も少なくありません。そんなに急いで大人になろうとしなくたっていいじゃないですか。姫はいい子すぎるんです。もっとわがままを言って文句を言って、駄々をこねていいんです。叶えられるかどうかは別として、子どもにはその権利がある」
「……でも……」
「ゲオルグ王子だって子どもですよ。ゲオルグ王子はまじめで頑張りやで、でもちょっとだけ不器用なんです。だから目の前の出来事しか見えていない。ゲオルグ王子が立派な大人であったなら、婚約者である姫をほうっておくなんて、立場的にも国交的にも大問題なんですから。そういった意味では、ソフィア王女の方がよほど大人ですよ」
 国同士の政略で結ばれた縁。ゲオルグはアメジストの『特別』だが、ゲオルグはアメジストの『特別』ではない。それを仕方のないこと、とあきらめてしまうには、アメジストはまだ幼かった。
 けれど国同士の政略であるからこそ、実はゲオルグはアメジストをしっかり守らなければならないのだ。身体的にはもちろん、アメジストを苛む陰口から。
 アメジストが不満を口にしないから表面化しないだけで、今の状況は下手をすればカンバーランドがバレンヌ帝国を軽んじている、ともとられかねない。現時点ではゲオルグがアメジストの『特別』であり、アメジストがゲオルグの目に留まるように努力をしているから、均衡を保っているに過ぎないのだ。
「……先生は、あの方が……お好きなのですか?」
 ぽつりとつぶやかれた声に、サイフリートは目をしばたたかせた。
「あの方が、お好きだから……嫌いな人の近くにいてまでも、あの方のそばにいようとしたのですか。ええと、その、痛い思いまでして、ついてきたのですか」
 なるほど、とサイフリートは内心でうなずいた。
 好きな人のために。アメジストはゲオルグが好きだからそばにいたいと思うし、努力もしている。サイフリートもそうなのかと問うているのだ。
「……ううーん……そうですねぇ……」
 痛い思いをして、というのはサイフリートが王妃付きになるために受けた手術のことだ。バレンヌでは考えられないことだが、カンバーランドでは王妃付きになる男性は、万が一にも間違いが起こらぬよう、男性機能を喪失させられる。
「……まず、姫が子どもだからごまかそうだとか、うまく言いくるめようとしているわけではない、とご理解いただきたいのですが」
 こくん、とアメジストがうなずくのを待って、サイフリートは口を開いた。
「正直、分からないのですよ」
「……分からない?」
「ええ。確かにあの方のそばにいるためには痛い思いをしなければなりませんでした。辛い思いもたくさんしましたし、なぜだろう、と思うこともありました。それでもあの方のそばにいたい、という願いの原動力が、異性としての『好き』なのか、それとも子どものころから一緒に過ごしたからという親愛の『好き』なのか……『好き』であることに間違いはないのですがね。……あまりにもそばにいることが私にとっては当たり前で、自然すぎて、……だからこそでしょうか、よく分からないのです」
「……難しい、です」
「そうでしょうね。私自身にさえ分からないのだから、違う人間である姫が分からなくたって、当然です」
 サイフリートは目を細めて笑う。
「……私たちはこういう形になってしまいましたが、私はゲオルグ王子と姫には、こんな思いはしてほしくない。だからと言って、片方が我慢するというのもしてほしくない」
「我慢?」
「ええ。私には、姫ばかりが我慢しているように見える。子どもらしく、もっとわがままを言いなさい。……さあ、姫。あなたはどうしたいですか?」
「……私……ゲオルグ王子の、お役に立ちたいです」
 ぽつりとつぶやくアメジストの『わがまま』は、とても可愛らしく、そしていじらしかった。
「ならば、まずそれを言葉にして伝えなければ」
「……はい。頑張ってみます」
 アメジストがようやく笑う。サイフリートも笑って、ふと空を見上げた。
「……雪が、止みましたね。……トーマ王子! そこにいるのでしょう。出ていらっしゃい」
 うびゃうっ、と奇妙な声がして、近くの茂みから顔を赤くしたトーマ王子が現れた。
「まったく。盗み聞きとは感心しませんね」
「ご、ごめんなさいサイフリート。姫様がいつのまにかいなくなっちゃったから、どうしたのかなって……で、でも、話はほとんど、聞こえてなかったから、あの、その」
 もじもじといいわけするトーマ王子にサイフリートはため息を吐き、しかしすぐに笑みを浮かべる。
「まあ、今回は神の祝福に免じて不問にしましょう。ですがほめられたことではありませんし、聞かれた方もいい気はしませんから、十分に気をつけなさい」
「はい、ごめんなさいサイフリート」
「よろしい。……では、そろそろ戻りましょうか。ひょっとしたら私たちがいないことに気づいて、ソフィア王女が気をもんでいるかもしれませんからね」
 トーマ王子を含めた三人は、連れ立って城内へ戻って行く。するとやはりソフィア王女が気をもんでいたらしい。しとやかにすっ飛んでくる、という器用な技をやってのけた人などアメジストははじめて見た。
 そしてソフィア王女に背中を押され、まだまだざわめきの残るホールへと戻って行った。

 この時点の、おおよそ十年あまり後。
 『先生』と『小さな姫』が互いの『正義』を掲げ、剣を交えることになるとは、このとき誰も想像すらしていなかったのである。
モクジ

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